ドリーム・トラベラー 第一夜 夢は過去とつながっている
同じ悪夢
小学生から中学生にかけて、毎晩のように同じような悪夢を見た。
例えば、一人で家にいる時、物音がしたので一階に降りると、形容しがたい姿の化け物に電池のような物を鼻に押しつけられるといった夢だ。そいつは紙袋のようなゴワゴワした袋を頭に被り、体は熊のような体毛に覆われていた。背丈は大人にしてはやや低い。
もう一度電池みたいな物をくらったら自分が消滅してしまう気がしたので、何とかそいつを振り切り、公園に向かって全力で逃げた。すぐにでも追いつかれそうな気配を背後に感じて速度を上げた。
ふと気付いた。かなりの距離を全力で走ったのに呼吸が乱れておらず、苦しさも感じない。恐怖による心臓の動悸はあるが、全力疾走の苦しみとは比べものにならない。ということはつまり、これは現実ではなく夢を見ているのだと。
これが初めての明晰夢体験だった。
しかしながら、なんだ、夢なら安心、とはならなかった。夢だと知ったところで化け物に追われている事実は変わらない。それどころか、夢であれば尚更、変身したり巨大化するなどとんでもない手段で襲ってくることも考えられる。そう考えると恐怖の波が最高潮に達し、足が思うように動かなくなってきた。
小学生時代のわたしは、犬に吠えられただけで体が竦んでしまい、その場から動けなくなってしまうほどのヘタレだった。夢を見ていると認識しているからこそ、現実の軟弱さが優位になってしまったようだ。
どうにか足を動かし、目の前にある集合住宅のドアを叩いた。足も腕もスローモーションのように緩慢な動きだった。
ドアは開かず、隣の家に向かった。今度はインターフォンを鳴らしたが、応答はなかった。
このままでは化け物に捕まってしまう。
やばいやばいやばいやばい――。
そこで、失神したかのように暗転した。
いつの間にか自宅にいて、家族でテーブルを囲んでいる。
「電池を持った熊のような化け物に襲われる夢を見ただろう」
父が唐突に訊ねてきた。視線はテレビを見据えたままだ。
わたしは返事をしなかった。父がその出来事を知っているという事実が衝撃的すぎて、反応出来なかったのだ。
「まったく、おまえは弱虫で情けない野郎だ」
父は煙草の煙で作った輪の中に箸を差し込んだ。
すると、わたしは夢から遠ざかり、目を覚ました。
*****
この夢を見たことを思い出したのは、最近になって同じシチュエーションの夢を何度も見たからだ。
最近見た夢は、自分が〝侵入者側〟という大きな変化がある。同じ夢でも視点が違うのだ。
幼い頃に見た熊の化け物の正体は、着ぐるみだった。クローゼットの中から服が消えており、服の代わりになるのは黒い体毛に覆われた着ぐるみだけだった。恐らく熊だと思うが、頭部が見当たらない。ぴったり顔を隠せるサイズのかぶり物といったら、どこかのアパレルショップでもらった紙袋だけだった。
着ぐるみを装着した途端、わたしは実家にいた。
ドアには鍵がかかっておらず、母親は不在だった。
二階へ続く階段から、恐る恐る小学生くらいの子供が降りてきた。見覚えのある顔だ。
わたしは小型のデバイスを手にしており、それを子供に渡そうとするが、子供は喚きながら激しく抵抗する。
目を覚ましてから、その子供が自分自身であったことを思い出すのだが、夢の中では気づけなかった。小学生時代にはあまり写真を撮らなかったので、自分の姿を見てもすぐには判らなかったのだ。
この夢の場合、見始めから夢を見ていると気づくのだが、服がないので着ぐるみを着るしかないという、逃れられないシチュエーションであり、いきなり実家に飛ばされてしまうので、自分の意思で行動するチャンスさえなかった。
子供が嫌がっているのに小型デバイスを渡そうとする自分を制御出来なかったのは、なぜかそれがとても重要な使命であると確信していたからだ。プログラミングされたようなストーリーから逃れられない通常の夢と違い、強い使命感で動いていたのだ。
あんなに恐ろしかった化け物の正体は、未来の自分だったのか?
化け物に追われて逃げるしかなかった子供時代の悪夢は、時間という概念が存在しない夢の世界を通じて現在とつながっているのかも知れない。
この謎は、やがて解き明かされることになる気がした。
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