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ドリーム・トラベラー 第二夜 夢の中の叫び

怖い家

 これも実家にまつわる夢だ。
 玄関のドアに鍵を差し込むと、施錠し忘れていたことに気づいた。
 ドアを開けると、成人前まで住んでいた実家が現れた。薄暗く狭いリヴィング、右手には二階へ上がるピッチの狭い階段。リヴィングの左奥に細長いキッチン、右奥にトイレと浴室。懐かしさなど感じない。夢で何百回と見た過去の光景だ。
 ある夜は憂鬱にふさぎ込み、何かに脅えていた母が突然「来る!」と叫び、二階から何かが凄まじい音を立てて階段を駆け下りて来る。
 またある夜は、金属の仮面を被り、シマウマのような白黒の皮膚の化け物が、電池のようなものを振り回しながら襲いかかってくる。
 またしても〝電池〝だ。それが電池かどうかは夢の中では解らないが、電池に見える物体はいったい何なのか?
 またある夜は、真夜中、明かりの点かない狭くて汚くて古い浴室に何かがいるのを知りながら水のように生ぬるい風呂に浸かり、不気味な顔の染みが浮かび上がったコンクリートの壁に脅えた。
 夜中に何度も同じ悪夢を見ては跳ね起き、恐ろしさのあまり朝陽が昇るまで眠れないといった日々が続いていた。
 これもひとえに実家が怖すぎたせいだ。幼い子供時代は毎晩何かに脅え、恐怖心を乗り越えるのに必死だった。
 リヴィングにいる時、母親が「来る!」と叫び、何かが駆け下りてくる夢は幼児からずっと見続けている。二十~三十代になると見る回数は減り、四十代から再び増加した。五十代の現在、毎月一回の頻度で見ている。
 ちなみに、何かが階段を駆け下りてきた夢の翌日は転びやすく、駅の階段を踏み外して転げ落ちたり、雨に濡れた路面で滑って膝と腕を擦り剥き、雪の日のランニング中に転んで前歯を折ったこともある。単なる偶然では片付けられない。
 そして昨夜、何かが家に入り込んでいる気配に背筋が凍り付いた。
 夢の中で、階段の下から誰もいる筈のない二階に向かって叫んだ。
「おお――い!」
 虚勢を張り、大声を張り上げたつもりが脅えてくぐもった声しか出せない。
 思い通りの声が出せないことで、これが夢だと気付いた。夢の中では声量のコントロールが出来たためしがない。
「おおお――い! 誰だああ――!」
 無駄だと解っていても叫んでしまった。喉を締め上げられた鶏の断末魔のような自分の声が気色悪い。自分の声でよけいに怖くなった。
 夢だと気付きはしたものの、意識は半分しか覚醒していない。残り半分が二階にいる者の気配を感じ、その恐怖に支配されているのだ。
 突如、何者かの気配が振動となって天井に響き、階段に近付いて来た。恐怖は頂点に達し、もう堪えられなくなった。危険を感じ、夢から脱出するためにもがいた。覚醒を促そうとするが手足がまったく動かない。
 明晰夢ではお馴染みのことだが、しばしば金縛りと同じ状態になる。魂、霊体、霊魂、自我、本体などと様々に呼称されている〝精神体〟が肉体の外に出てしまうことで、体外離脱と関連付けて語られる所以である。
 夢の中の自分は気配だけでこんなに脅えているのだから、姿を見たらどうなってしまうのか心底怯えた。

 その時、真っ黒な影のような、ふわふわした塊が階段の上に姿を現した。 

 あれはまずい! わたしは全力で手足を振り回し、夢の呪縛を解いた。 
 無理に覚醒したからだろうか、体中が痺れて動かなかった。
 目覚めると、決まって喉が痛い。本当に絶叫していたのだ。妻にうるさい! と怒鳴られ、頻繁に叩き起こされるのがその証拠だ。



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