戦争

 ウクライナのニュースにイスラエルが加わった。嫌な時代になってしまったものだ。
 私が戦争を身近に感じたのは湾岸戦争だ。夜のバグダッド上空を乱れ飛ぶ高射砲の閃光が、準備してきた海外出張をキャンセルにした。まだ私は戦争のニュースをSF映画のように見ていた。渡航禁止、ドル高に関心を持っただけだった。もう海外出張のチャンスはないだろうと、そのときは思った。
 多国籍軍は数カ月でクウェートを解放し、翌年私はカナダで半年間の研修を受ける機会を得る。なんだ戦争は案外簡単に終わるのか・・・
 「戦争一覧」というウィキペディアによると、戦争や紛争は世界中で起きている。2000年以降に絞っても34件あり、うち15件は終わっていない。まだ継続している。戦争は世界の日常なのだ。
 2001年9月11日、ワールドトレードセンターに旅客機が突入した。その夜、帰宅したのがちょうど一機目が突入した直後。テレビをつけると、私が前年の12月に泊まったビルが映っているではないか。あの最上階でパーティーがあった。これはSF映画?と思って見ていると二機目が。ちょうど娘をイギリスの中学に留学させたばかり。その年末の帰国は即刻中止とした。
 戦争が国対国から、対テロに変わった。911の首謀者を米国が殺害できたのは2011年、そしてアフガン侵攻の終結は2021年。ベトナムと肩を並べる長期戦になった。
 だが、私たちの関心は長続きしない。世界のどこかで戦争は継続していても、直接影響はない。それよりもう嫌なことは毎日見たくない。ニュースもすぐ騒がなくなる。
 私はテルアビブに出張したことがある。だから、2023年10月7日ハマスのミサイル攻撃のニュースはショックだった。
 それは2004年、イスラエルの元高官が主催した5日間のIT視察ツアーだった。ツアーの間、その高官のお抱え運転手がずっと私を世話してくれた。
 観光ガイドには、「テルアビブは地中海に面したビーチリゾート」とある。近代的な高層ビルとオスマン帝国時代の旧市街、住宅地には意外と緑が多い。美しい街だが、ホテル、オフィスに乗り付けると、必ず数人の警備員が車を取り囲む。
「爆弾点検ですよ、ほらあの鏡で車の底もチェックします」
 だから安心でしょと言いたいようだ。交差点で戦車の後ろに停まった。
「これはエイブラムスを改良した最強戦車ですよ」
 商店街を機関銃を背負った女性が普通に歩いている。
「女性にも徴兵があり、彼女ら戦車も運転するんですよ」
 なんか物騒ですねえと茶化すと、
「この街はミサイルが守ってるから安心してください」
 それがアイアンドームだとあとから知る。まさか迎撃する様子をテレビで観ることになるとは。火種はずっとくすぶっていたのだ。
 その運転手が私を博物館に連れて行った。閉館間近で、ガイドツアーも終わっており、誰も居ない。そこで彼が、広大な博物館をフルコース説明してくれた。ユダヤの歴史、イスラエルの歴史を初めて学んだ。
 それで少し興味が沸き、その後夫婦でホロコースト記念博物館(ワシントンDC)を訪ねる。ニューヨークのワールドトレードセンター跡の博物館も訪ねた。知れば知るほど、その裏に見えない人々がいることを意識し始めた。彼らの歴史を語る博物館はないのだ。
 たとえば原爆なら、ワシントンDCの博物館に「多くの米兵を救ったB29」が展示されている。一方、広島長崎のの博物館には「一瞬で奪われた多くの人命」が展示されている。勝者と敗者、落とした側と落とされた側、両方がある。
 マレーシアでイスラムの美術館を訪ねたことがある。素晴らしい美術品が膨大にあることを知った。他では片隅にちょっと展示されているだけ。イスラムにも長い歴史があり、多くの英雄がおり、豊かな文化があった。
 ワールドトレードには、2763名の名前が飾られている。イスラエルにもいつか、今回の記念碑が建ち、ハマスに殺害された名前が飾られるのだろう。
 2004年、私はガザまで行っていない。エルサレムにも行かれなかった。(ちょっと治安よくないと元高官に留められた)それでもテルアビブの街には、イスラム系の人たちがたくさん居た。路上で食べたり飲んだり談笑している彼らを車の中から見た。なぜ分かるか。それは運転手が教えてくれたからだ。
「ほら、あいつらイスラムですよ」
 それは金曜だった。イスラム教の安息日、ユダヤ教は土曜なのだ。金曜に休む奴らがなぜテルアビブに、こうもうじゃうじゃ居るんだ、と運転手は腹を立てている。
「そうだ、ミスターの安息日は?」
 日本人は何も考えずに休んでいるが、日曜と答えればキリスト教徒と判断されてしまう。そういう見方をする運転手に抗う気持ちになった。そこで笑ってこう答えた。
「ジャパニーズビジネスマンに安息日は無いんだよ」

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