クリニックの経営分析

 医は仁術と言うが、善意だけでクリニックは続けられない。経営工学科を卒業した者として、クリニック経営を見える化できないか、電子カルテ開発の傍ら考えた。
 まずは、いま何人診療しているか。「診療中」状態の患者を検索してみると、とんでもない数だ。すでに亡くなられているのに状態を「死亡」に変えていないのだ。全患者の状態を点検するのは大変だ。最近カルテを書いた患者を数えてみる。すると、来月から診療する老人ホームの四十人は入ってない。「在庫を数えるのは大変なんだ」と大学の先輩が言っていたことを思い出す。
 新規が入ってこないと、患者はどんどん減っていく。クリニックのキャッシュフローは、つまり患者フローである。患者はどこからやってきて、どこへ去るのか。ゴーギャンの絵に「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」というのがある。
「今月診療を始めた」
「先月から継続して診療中」
「今月入院した」
「今月死亡した」に患者を分類してみた。
 いま患者が多いのは、たまたま新規が多かったからか、入院や死亡が少なかったからか。(入院して月二回の訪問が一回になっても報酬はガクンと落ちる)
 在宅の患者は歩いてやって来ない。病院からの紹介とケアマネジャーからの紹介が大半だ。そういう人たちにクリニックを知ってもらう必要がある。診療の合間に挨拶して回り、パンフレットを置いてくる。そういう努力をしている医師に試しに患者を回してみよう、となる。
 完治しての退院ではない。慢性疾患をいくつも抱えての退院だ。世話する家族も大変だから、家族も含めて支えることができる医師、看護師が求められる。病院から選ばれる必要がある。
 これまでどの病院から何人紹介、どのケアマネジャーから何人紹介してもらったか、新任の医師に知ってもらえるよう、一覧にした。しばらく紹介がないところ、これまで紹介のないところには挨拶に行く。地道な営業が非常に重要だ。
 患者が亡くなるのはしかたがない。問題は、残された人の納得である。在宅医療の指標として、国は看取り件数を重視している。臨終に立ち会い、死亡診断書を書くことだが、本当はそのもっと前から、これから何が起きるか丁寧に説明しておくことだ。
 最後に病院に搬送してしまうと、在宅医は看取りができないことになる。家族が搬送を選んでしまうのは、多くの場合、死という現象を知らないからだ。在宅医との信頼関係も重要だ。お看取りができなかったケースを反省している医師たちを見ると、難しい仕事だと思う。
 経営的に見れば、看取りの売上は大きい。しかし、臨終に立ち会うことばかり優先していては、医師の身体が持たない。危ない患者を入院させてしまえば、夜ゆっくり眠ることができる。ワークライフバランスを悩むことになる。
 年間の看取り件数は、在宅クリニックの重要な評価尺度となっている。病院で看取るのと比べ、在宅は桁違いに安い。だから国は在宅を推進している。クリニックは毎年「様式11の3」を報告しなければならない。たった二頁、記入する数字は二十余り。だが、その記入には一カ月余りの超勤が要る。中でも「平均診療期間」が難問だ。
 患者の診療期間はどう分布しているのか、横軸に初診からの日数、縦軸に患者数をグラフに描いてみた。見事な「自由度1のカイ二乗分布」になった。L字型のロングテールだ。診療一日(退院して在宅を始めたとたんに亡くなる患者)が非常に多い。診療の事前準備は水の泡になるのだが、しかたがない。一方、数年お付き合いする患者も少なからずいる。
 ただし、平均診療期間は、月二回の定期診療を行った「管理患者」が対象で、たとえば一回の診療で他界された方は対象とならない。管理患者の定義は他にもあり、集計は面倒だ。
 在宅患者二百人でも年間のカルテは五千件。これをめくって数えることになる。「別途料金を払うから集計して」と泣きつかれた。カイ二乗分布の平均を求めることに、どんな意味があるのか、とは思うが、そんな集計作業から事務スタッフを救ってあげよう。
 やってみるとプログラムがタイムアウトしてしまう。一年分をまとめて集計すると計算量が多すぎた。そこで、毎月集計し、データベースに保存するようにした。それを元に年間を集計するのは、あっけない程速い。あまり速いとありがたみがない。プログラムにこっそりタイマーを挿入し、少し考えてから結果を出すようにした程だ。
 患者数は少なくても、重症なら報酬は大きい。末期ガンのように不安定な患者を診た場合、加算がつき、診療報酬(売上)がアップする。安定した患者を多数診るのと、どちらの戦略をとるか。医師毎に売上金額を一覧にできるプログラムも作った。
 書類を書くことも、医師の重要な仕事である。書類発行には報酬がつかないが、関係者に書類をきちんと発行している医師は信用され、患者を紹介してもらえる。間接的には売上に貢献する。
 担当患者数、売上額、書類件数という数字だけで、単純に医師を評価できるものではない。しかし、同僚がどう働いているのか、医師が互いに知ることができる。自分ばかりやらされている、と被害妄想を抱いたり、給料が安いと不満を言う前に、客観的な数字を見てもらう。
 あるクリニック経営者が、電子カルテの利用料を安くしろと文句を言ってきた。そこは医師の個人開業ではなく、会社社長が経営していた。そこで、いくつかの統計を印刷して持参した。さすが経営者である。目の色が変わった。
 医師の給料は、野球選手のように年俸だ。契約更新で選手は「この球団は俺が背負っている」と主張する。野球を知らない社長さんは困っていた。ベテラン医師の売上は、若い医師の半分だった。それを眺めて社長さんは「うーむ、そうだったのか、年俸は倍なのに」とつぶやき、それから一年して院長が交代した。
 昨年一年、お付き合いした方々にアンケートを発送したい、という相談があった。ご家族、ケアマネジャー、老人ホーム、薬局、訪問看護師、すべてに郵送したいので名前と住所の一覧を作れないか。抽出すると数千件にもなった。そもそも全関係者にアンケートしているクリニックなど稀なのだが、そんな集計をしている電子カルテシステムは他にない。

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