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音読による愛情

人は傷付け合いつつも、多くを学び、全てを無くす事を教訓にしない生き物でもある。

傷は残るが、失うものもまた遥かに計り知れない。
癒える傷よりも、代償を支払い続ける方が苦難であろう。

未だにあらゆる所で争い事が絶えない。
理由は多く存在するかも知れない。
だが、力のない市民が目に見えない大義のために代償を支払う行為は野蛮でしかない。
これらをまとめると「戦争」に行き着く。
それでは、「戦争」で誰が得をして、誰が犠牲となるのか…

こういった事を歴史(記録)として多くの書物に記載されている。
だが、残念ながら改ざんされた歴史もまた少なからず存在する。
それに全ての人々が読み書きができるとは限らない。
先進国はもとより、そうではない国々も現存する課題でもある。
そこで誰もが読み書きできれば全ての人々が事実を知り得るのかというと、実際のところ判らないのも事実である。

しかし、歴史を塗り返すことは不可能だが、歴史を振り返ることは可能だ。

こういった観点で紐解く事ができる数少ない映画の中で、邦題『やさしい本泥棒』という作品は愉しめると思われる。

舞台は第二次世界大戦中のドイツである。
このような戦争を題材にした作品の多くは迫害された人種の視線で描かれる事が多い。
だが、この作品は占領下であるナチス側の市民から描かれた作品である。

事情があり里子に出されたリーゼルはハンスとローザ夫妻に預けられる。
学校へ通う事となり、担任の先生に自己紹介を兼ねて黒板に名前を書くように前へ出るように呼ばれる。
リーゼルは体を硬らせ✖️を三つ並べる。
リーゼルは自身の名前も物書きができなかったのだ。

残酷にも周囲の目は冷たく、物書きのできないリーゼルに対し罵倒する。
これらをバネに、リーゼルは読み書きを覚える事となる。

特に義理の父であるハンスを演じるジェフリー・ラッシュが親身になり、リーゼルのために地下室の中を勉強ができる環境として整える。

壁には大きな黒板が飾られアルファベット順に覚えた事を書き添えながら言葉を覚える。
徐々に言葉が読めるようになったリーゼルは、ハンスに預けられる前に拾った本を読み始める。
ハンスはどのような内容なのか読んでみると、どうやら拾った本は葬式に関する手引書であった。
その後、ハンスは冗談を交えリーゼルに対し、「私が亡くなったら役立ちそうな内容だな」と答える。

ハンスの妻でリーゼルの義理の母であるエミリー・ワトソンが演じるローザは、ハンスとは違い気が強くリーゼルのみならず誰に対しても厳しく接する性格だ。
対照的な夫婦だが、実はハンスと同様、ローザはリーゼルを影ながら見守っている優しい性格でもある。

物語の概要を説明するよりも、この作品が描く要となる争うことの虚しさと悲しさを上手く表現している所が共感を覚える。

リーゼルは里子に出される前に弟の死を直面する。

これから生きる術を覚えるのだが、その前に死とは何かを学ぶ必要に迫られる。

それから人種間の対立だ。
なぜドイツ国内はおろか、近隣諸国でもユダヤ人に対する迫害が続いたのだろうか。
この作品のみに関わらず、多くの書物を頭に入れたとしても偏見と傲慢でしかないことは明確だ。

やがてドイツ軍は人手不足となり、若者以外に年老いた男性までも徴兵するのだ。
そうなると当然ハンスにも徴兵の要請が来る。

現代も同様に、人が人を捌くという行為は地球の果てまで進んでも立証されることはないだろう。
例えばそれぞれの立ち位置であるお国柄の法が定めてたとしても、人道的な立場から見ると許される行為ではないこともまた明白だ。

また生きる権利も全ての人々に約束されている。
こういった権利も誰もが消し去ることはできない。
仮に誰かが裁いたならば、その行為は鬼畜である証拠でしかない。

因みにこの作品は日本未公開とのこと。
理由は定かではないが、DVD化はされているので興味のある方は是非ともご賞味あれ〜♪
だからといって食べられる訳ではないよ。

わーお!

劇中で多くの書物を燃やすシーンがる。
「書物を捨てよ町へ出よう」と残したのは寺山修司氏だが、必要な書物も当然ながら存在する。
尚且つ、市民が肩を寄せ合いながら苦痛の中で潜む空間の中、リアルに捉える事なくユーモアを交えることこそ、本来必要な要素であると語った親愛するカート・ヴォネガットの言葉が脳裏を走り抜ける。

何を読み、何が不要かは誰も決める事ができない。
なぜならば、そのさきに誰も描く自由が存在するからであろう。

主観的な意見だが、そういった事柄が詰まった作品である🙃

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