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 U子が三つ目のパフェの底を突く頃には、外はすっかり暗くなっていました。テーブルに置かれたスマホをひっくり返すと、デジタルの数字が二十時半を示していました。
 私たちは話題を消費し切って、胃袋には息が甘くなるほどパフェが敷き詰まっていたので、これ以上やることもなく、家の方向が正反対なので、駅前で解散することにしました。
 
 U子がホームへの階段を登って見えなくなってから、スマホを確認しました。液晶には一件の不在着信があって、そのすぐ下に「K太」と書かれていました。U子が振られて、みんなが私の幼馴染だという人間のことです。
 私はその"幼馴染"という形容にずっと違和感がありました。誰かが彼を"幼馴染"という度に、何かが切り落とされるようで、しかしその何かが関係性の本質かといえば、そうではない気がしました。彼は対人的な全部でありながら、同時に全部でありませんでした。

 侮蔑しながら礼讃し、憎みながら愛し、入り混じった感情に疲れた私は二人の間に透明な膜を貼りました。それは側から何もないように見えるけれど、空気の振動を丸っ切り遮って、本音を僅かにも通さないように出来ていました。
 私は彼のうだつの上がらない姿を哀愁で見守りながら、喜びめいた気持ちもありました。
 そうして手を振ってみて、それに彼は何かを言って、けれども何も届かないのです。

 全ては放課後の教室で、彼が風邪で休んでいたあの日から、私が独りで始めたことです。
 ですから、これらの事情を、彼は知らないのだと思います。その根拠なら、一度大学ですれ違ったとき、私は昔のように「おはよう」と声を掛けたときです。おそらく彼は朝が弱いので、寝惚けて気が抜けていたのかも知れません。彼は一瞬、ほんの刹那だけ、裏切り者を見るようながっかりした目をしました。その後に「おはよう」と絞り出したかのように嗄れた声で言いました。聞くところによると、毎晩お酒を飲んでいたらしいです。
 
 私の人差し指は「call」の上を行ったり来たりして、あと一押しというところで、切っ掛けが足りませんでした。一度架電を無視しながら、どんな面をして電話をかけるのか。
 すっと目を閉じると、今日一日で五時間は眺めたであろうU子の姿が浮かびました。彼のせいで私はパフェを二本も食べる羽目になったのだ。私の友達を傷付けるなんて許しておけません。
「ひと言文句を言ってやろう」
 そう思い立って、やっと折り返しの電話をかけました。
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