マガジンのカバー画像

ローマの日々 [Daily Romans]

40
ローマ人への手紙を日々少しずつ、ゆっくり味わい、瞑想する旅をします。
運営しているクリエイター

#人間

27.ローマ2:1 "互いにさばき合う"という人間の性質

27.ローマ2:1 "互いにさばき合う"という人間の性質

もし二人の泥棒が互いに悪人呼ばわりして喧嘩していたら、滑稽です。でもそれは自分を悪人だと知られないようにするための演技であるかもしれません。

すべての罪人はそのように仮面を被っている、とパウロは言っているようです。けれども、誰一人として、仮面を被っているからと神のさばきを逃れられることはできません。

しばしば、私たちは他の人よりも良い人間であると認められようと努めているものです。

一体何が目

もっとみる
(3)ローマ2:1-29 神のさばきと下される刑

(3)ローマ2:1-29 神のさばきと下される刑

人間どうしでなされる罪の行為について教える宗教、道徳規範は、ややもすれば互いに批判し合うための道具に早変わりしてしまいます。自分が変わるべきところを、相手のあら捜しをし、相手に変化を求めるような人間関係に陥ってしまうのです。人の基準ではなく、神の基準があることを知ることで、誰がより正しいかを競うのではない、いつくしみ深い神の判断を仰ぐ姿勢へと変えられるのでしょう。

27. "互いにさばき合う"と

もっとみる
26.ローマ1:30-32 死に値する行為

26.ローマ1:30-32 死に値する行為

神の目には、どのような悪行が死に値すると映るのでしょうか。

パウロが記しているこれらのさまざまな「悪行」は、神に反抗した心から生じるもの。その「心」が神に反抗していることは、これらの「悪行」とされる事柄から明らかなのです。

これらは、決して神のいのちにふさわしいものではなく、死に値するのです。

私たちは、日々の生活の中で、言葉や行動において、常に神の御心を求め、神と心を一つにしているでしょう

もっとみる
25.ローマ1:28-29 呪われている思い、してはならない事々

25.ローマ1:28-29 呪われている思い、してはならない事々

神の律法は、殺人、姦淫、窃盗などの悪行を禁じています。しかし、罪の問題はもっと深く、罪深い人間の心から生じているのです。人間は「神を知ることに価値を認めなかった」からです。それが「罪」の本質なのです。

私の人生を支配するにふさわしいのは誰? 私の人生を支配するのは私自身でしょう?

でも本当は、私たちは神の被造物であり、この神をパートナーとしてともに生きるべき存在なのです。それを、自分の意志が神

もっとみる
21.ローマ1:21 神を神としてあがめない

21.ローマ1:21 神を神としてあがめない

万物は神によって創造され、万物は神のもの。

もちろん私たち人間も、のはずです。ところが人間は自分勝手な思いのままに、自分を、そして万物を使ってしまっています。

「このからだは自分のものだ。他の誰も、自分の考えや計画に干渉する権利などない。私が自分ですべきことを、自分のしたいことのように決めていくのだ。もしそれを妨げようとするものがいるなら、たとえそれが神であろうとも、それに対して怒りを向けるの

もっとみる
20.ローマ1:19-20 神の義が人間に明らかにされている

20.ローマ1:19-20 神の義が人間に明らかにされている

神が人間の不敬虔と不義に対して怒るのは当然のことでしょうか?

もし人間が神を全く知らず、そのために無視し続けているだけだとしたら、神の怒りは当然のこととは言えないように思えます。

けれども、人間は神についての知識は持っているはずなのです。というのも、神ご自身がこの世を創造なさった時以来、さまざまな働きを通して人間にご自身を示してきていたからです。

その証拠に、どんな民族にも必ず宗教があります

もっとみる
19.ローマ1:18 神の怒りが啓示されている

19.ローマ1:18 神の怒りが啓示されている

神の義は福音に啓示されているのに対して、神の怒りは天から啓示されている、とパウロは言います。

神は実に、その愛のうちに、人間と一つになることを願っているのですが、人間の不敬虔と不義の問題のゆえに、そのままでは決して一つにはなれず、人間の祈りもかなえられない状態に陥っているのです。

しばしば聞く言葉に、「神が怒っている」というのがあります。人間は、なぜか神の怒りを知っているのです。

それが、神

もっとみる
(1)  神の怒り

(1) 神の怒り

ローマ人への手紙 1章 18-23節

天から啓示されているとパウロが言う神の怒りについて。

自分が罪人だなどとは思えない私たちに、人間の現状を直視させてくれる言葉が続きます。早くやり過ごしたいような気にさせられる個所ですが、自分の本当の姿をしっかり見つめなおす機会を与えてくれる箇所でもあるのです。

でも、さまざまな人間の欲から生じる罪の行為がなぜ人間自身でとどめられないのか、その根源にあるの

もっとみる