独居の母が路上で転倒した。通りかかった人が救急車を呼んでくれた。そんなメールが母から来たのは夜。とうとう、緊張が走る。だが、メールは実家のパソコンから、入院するほどではなかったらしい。すぐに電話、声は元気そう。 「顎の絆創膏がじゃまで食べにくい」 前のめりの転倒か。頭は大丈夫だろうか。 「ガラガラやったよ」 CTで脳内出血を検査したのか。それで自宅に帰されたのなら、ひとまずは安心。 「それで明日、支払いに行くよ」 母は、公民館でハンドベルの帰りだった。保険証は持ってい
その土曜の昼過ぎ、緊急検査が出た。通常週末は検査をしない。往診でも検査はしないのに、土曜の往診で検査をしたのなら、よほど危ない患者なのだろう。検査画面をクリックすると、T先生ではないか。NTTコムウェア時代の研修講師だった。 着任したばかりの新社長が、部長たちがたるんどる、と命じた外部研修だった。二年毎に降ってくる社長の、また思い付きか。安ホテルで三日間の缶詰めと聞いてうんざり。ところが、研修が終わったときには、帰宅してすぐ妻に受講を勧めた。それほど、T先生の魅力にやられ
街角で「訪問看護ステーション」をよく見かけるようになった。在宅患者のナースステーションである。この十年で倍増し、現在全国一万一千、看護師が三人集まればマンションの一室でも開業できる。その訪問看護師にも電子カルテを使ってもらおう。二〇一二年の運用開始当初から準備を始めた。まずは放送大学の在宅看護論を録画。 在宅医療は病気を治すことが目的ではない。慢性疾患を抱えた高齢者が自宅で穏やかに過ごしてもらえるよう支援する。「なので、じつはほとんどやることがないんですよ」とある医師。医
NTT法は、私が電電公社に入って4年目に制定された。民営化しても公的な役割を果たすよう縛る法律。その法律を、今度は政府が廃止すると言い出した。 政府にとってNTT株は打ち出の小槌だ。民営化後の初値は160万円、それが300万円まで高騰。1987年、政府は1/3を売却して10兆円を手にした。 NTTを政府がコントロールするため、1/3は保有すると決まっていた。それを売却しようというのだ。今の株価では4.7兆円。そのためのNTT法廃止。 通常の会社なら、株を売って資本を集
医は仁術と言うが、善意だけでクリニックは続けられない。経営工学科を卒業した者として、クリニック経営を見える化できないか、電子カルテ開発の傍ら考えた。 まずは、いま何人診療しているか。「診療中」状態の患者を検索してみると、とんでもない数だ。すでに亡くなられているのに状態を「死亡」に変えていないのだ。全患者の状態を点検するのは大変だ。最近カルテを書いた患者を数えてみる。すると、来月から診療する老人ホームの四十人は入ってない。「在庫を数えるのは大変なんだ」と大学の先輩が言ってい
国保連でのドタバタにもリクエストがあった。 私が国民健康保険団体連合会を知ったのは退職してから。区役所に申請すると保険証が切り替わる、それだけの知識だった。 クリニックは、社会保険は支払基金に、国民保険は国保連に請求する。締め切りは同じ10日だから、私はきょう両方に行かなければならない。九日、クリニックでのCD作成を部下が手伝い、十日朝、駅で部下からCDを受け取った。 支払基金の受付は普通の会議室だ。教室程度の広さを3日間だけ受付にしている。ただし、室内は受け取ったも
CDのプラスチックケースを無料でもらえるところがある。社会保険診療報酬支払基金、略して「支払基金」。東京支部は池袋駅前にあり、我家から徒歩圏だ。 支払基金とは、病院やクリニックが医療保険を請求するところだ。私たちの負担は三割、残り七割の請求が毎月十日の締め切り。請求データをCDで持ち込む。 NTTでは請求日を六群に分け、事務の平準化を図っているが、医療保険は全国一律十日だから、支払基金の受付に行列ができる。先月の請求に使われたCDは廃棄され、残ったケースが受付横に積まれ
在宅医療では介護保険も請求できる。医師が介護者に医学的情報を提供する対価である。電子カルテ開発を始めた当初は医療保険のみで、介護には目もくれなかった。(そんな余裕はなかった)しかし、介護も医療の一割程になる。在宅医療を中心に経営するなら、重要な収入源だ。 外来がメインだが、往診も少人数やっているクリニックがある。高齢の患者が通院できなくなり、好意で訪問診療を始めた。そのようなクリニックでは、介護保険は請求していない。理由は人材だ。 医療も介護も両方請求できる人はまずいな
診療中のクリニックに電子カルテシステムを導入するのは一カ月のマラソンだ。システム切り替えの一カ月前から準備を始める。事務スタッフは通常業務で手一杯で、導入準備には手が回らない。私たち開発チームが並走して準備することになるのだ。 新規クリニックへの導入なら数日の研修で済む。しかし、導入の大半が、患者が増え、医師が増え、電子カルテへの不満が増しての切り替えだった。 【もっと前から少しずつ準備すれば?】 早く準備を始めれば、切り替える前に患者が亡くなっていく。空振り入力が
自宅に高齢の患者がいる家族は、何かあったら医師にすぐに来てもらいたい。老人ホームも同じだ。厚労省は、二十四時間三百六十五日の電話と往診を医師に課している。それは医師にとって大きなハードルだ。 在宅医療は、医師一人、マンションの一室でも始めることができる。しかし、高い志で始めたのに数年で燃え尽きてしまうのは「あの先生は夜中でもちゃんと電話に出てくれた」「深夜でも往診してくれた」と評判になり、患者が集まったからだ。毎晩こんな電話がかかってくるのだ。 「先生、次来るのはいつでし
別の新人には薬局を担当してもらった。薬剤師は薬を患者宅に届けている。在宅医療に欠かせない役割を担っている。 薬剤師は医師に質問できる。「疑義照会」という。薬Aは薬Bと一緒に飲むと副作用の危険がある。薬剤師がそれに気づき、医師に連絡する。処方せんには、発行した医師名、クリニック、電話番号が記載されている。あれは疑義照会のためなのだ。 病院では診療科を受診して処方せんをもらう。複数の診療科で処方せんをもらうと、飲み合わせに問題が出る可能性がある。他でどんな薬をもらって飲んで
新人にいきなりカルテ周りの開発は無理だ。知識もだが、クレームで挫折するのが心配。そこで、新しく作る老人ホーム向け画面を担当してもらうことにした。 老人ホームには、NTTコムウェア時代、ヒアリングに行ったことがある。私は社宅をターゲットに住宅検索サイトを企画していたのだが、退職者向けに高専賃(高齢者専用賃貸住宅)の検索をやろうと持ち掛けてきた人がいた。高専賃は二〇一一年、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に改名される。いまは二十五万戸もあるサ高住だが、二〇〇〇年当時、高専
電子カルテの運用初日、最初の電話から謎だった「しゅそでてへんよ」シュソって何ですか?「いや、あのね、出てへんのはタイトルやねん」 患者としてクリニックに行くと「どうしました?」と訊かれる。「主訴は?」とは訊かれない。主訴はカルテに記載する。カルテを印刷したとき「主訴」というタイトルが印字されない、というのが、この問い合わせの主訴だった。 プライドを捨て、新人として取り組む覚悟だが、五十六歳である。相手が新人と思ってくれない。この電話も、呆れて切られてしまった。それでも喰
医師が電子カルテに求める便利さは「賢さ」。できるだけ少ない操作でカルテを書きあげたい。プログラマがエディタに、チェックや自動補完を求めるのに似ている。 「病名を診断したら、あとは自動で書いてほしいなぁ」という医師がいて驚いた。機能を指定したらプログラムが出来てしまうってイメージ?じつは病院での治療は、入院時の診断で決まる。厚労省が診療報酬を病名に対して決めているからである。それならカルテも自動で、となるのだろう。 在宅医療が対象とする高齢の患者は、多数の病気を持っている
ウクライナのニュースにイスラエルが加わった。嫌な時代になってしまったものだ。 私が戦争を身近に感じたのは湾岸戦争だ。夜のバグダッド上空を乱れ飛ぶ高射砲の閃光が、準備してきた海外出張をキャンセルにした。まだ私は戦争のニュースをSF映画のように見ていた。渡航禁止、ドル高に関心を持っただけだった。もう海外出張のチャンスはないだろうと、そのときは思った。 多国籍軍は数カ月でクウェートを解放し、翌年私はカナダで半年間の研修を受ける機会を得る。なんだ戦争は案外簡単に終わるのか・・・
印刷した紙の山が、毎月クリニックの机を占領している。在宅医療では、たくさんの書類を発行しなければならない。電子カルテは、書類作成支援システムでもある。 「紹介状」 「診療情報提供書」 「在宅療養計画書」 「退院時共同指導説明書」 「主治医意見書」 「医師意見書」 「訪問看護指示書」 「特別訪問看護指示書」 「精神科訪問看護指示書」 「精神科特別訪問看護指示書」 「褥瘡対策に関する診療計画書」 「訪問リハビリ指示書」 「マッサージ同意書」 「あん摩マッサージ指圧同意書」 「介