野原
嘘と解釈と事実
要約、概要、短縮、抄録、省略
解釈と考察と思想
何処へ行っても、煩わしい程に人。「自粛」「死ね」「別れろ」その構成要素たる我が身を棚にあげ、すれ違い様に呪いを振りまいて、ヨタヨタ歩く。 交差点が真っ赤に染まると、辺りはオーケストラが第二楽章を終え次の準備をする時のような、余韻で満たされる。急に風邪をひいたの、と心配になるくらい、老男女が一斉に咳をし始めるあの時間によく似ている。 次第に、緊張が場を支配する。全員の意識が、一点に集まるからだ。信号機は不遜に太々しく、倨傲にふんぞり返って、人類を見下す。やつは自分を、
前話 → #1 「ベランダ、もしくは水中」 * 他所と比べても、随分未熟な母親だと思う。 僕が母の手を引いて、幼稚園のお迎え用バスの停留所へと、連れて行ったこともある。 母はいつもふらふらと、知らぬ間に家を出ては、知らぬ間に帰ってくる。 数枚の写真でしか顔を知らないけれど、毎月二人分の生活費を振り込んで、何処かで好き勝手に生きている父の方が、僕にとっては大人という存在に近かった。 「あのさ、お迎え要らないよ」 子どもながらの気使いだった。僕はとうに一人で行けるから
←まえ 電車は周期的に揺れる。 全国模試を受けるために、少し遠い私立大学へ電車で向かった。 惰性で用語集を捲りながら、あるはずの緊張感が湧かず、そのことに苛立ちを覚えた。 帰り道は隣の市や町の、知らない顔なのに同い年の少年少女がたくさんいて不思議な気持ちになる。 「蒔白くん!」 東門を出たところで、やけに通る声で名前を呼ばれた。目線を上げると伊織が背中のリュックを気にしながら両手をぶんぶん振っている。 周囲の視線が伊織、そして僕の順番に注がれる。 「おいマジで
今月もだめみたいです、来月はよくなりたいです
アスファルトが湯気を立てそうなくらい暑苦しい八月に正気を保っていられるなんて、狂気そのものだ。 巨人のため息みたいな、湿り気と熱気を含んだ風がどっしりと身体を撫で回す。何らかの試練なのでは、と思うけれど、悪いことばかりでもない。例えば冷房の快楽、それとシースルーカーディガンが流行ったことくらいには、暑さに感謝状をあげたい。 夜の公園ってエモくていいよな、なんて今だに「エモい」を選び取るワードセンスは、最早ネタか皮肉かと思うけれど、砂利をじゃりじゃり踏む足取りは軽やかだ
ロッシュ限界 惑星や衛星が、破壊されることなく近付ける距離の限界のこと。 * あの日から一年が経った。 墓石に柄杓が当たると、かこんと間抜けな音が鳴った。水が抜けていくほどに軽くなる繪先を、落とさないために込める力の度合いが難しい。 「あー!先輩を叩いたな!」 そう言いながら墓石の頭をぴちゃぴちゃ鳴らしながら撫でる伊織の愛らしさに、曖昧な笑みを向ける。 三年一組、僕と伊織は同じクラスになった。担任に国公立を目指すことを伝えると入れる、学年でも一つしかない特進ク
毎月惰性みたいな呟きをしているし卵は値上がりするし日経は高止まりするしラーメンは美味しいし人生は続くし
金山駅から名鉄の常滑行きへ乗って、神宮前駅で降りる。昔は小さな駅だったけれど、いつの間にか再開発が進んでいて、いまや無印良品やマツモトキヨシの入った、ちょっとした商業施設になっている。 西側の出口を抜けると、空は透き通るように晴れている。まだ肌寒い四月の風に備えてルーズコートを着ていたから、日向が暑くて微かに汗が滲んだ。 仄かな湿りが気になるなら脱いでしまえばいいのだけど、脱いだコートで手が塞がるのは面倒だから、その選択肢は最後まで取っておきたい。 「大事な話がある
問題、というのは、現在と目標との誤差のことだ。例えば将来お医者さんに、パン屋さんに、画家になりたい。しかし現在、君はそうではない。君は僕が90分間話し続けるのを、うつらうつらしながら、未知との出会いに多少期待しながら、同時に諦めを抱いて受講する。そういうありふれた学生の一人でしかない。 もしかしたらこの大学で、僕の講釈を拝聴するのが目標でした、なんて人は、いないと思うけれど、新しい目標が生まれた筈だ。生まれていないなら、新しい目標設定が目標だ。すると、目標というのは常に自
カタ、とシンクに置いていた平皿が、何かのきっかけで小さく鳴った。はっとして毛布から飛び出して、その一瞬で、私は夏になる。寝惚けた耳に優しく零れる油が弾ける音と、焼けたトーストの香り。夢みたいに消えたのに、現実みたいに覚えてる。薄暗い冷え切った台所に、まだ貴方がいるような気がして。
#3←前へ U子が三つ目のパフェの底を突く頃には、外はすっかり暗くなっていました。テーブルに置かれたスマホをひっくり返すと、デジタルの数字が二十時半を示していました。 私たちは話題を消費し切って、胃袋には息が甘くなるほどパフェが敷き詰まっていたので、これ以上やることもなく、家の方向が正反対なので、駅前で解散することにしました。 U子がホームへの階段を登って見えなくなってから、スマホを確認しました。液晶には一件の不在着信があって、そのすぐ下に「K太」と書かれていまし
#1←前へ 「好きぴに振られた!もう生きていけない!!!」 私はこの手の相談にウンザリしていました。そこまで言うならサファリパークの猛獣たちの渦中に置き去ってやろう、と喉を出かかったところで、 「私にはA美しかいないよ」 というまたしても安易な断言に、その実直さだけは評価するべきなのかしら、と半分くらい考えながら、調子の良さに呆れました。 普段は人間社会というサバンナでライオンの骨髄をむしゃぶるほど逞しいのに、こうして一人前に憂いていると年相応の女の子なのだと思いまし
鞭もつ手で涙を 馭者はおしかくし これでは世も末だと 悲しくつぶやく * どうして、来てしまったんだろう。 好きでもない男とのデートは、決まって苦痛なもので、まして、憎い相手ならいっそう、疎ましいというのに。 この先に起こる、茶番の数々を予見して、漏出した緩い溜息は解けて、夏の一部になった。 俗説的に溜息を吐くと、幸せが逃げてしまうらしい。けれど私のヘモグロビン、或いはタールで塗れた肺の中に、そんな摩訶不思議が宿っているなら、もっと妙々に暮らしている筈だ。
それは、あの日の一年前のお話 海の向こうの水平線、曖昧に境界を塗り潰す薄雲が張った、蒸し風呂みたいな真夏日だった。 二年の先輩が死んだ、らしい。 地域の噂に聡い母親が、英国のEU離脱の話と共に教えてくれた。 僕は殆ど関心がなかった。他人の生死なんて、トーストの格子模様をピーナッツクリームで塗り潰してる、この瞬間にも繰り返されて、一々数えていたらキリがない。だから仮に僕が死んだとして、他人に悼まれる筋合いもない。 「蒔白知ってる?霧星さんって方なんだって」 僕は
「ねえ、なぞなぞしない?」 佐登瑠夏、僕の婚約者はいつも急だ。 一番驚いたのは付き合って四年、同棲して八ヶ月、瑠夏は唐突に言った。 「なんか、結婚してよくない?」 朝食にトーストを齧りながら、最愛の人からのプロポーズ。 ムードゼロ、脈絡ゼロ、式への蓄え、親の挨拶などの根回しゼロ。だけど不安とか疑いだとか、そういうのもゼロだった。 「いいよね、ほら指輪」 と言いながら渡されたのは、食パンの袋を止めるときに使う、プラスチックで出来た名前が分からないアレ。
どうしてって、偶々、と答えるしか。 ねぇだから、なんにでも答えが必要なの、それは無責任なの。 友達は、世界は、なんとなくで出来てるよ。なんとなく遊んで、なんとなく食べて、なんとなく寝て、起きて、出掛けて、生きて、愛して、私、悪くないと思う。そもそも、何がいけなかったの。わからない、子どもだから、じゃなくて、教えて、ちゃんと。 v 私、普通になりたかったの、だから、貴方じゃなくて、聞いたの、先生に。先生は、大丈夫だって、お前は何にもおかしくないって。なのに、先生の家に