医師が電子カルテに求める賢さ

 医師が電子カルテに求める便利さは「賢さ」。できるだけ少ない操作でカルテを書きあげたい。プログラマがエディタに、チェックや自動補完を求めるのに似ている。
 「病名を診断したら、あとは自動で書いてほしいなぁ」という医師がいて驚いた。機能を指定したらプログラムが出来てしまうってイメージ?じつは病院での治療は、入院時の診断で決まる。厚労省が診療報酬を病名に対して決めているからである。それならカルテも自動で、となるのだろう。
 在宅医療が対象とする高齢の患者は、多数の病気を持っている。高血圧、糖尿、認知、便秘、胃炎、不眠、腰痛、、、いずれも完治は難しい。背景には老化や衰弱があり、さらに生活習慣や経済状況も関係している。また、後遺症もかかえている。在宅で過ごす最期の数年間、転倒や誤嚥の事故も起こる。医師は多くの選択肢を試行錯誤することになる。
 病名や薬に関するデータベースは市販されているが、そんな高価なものは使わず、何か支援ができないか。まずは処方されている薬の相関を見てみることにした。相関の高い薬をリコメンドすることができるのではないか。
 クリニックの中で開発している最大のメリットは、実績データが目の前にあることだ。薬AとBが同時に処方される確率を計算し、そうした組み合わせを確率順に並べてみる。週末計算を繰り返してみたが、どうやら相関はとても低い。多くの病気を抱え、様々な症状が出るのに対応しているのだから、顕著な相関がないのは、むしろ当然だったのである。
 大学の統計学、最初の授業で「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」問題を知った。もしこれが事実なら、コウノトリが多い年は生まれてくる赤ちゃんも多いはず。イギリスの統計学者が相関をとってみたら、本当に高い相関だったそうだ。もちろん、コウノトリは赤ちゃんを運ばない。高い相関を「原因と結果」と考えてはいけない。隠れた真の因果関係があるのだ。
 相関が低くてよかった。もし高い相関を偶然見つけていたら、それに安易に飛びつき、「AI処方」などと喧伝していたかもしれない。
 賢い支援をひとまずあきらめ、まずパソコンの用語辞書を整備することにした。Windowsのデフォールト辞書には入っていない褥瘡(じょくそう)のような語を登録しておくだけで、カルテやメモを書く生産性があがる。
 医学用語辞書も市販されているが、安くないし、電子カルテの利用者に勝手に配布はできない。自前で作ることにした。ネットから集め、さらに既存のカルテの文中から集め、五日間ひたすら取捨選択して七千語の辞書ができた。
 看護師用に多数購入したタブレットに登録すると容量オーバーになった。三日かけて三千五百語まで絞ったが、まだオーバー。さらに二千五百語まで絞って、ようやく収まった。
 夏になると「インスイが変換できない」とクレーム。どんな漢字ですか。書いてもらうと「飲水」。(勉強になります)
 「セット」を導入せよとの要望は強かった。大手の電子カルテシステムにある機能だ。病名や症状に対応したカルテの文面、検査、処方をセットとして、医師毎に登録できる。賢くはないが、とりあえず便利。だが、セットには苦い思い出がある。
 電子カルテの乗り換えが決まったクリニックで、「ところで俺のセット、移行してくれるよな」とある医師が言い出した。移行一カ月前だ。いくつありますか?「数えたことないな」見せてもらうと百以上ある。流行性感冒セット、水虫セット、痛風セット、骨粗鬆症セット、、、階層構造のメニューをめくってもめくっても出てくる。
 この医師は整形外科出身だった。在宅では内科はおろか、皮膚科、精神科、あらゆる診療に対応しなければならない。総合医として勉強しながらセットを作ってきたようだ。
 その電子カルテでは、セットを一覧することもできない。休日にアカウントを借り、無人の診療室で画面を写メしながら、これは乗り換え防止対策だと思った。便利な秘書の首は切れない。
 そのクリニックでは、ただ一人の電子カルテ運用者が辞めてしまい、それが乗り換えの主要原因だった。その医師のセットも、きっと辞めた担当者がメンテしていたのだろう。
 他の医師はセットをほとんど使っていなかった。登録していても「移行しなくていいよ」という。一人の医師のセットだが、開発と移行の費用を4人月と見積もった。使いやすい編集機能には、もっとかかるかもしれない。ところが、「そんなにかかるなら」と乗り換え自体が白紙に戻された。(後日その医師が倒れ、乗り換えることになるのだが)
 外来では新規の患者が大半だから、セットは省力化・時間短縮に有効。でも在宅では、多くの患者が病院から退院して在宅医療を始める。病院から診療情報をもらい、病名や処方はスタッフが予め入力しておく。医師はそれを修正していく。だから、膨大なセットを、しかも医師毎に用意する意味はない。
 検査セットでも「百個登録できるように」と言う医師がいた。検査は主に病名を判定するために行うから、百でも作れるのだそうだ。だが、狭いノートパソコンの画面にメニューをどう押し込み、患者宅の畳の上や車の中で選択してもらうか、そっちの方が難しい。
 とりあえず十個登録できる画面でリリースした。その医師が登録したのは二つだけだった。他の医師の登録がなかったのは、クリニック全体で共有する検査セットを設けたからだ。セットを選択したあと、項目を追加したり削除したり、調整できるようにした。他の電子カルテシステムでは、セットの内訳を簡単に変更できない。それでセット数が爆発していたのではないかと思う。
 処方のセットを要望した医師もいた。用意してみると、登録は二種類だけ。(そんなことだろうと思った)その医師は一年で転職され、真のニーズを訊けず終いだった。私は、用法がポイントではないかと考えた。
 医師は薬は覚えている。しかし、用法となると、心もとないこともあるようだ。薬の「添付文書情報」をググればいいのだが面倒。特に高齢者は塗り薬をよく使う。たとえば、アズノール軟膏をもし「おしりに30グラム」と処方すると面倒なことになる。販売されているのは20グラムのチューブ入りと500グラムの瓶入りだからだ。そこで、アズノールを選択した際「1チューブは20グラム、1瓶は500グラム、どうします?」とポップアップするようにした。
 不思議なことに、セットに固執した人たちはすぐ辞めていく。病院の大手電子カルテシステムが懐かしいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?