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記事の整理してたら、自己理解に繋がりました。〜闇の部分多めの自己紹介〜

マガジン作りから始まった自己理解

今まで書き溜めた記事を見返していたら、
「何だかごちゃごちゃしてきたから、少し整理したいなあ・・・」
と思ってマガジンに整理しつつ、過去記事を読み返していました。

すると偶然ですが、思いがけない発見をすることになりました。


「自分はこう考えていたのか」
「似た趣旨の内容が何回もあるのは、それが自分の価値観ってことだな」

みたいに、自分に対して再発見する機会になったのです。


実は過去記事でも少し書いていますが、
うまく書けずにいた自己紹介記事を、整理した過去記事紹介と一緒に、書いてみたいと思います。


Duskのこれまで


自分のことを話すのは苦手。でも変えてみたい。

正直に言います。自分のことを人に話すのが苦手です。
なぜかと聞かれても、よくわかりません。

多分自分が好きじゃなかったから。自分は劣等感の塊だと思っていたから。
だと思います。

それでも変えてみようと思いました。
自分が追い詰められるところまで追い詰められたからでしょうか。


子ども時代

小さい頃は物静かな子どもだったと思います。

自分の意見はほとんど言わない、周りに合わせるタイプの子どもだったと思います。

小学校一年生の時は、学校に行くのが嫌でよくぐずって親を困らせていたと思います。何が嫌だったのか、今までよくわからないままだったのでした。不思議と今ならなんとなくわかります。

人前に出るのが怖かったんです。簡単に言えば緊張感ですね。人からどうみられるかをとても気にしていました。見られることに強い恐怖があった、といった方が正確です。今まで自己紹介を書けなかった理由と同じです。
朝家を出る前に、突然お腹が痛くなったりして、よく休んでました。心身症のような症状だ出ていたと思われます。今の基準なら不登校扱いに引っ掛かっていたかもしれません。当然親には引っ張って連れていかれ、それに必死に抵抗していた記憶が朧げにあります。
親を責めるつもりは全くありませんが、「違うよそれ〜」と今ならわかります。癇癪を起こすだけで、自分で自分のことを説明できなかったので、親が理解できなかったのも仕方なかったと思います。


育った親子関係


一方親は親で苦労していたようです。

小学生の頃は、母親が家から少し離れた病院に通っていました。
何の病気があるのか気にはなっていましたが、話してくれなかったので聞いてはいけないのだと、子どもながらに思っていました。
結局30年経った今でも聞いていませんが、ほぼ精神科で間違いないと思います。
母親が不安でパニックになっている場面を何度か見ているからです。
自分が感じていた漠然とした不安はこの亜たちの影響もあったかもしれません。

父親は当時、亭主関白色がとても強かったです。
時代背景もあるので、これも父が全部悪いとは全く思いませんが、
夫婦仲はとても悪かったです。言い争いを見るのが本当に嫌で、
よくリビングから逃げていました。

何だか嫌なことばかり書いていますが、
普通の家庭と同じように、ちゃんと愛されて育ててもらいました。
今まで目を背けていたことに、目を向けているだけです。

どんな人でも
お金持ちでも貧乏でも
地位の高い人も低い人も
結果が出た人も結果が出てない人も

みんな自分なりの苦労がある

このことが今ならよくわかります。
自分も家族もそうであっただけです。


学生時代に作られた劣等感

中高生の時は部活で剣道をしていました。
仲のよかった友達が入っていたからというだけの理由です。

周りは小学生の時からやっていた子が多かったです。
中学生から始めた自分とは、経験値の差がかなりあり、
それは学生時代、ずっと続くことになりました。

これも今ならわかりますが、ただの言い訳でした。
最初は確かに差は埋められないですが、
経験値の差を埋めるだけの、工夫や努力をしていないのは自分でした。
経験歴を言い訳にして
「自分は経験が浅いから勝てないだけ」
と心理学でいうところの、セルフハンディキャップを作っていました。
今思うと、しょうもない人間だったな、といった感じです。



挫折ばかりの教員生活

そうやって
人に見られることを恐れ、劣等感を謙虚な姿勢と勘違いしたまま、
小学校の先生になります。

ちなみに採用試験は9回落ちています。
こんな考え方だと不採用にもなるでしょう。
その証拠に筆記試験はパスできても、面接が通らない。

それでも先生の仕事は、講師という名目で同じようにできます。
(冷静に考えると何のための採用試験なのでしょう?)
給料は安いものの、何とか生きていくことはできたわけです。

どんな教員生活が待っていたかというと、もう容易に想像できますね。
担任をするとまともに1年過ごせないわけです。
よく言えば優しい先生ですが、はっきりいってぬるい。
人を動かすスキルが全く足りませんでした。他のどんな仕事をしても通用しなかったと思います。
自分の指導を担当していた先生からのダメ出し、トラブルに関わった子どもの保護者からの苦情。これらが理不尽とも思えませんでした。正論は正論でしたから。
これらに自責が重なり続け、学校へ行けなくなりました。

うつ病の診断を受け、休職も経験しました。

それからやっと、
このままでは自分は生きていけないかもしれない。
(自分で死を選んでしまうかもしれない、という意味です)

何とかして自分の生き方を変えようと、足掻き始めました。

結婚して家族がいたことは、仕事との両立という負担にもなりましたが、
何とかしようと前を向く支えになりました。
もし一人だったら、もう人生終わっていたかもしれません。かもしれない論でしかありませんが。


うつで休職したその後の変化

心を軽くするための心理学の本を、読み漁るようになりました。
和田秀樹さんとか、水島広子さんとか、多かったと思いです。
そんな中でも特に衝撃を受けたのが、『嫌われる勇気』でした。

アドラー心理学は科学的な心理学とは違い、哲学的な考え方が多い。
このことは後になってから知りましたが、そんことはどっちでもいいです。
自分が考えていた劣等感を美化する考え方を、真っ向から否定してくれました。
私にとって1番の学びはここでした。

衝撃的な価値観の転換を図ろうとしていた時、
育休代員として「2学期から担任をしてくれないか?」
という話を受けることになります。
「前の年にうつ病で休んだ人間に?」と疑いましたが、
それほど人員不足だったのでしょう。
年度途中で見つける場合は特にです。

やれる自信は0どころかマイナスに大きく振れていて、
引き受けるかかなり迷いましたが、受けることにしました。

前の年の事情は、管理職の先生に全部話して、
「できないことはできないと言って、ちゃんと助けを求めます」
と宣言してから2学期を迎えました。

周りの先生方が常にサポートしてくださり、
それまでと同様、非常につらい毎日でしたが、
それでもその年度を終えるまで、続けることができました。
この時支えてくださった先生方には、本当にもう感謝しかありません。

同時に知ることにもなりました。
今まで全部自分が悪い、そう思い続けていたけど、
結構ひどい仕打ちも受けていた?のではなかろうかと。

人間には、群れや集団に貢献しない人間を排除しようとする、
生存本能があるといいます。
おそらく自分もそのターゲットになっていたのでしょう。

生存戦略なので仕方なかったと、理解はできます。
貢献できなかった自分にも、半分責任はあります。
でもそんな生きにくい場所に居続けるのは、もうやめよう。
そうと思い始めたのも、この頃だったと思います。


今の生活スタイル

それから4年かけて、少しずつ仕事量を減らしていきました。
子どもが大きくなるにつれて、仕事を増やしていくのが一般的です。
ですがあえて、逆を行くことにしました。

今は先生の仕事を完全にやめて、家でできる副業にチャレンジ。(2021年〜)
自分の時間もそれなりにゆったり取りながら、家族のサポートに回ることに徹しています。

こんな贅沢ができるのも、妻がフルタイムで頑張って働いてくれているおかげです。もう感謝しかありません。

無給の専業主夫(副業はやろうとしてるから副業主夫の方が正確かも)って、
一般常識だとただのプー太郎、と見られてもおかしくありません。
でも、「あなたのおかげでこの家庭は成り立つことができる」
といつも感謝してくれます。
(同じこと思っているのに、ちゃんと伝えられてなくてごめんなさい)


代わりにこの場でちょっと妻自慢をしてみる。笑
私たち結構仲良しです。
最初の方でに書いたように、自分の親が不仲だったのが辛かったので、同じことは絶対にしないと決めています。
部活や仕事では全く役に立たなかった、甘ちゃんすぎる自分の特性を最高に活用できるのは、夫婦関係かもしれません。
人生一周して何か掴めるとは、こういうことなのか?



noteに書いていること

こうやって自分の時間を取りながら、いろんなことを考えています。
その考えたことがnoteの記事になっている、そんな感じです。

考えている主なテーマは「穏やかに生きる」この一言につきます。

穏やかに生きるための
考え方や学び方。
自分との向き合い方。
お金の増やし方と使い方。
子育ての仕方。


などなどといった具合です。
これらが主な記事テーマにもなっていくと思います。



ここまで読んでいただいたら察しがつくと思いますが、

私は
「バリバリ働いて、最高の結果を目指す!』
みたいなタイプではありません。

ゆるゆる生きていきたい人間です。
そのための習慣的な努力や、断捨離は積極的にします。
できない時もあるので、それもまたよしとします。

特別な日よりも、何気ない日常の方が大切だと思っています。


これからどうやって「穏やかな生き方」を実現していくか。
その道のりの記録を、このnoteにしていくつもりです。



長い文章を最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

これをきっかけに多くの方と関わることができたら、とてもうれしいです。
自分の励みにして、穏やかにがんばっていこうと思います。

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