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「教育」と「ビジネス」の境界線


「教育」という漢字は
「教える」という字と「育てる」という字の意味が
組み合わさっていますが

教育と聞くと
「教えて知識を与えること」のイメージが強いですよね。

つまり
教>育
になっているということです。


この「教える部分」の方が優勢なのは


知識の量=「お金の量(お金持ち)」


というのが
暗黙の了解になっているからだと思うんです。


ですから
「教」の部分がビジネスになりやすく

さらに教育は今や一大ビジネス

将来食べていけるか不安(生存本能)
だから
「将来安泰」という暗黙の了解に
親の願いがくっついて

そこがひとつのビジネスの切り口に
なってしまっていると思います。


教育とビジネスって
そもそも両立できないんじゃないかと思っています。
ビジネスの対象は子どもです。


ビジネスは
当然利益が発生しなければ
いくらいいものを提供していても
軌道に乗らなくては食べてはいけません。

いいものを自分で立ち上げようとすると
それ相当のコストが今の世の中では
かかるわけで…

そうすると
自分の元手も管理しないといけなくなるので
どうしても
お金との計算になってしまう。


だから
教育ビジネスをする側も
「子どもがお金に見えてしまう」

のだと思います。


親の方も
高い授業料は子どものためと思いつつ
元をとってくれないと
怒りが出てしまったりして
そんな話をするママ友たちも
たくさんいました。
もちろん私もそう思っていました。
(反省)



親も子どもがお金に見えてしまうのです…
ちょっと悲しいですね。


これから起こる世の中の変化の中で

教<育


へシフトしていけるといいですよね。


教育に大きなお金を介在させなかったら…
教育をビジネスにしなければ…
社会をよりよくできるかもしれません。


学校というと場所が必要と思うかもしれませんが
今問題の「空き家」が解決になるかもしれません。
空き家の手入れには空気の循環が必要ですから
そんな場所を提供してくださる方もいらっしゃるかもしれません。


少し大きくなったこどもたちなら
不必要に汚すこともなくなってくるでしょう。


コロナで打撃を受けた飲食店
もしかしたら
子どもたちの給食を提供しつつ
場所を貸してくれるかもしれません。
Win-Winですね。

体育だって
指導要領に書いてあるから
跳び箱などの特別な器具が必要になりますが
本当は全員が全員必要なわけではないですよね。
私も子どもの頃、体育は好きでしたが
跳び箱とかマット運動は好きではありませんでした。
楽しくなかったです。
リレーとか、球技が好きだったので
その時は楽しかったな〜…

基本公園が近くになれば
体を動かすことができますよね。


音楽だって体育だって工作のお教室だって

不況になりつつある時代に
収入源であるこども達が習いにこなくなれば
新しい教育の形を提供することで
Win-Winでいられるかもしれません。

そうやって


子どもをみんなで育てていくことで
実は大人が新しい社会を築いていけるかもしれない



と思いました。


そして
お金がなくても循環する社会
(お金がなくても生活できるようになると
個性が伸ばせるようになると思います。)

子どもが過度なビジネスの対象にならない社会


ができるといいな…と思います。



詳しくはこちらの記事を読まれて見てください。



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