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異性は「最も身近な異星人」か?―22歳独身♂だけど「妻のトリセツ」読む

■はじめに

・性差

正直なところ僕は「妻のトリセツ」を読む前は性差がもたらす「思考の違い」についてはやや懐疑的でした。

「男性らしい男性」「女性らしい女性」がいるのと同じように「女性らしい男性」「男性らしい女性」もまた存在するからです。

そしてそれは性差というよりは、個人を形作る総合的な性格(環境、経験、価値観等)に由来するものだろうから、男女であることそれ自体とは特別な関係がない、というのが僕の見解です。

最新の研究(大雑把)においてもこの分野は混沌としているようで、いわゆる「男性脳/女性脳」の形態的な部分で学術的根拠を見出すことができなかったというデータがある一方で「(何を示唆するかはともかく)脳内構造とホルモンが異なるため、性差はある」とするものもあります。

ただしこれも、性差を文化的・社会的な面で捉えるか、生物学的な面で捉えるかというアプローチの違いで結論が大きく異なっています。
とりあえず、素人に真実は分からずじまいでした。

またこれに近年のジェンダー思想が加わると更に結論は複雑化します。
個人の能力・思考etc‥‥‥を性別によって十把一絡げ的に扱うのは人間(個人と種全体の両方)の可能性を狭めるとか、そもそも二元論的なものでなく、人の数だけ多様であるとか、まずもって男性とは女性とは何かとか、序論で述べてもキリがありません。

ここまでを踏まえると、よく言われる「数学は男性の方が得意」とか「マルチタスクは女性の方が向いている」とかいうステレオタイプなフレーズは、もう聞けば聞くほど荒唐無稽なものに感じられてきますね。

・男女の違いあるある


しかしです。この事実に反して、日常生活においてはそういったデータや理論とやらに基づいて考えると逆に理解が難しくなるような「男女あるある」がしばしば存在します。

・「AとBどっちがいい?」と聞かれて選んだら、自分が選んだ方と逆のほうを選ぶ
・話に「オチ」や「脈絡」が無く、なんでその話をしたの?と感じてしまう
・相談事などに具体的な解決策を長々と提示すると、何故だかいい顔をされなかったり、思ったのと違うリアクションになる
・髪を切ったり染めたりメイクを変えたりしたらしいが、よく見ても違いが分からない

と、例を挙げていくとキリがありません。こういう経験をしたりされたりすると、科学者達や世間の主張とは打って変わって「男女脳」の存在を信じざるを得ないのではないでしょうか。

上記は僕の経験を混ぜていますが、これと照らし合わせると僕の脳は「共感力ゼロの絵に描いたような男性脳」と言えそうです。

しかしこれは僕の偏見だけで終わる単純な話ではないようで、調べた限りでは多くの方が(言語の壁すら越えて)この「男女あるある」を感じているようです。

例をいくつか挙げてみますが、勿論これは対立を煽るものではなくて、どこがどれ程違っているのかをユーモラスに捉えるためのものです。

これ男性側の気持ちめちゃくちゃ分かる。
自分なら途中で「結局何が言いたいの?」って横やり入れて嫌われる自信が絶対にある。
出典:https://ure.pia.co.jp/articles/-/484546
ネットで有名な画像。
女性は買い物に、男性はゲームの探検に時間をかけがちである。確かに買い物だったら目的の物買ってすぐ終わりだけど、ゲームだったら行き止まりや宝箱を隅々まで調べたい。
好きな物に時間をかけるという点では共通するが、その対象が違っている。
海外のあるある。女性は5000円払ってディテールを整える。
男性はサッパリしさえすれば500円払うだけで後は適当。
この画像を作ったのは恐らく男性で、多少のバイアスがかかっていると思われるが
男性が細かい部分の変化に気付けないのは世界共通なのだろうか。
海外あるある2。
男性はいつまでたっても大好きなバトルもの。
女性の興味関心の変化や感受性の豊かさと、男性の単純さがよく表れていて秀逸。

キリがないのでこの辺で。とりあえず、男女間で意識や興味関心のベクトルが何となく違うというのは掴めた気がします。


さて、前置きが随分長くなってしまいました。こんな風にあるある程度に留めておくなら男女の違いというものも何だか面白いね、で済むのですが、現実はもっと深刻です

今回は取り上げませんが、1998年出版の『話を聞かない男、地図が読めない女』という男性脳と女性脳の違いについて述べた本は、全世界600万部超のベストセラーだそうです。

この手のジャンルに20年前の人々ですらこれだけの人が興味を示したということは実際問題、やはり男性と女性の思考には違いがあるらしく、どうやらそれは思っているよりも非常に大きいと考えることができそうです。

実際にそんなものが存在しないのだとしても、あると仮定して異性を理解しようとする姿勢の方が余程有意義でしょうし、科学的、ジェンダー的な脳の性差の否定は、主張としてはそれはそれで十分に素晴らしいものなのですが、

先ほど挙げた例のように生活の中で男女間の違いが存在する(ように見える)以上、その事実はデータや理屈の支えとはなりません(日常生活の至る場面に脳機能の根拠をそのまま持ち込んだところで、男女問題それ自体は解決などせず、何ら変わらず、そこに存在したままです)。

ということで本記事では、2018年に講談社+α新書より出版された、黒川伊保子氏による著書「妻のトリセツ」と、これを漫画形式で解説した「まんがでわかる 妻のトリセツ」を参考に、作者曰くコミュニケーションに溝が生まれやすいとされる「夫婦」という関係に注目して、できるだけ普遍的な部分の男女問題を抽出して考えます。もう5年前の本ですがご愛嬌。

結婚しない自由とか、晩婚化とか、男女の在り方も変わってきた現代ですが、別に未来がどうであれ、男だけで生きて行けぬ世界である以上、ここのところの予習は国数理社英のそれなんかよりよっぽど大事だと思う次第です。

異性を理解するということは、極端に言ってしまえば、何か一つの言語を学ぶよりも多くの人間と心の通ったやり取りをすることが可能になるということになら……ないでしょうか?世界人口の2分の1ですよ……?

ということで諸説ありますが本記事では脳機能の性差が存在することを前提に話を進めて行きます。また「男女」とは単純な「生物学的性差」を指し、ジェンダー(社会的・文化的性差)は一旦考慮しないものとします。

■共感と感受性―女性脳の武器、男性脳の天敵

筆者は、女性脳の最大の特徴は「共感能力」とその欲求の高さにあるとしています。共感とは言わずもがな「他人の考え・感情に、自分もその通りだと感じる気持ち」のことです。

本書で紹介している象徴的なシチュエーションとしては以下。

①パートナーとの喧嘩のとき、過去の嫌な体験についても「あの時こうだった」と引き出す(良い感情、良い体験の場合は勿論それが反対になる)
②女性同士で、取り留めのない、オチのない会話を交互に交わす
③、②については基本的に肯定の姿勢をとる

・記憶を即座に引っ張り出す

まず①について。こちらは他者への共感というよりは、過去の自分自身への感情の共感、常に新鮮で朽ちない過去体験への感受性といえます。

女性脳はこれまでの体験や会話に「感情の付箋」のようなものをつけて保存しているらしく、現在進行形で生じる様々な出来事に付随する感情について、過去の記憶フォルダから類似するものを瞬間的に引っ張り出すことができるようです。

筆者はこれを、有史以来、子育てにおいて都度生じる子どもの状態の変化について母親が臨機応変に対応するために養われた、女性脳の標準装備であるとしています。

ですから、例えば、男性側の非常識な行動のせいで喧嘩になる場面があったとしましょう。女性脳はその現在の出来事に対して記憶フォルダにある「過去の非常識な出来事とその感情」を瞬時に引っ張り出すことが可能であるため、「あの時もこんな風に非常識だった、この時は……」と繋がるのです。

その脳を有さない男性からすると「それとこれは別」だとか「過去の話は関係ない」だとか「理不尽」だとか感じて、女性(脳)との間に溝ができてしまいます。

が、しかし女性脳にしてみれば、共通の感情や出来事として体験同士に連関構造が既に出来上がっているため、別問題でもなければ無関係でもないし、感情の筋道が通っているから理不尽でもない。異性同士の喧嘩がすぐに解決しない仕組みはここにあるようです。

逆に言えば、女性脳にとってプラスに作用する体験を積み重ねていけば、嬉しさや楽しさもまた、1から10が生まれるかのように爆発的に増加していくわけですが、こちらのハードルがうんと高くなるのは何故でしょうか……。

・「女三人寄れば姦しい」の真意

次に②について。男性脳は会話の重点を問題提起や解決に置いている(つかみとオチ)のに対し、女性脳では重点が会話自体、またその会話から生じる感情の共有=共感に置かれているのが特徴です。

共感によってストレスを和らげるだけでなく、先ほど述べた「感情の付箋」は、他者の体験を見聞きすることでそれをまるで自分の体験であるかのようにくっつけて保存することも可能であるようです。

確かに。「転んだ」なら問題が起きてるからオチがあるのに。


ですから会話=共感は女性脳の知的行為の核であり、交流の数は自身がより良く生きることに繋がる、ということになります。女性の相談に解決策は必要でない、欲しいのは共感である、というのは、こういった理由によるものだったのです。

女性のおしゃべりさを表す諺に「女三人寄れば姦しい」というものがありますが、先を踏まえるとこれは、お互いの体験談をそれぞれの「有事の際の知恵」へと変換するための活動を指し示しているというような意味合いに途端に変化するわけです。おしゃべりの先に何があるのか、という本質の部分が見落とされていましたね。

しかしまた、毎度のことながら男性脳は会話に理由とオチを必要としがちなので共感という作業が苦痛なわけです。

大事なことを伝え忘れていても「聞かれてないから話さなかった」となったり、女性が共感を求めて欲しい場面においても何かと結論を急いでしまうし、しかもそれが正解だと思っている――読み終えた僕ですらそう思う――ので、まあ分かり合えない。

これを女性側は「話を聞いてくれない」「否定された」と判断するので、やっぱり男女の溝は深くなるばかり、というわけです。「話を聞く」というのは文字通り「話を聞け」ばよいのではない、という所が落とし穴ですね。

・本音と建前の2チャンネル

筆者によると、女性脳の会話における共感は「心の通信線」と「事実の通信線」のふたつに細分化されるといいます。

これに基づくと、女性脳の会話形式には
①心は肯定―事実も肯定
②心は肯定―事実は否定
③心は否定―事実は肯定
④心は否定―事実も否定

の4パターンが存在します。しかし③と④は使いません。なぜなら、先に述べた通り、女性脳において心の否定は会話や人間関係そのものの否定に繋がるためです。

本書の例では②を使って、女友達同士が食べ物を選ぶ場面が示されています。
ひとりが「これ美味しそう」と言った後、そのメニューについて盛り上がるのですが、全員別々の食べ物を注文します。美味しそうなら、どうしてそれを選ばないの……?と思いますが、美味しそうだと感じたことについてその場の全員で共感(=心は肯定)が達成されたため、事実はどちらであってもよい、ということなのでしょう。

極端に言えば「共感さえしていれば良い」の分かりやすい例なのですが、男性は会話の目的を課題解決に置きがちなため、これがまあ上手く行かない。会話の意図が分からないし、心の通信線を繋げようとも思っていないので「俺は嫌い」とか「ふーん」とかで終わらせてしまうのです。

男性脳は事実に注目するあまり仕事やプライベート問わず「良いか悪いか」、どちらかというと共感とは真反対の冷静で無機質な要素を強く意識していると言えるのですが、ここに「気持ち」のエッセンスを混ぜるだけで、先の会話形式①②が使えるようになります。
「気持ちは分かるけど、それはダメだよ」みたいなやつですね。

男性脳特有の思考にワンクッション挟むということですね

これを覚えておけば、人間関係を円滑に進める事が可能です。正直、男性脳としては思ってもないラリーを都度続けるのは面倒臭そうだなと感じてしまったのですが、それで一蹴してしまうのは勿体ない気がします。実践して損は無いかなと。

■言葉と行動―相手を察し、こちらは態度で示す

・察しろ!

子育てのため、本能的に「察して共感する能力」が備えられているのが女性脳であるというのはここまでで理解できましたが、もう少し深堀りすると、女性脳においては「察する=大切で価値や愛のある存在の証」という方程式が成り立っているようです。

つまり男性がよくやる「言ってくれればいいのに」のようなフレーズは、女性脳からすれば、察することの放棄を意味し、大切に思っていないとか、無関心を表しているように捉えられてしまう。「言わなくても分かってよの正体はこれなんですね。

他にも記念日や好きな物を覚えてくれていなかったり、切った前髪やメイクの変化に気付かない等も、相手は自分のことが頭の中にない=興味を持たれていないのだと感じてしまう。

男性脳側からすると、本当にただ忘れていたり気付いていないというだけで深い意味などないのですが、その深い意味がないという部分が問題なのでしょうか。

・察するな!

前項で述べたように、感情に敏感な女性脳は相手を気遣ったり肯定したりすることを愛の証だと感じているようです。となると、相手(ここではパートナー)にも同じように、こちらに気遣いや褒めを返してくれることを期待していることになります。

しかしまたまた相性の悪いことに、男性脳はそれが備わっていません。だから一々言葉や態度で表現したりしませんし、やたら恥ずかしがったりします。

「付き合ってる=好きなんだから、言わなくても分かってくれるだろう」とか平気で考えていたりします。やけに具体的だが、何かあったのか?

ですがこういった場面に関しては、察しは必要ないどころか、むしろ悪策です。

本書では良いお手本として、欧米の男性の「レディーファースト」の精神が挙げられています。ベタな場面を想像してみて下さい。彼らは臆せず「愛してるよ」とか言って、恥ずかしげもなくエスコートしたり、キスしたりしやがります。

同性からしてみれば軟派でいけ好かない奴だ、キザなナルシストだ、と思ってしまうところですが、安全なコミュニティの中で、自らに安心を与えてくれる相手がいなければ生殖や子育てを完遂できないという生物学的な女性側の都合に注目すると、

「特別扱いされたい」「大切にされたい」という気持ちは、よく分からない女心とかでは片付かない、れっきとした女性の本能であるようです。

つまり、諸外国の男性がもつレディーファーストの精神は、女性脳の理想にぴったり当てはまっているということが分かります。

相手の気持ちは一手先を読んで察する。しかし「私のことどう思ってる?」とか、そういう相手の「察してほしそうな問い」自体は濁して終わらせず、ストレートに気持ちを伝え返す(著者はこれを言葉の飴玉と呼んでいる)。

察したり察しなかったりと一見矛盾したこの能力は、しかも男性脳に標準搭載されていないばかりに、経験を繰り返して培っていく他に術がありません。非常に難しいタスクですが、これも男女の関係を淀みなく長続きさせる上では避けられないようです。……まず機会がないんですが、恋愛シミュレーションゲームとかで遊べば上達するんですかね?

■おわりに

・共感は「いいね」を贈り合う作業である

「妻のトリセツ」では、女性脳の攻略法がここで述べたもの以外にも沢山挙げられています。同性にしてみれば茶飯事なのでしょうが、男性脳にとって「共感」という行為がどれだけ面倒で難しいものか、というのも感じて頂けたと思います。

しかし、本書(マンガの方)では「共感」をこんな風に表現したコマがあります。

若干の説教臭さはあるが、ハッとさせられるのは確かだ

女性脳の方の共感は中々難しいですが、この例えだと非常によく分かります。誰だって「いいね」を貰えたら嬉しいと思いますし、自分の投稿がより沢山の人に肯定されれば、自分という人間自身が肯定されたように感じます。

読む前までさっぱり訳の分からなかった女性脳を「共感することとは即ち、SNSをフォローし合って『いいね』を付け合い、そのネットワークを広げていくことと同義である」と解釈するとあら不思議、すっと腑に落ちます。

自分の投稿がいいねされたら嬉しいし、人の投稿が良かったらいいねを押します。加えて「投稿が褒められたら嬉しい」という感情が分かれば、誰かの投稿も「自分は好きじゃないけど投稿の気持ちは分かる(心の是非と事実の是非の使い分け)」とか考えられるようになるから、何となくいいねしておこうか、ともできる。
……なんだか分かってきたような?

・共感は人間の本能である

アダム・スミスという18世紀の倫理学者は、著書『道徳感情論』において「人は、他者に同感を感じ、同時にその他者から同感を得るように振る舞い、これをもとにして社会に秩序が生まれる」と述べています。

また進化論で有名な生物学者チャールズ・ダーウィンは、著書『人間の進化と性淘汰』において「(愛情や共感が)人間のもつ社会的本能の最も重要な一要素として、またそれを持たない個体が自然淘汰されるようにして発達してきたことは、疑いようがない」と述べています。

このことから分かるように「共感(empathy)」は人間に本来備わっている能力であるといえます。これは相手の発言に「わかる~」と返すような、そういう低次元なものではなく、他者の喜怒哀楽の表出に対して自分も同じように感じることです。

誰かが辛い思いをして泣いているとき、項垂れた背中を抱きしめてやる。とても嬉しいことがあったとき、ハイタッチをしたりハグをしたりする。誰でもそうするでしょうし、そうしたくなる気持ちが自分に湧いたり、誰かのそうした気持ちを分かったりできるはずです。共感の本質とは、このことです。人間にはこれができます。ですから、それをフランクに噛み砕けば、男性脳と女性脳もまた分かり合うことができるはずなのです。

本記事で書ききれない部分もありましたが『妻のトリセツ』は、互いを分かり合うための、共感を日常レベルに落とし込むための、手ごろな指南書だったわけです。  

そしてもって、本書はタイトル上「妻と夫」の関係に焦点が当てられていますが、共感が本能であるというのなら、それらは別に夫婦関係にある人間でなくとも身に付けるべき能力となるはずです。

・異性は「最も身近なエイリアン」?

タイトル回収。
四肢があって、目や鼻や口があって、味覚触覚嗅覚があって……。紛れもなく同じ生き物なはずなのに、脳(思考)はなぜだか違う。これは不思議なことです。

たったこれだけ(他にもありますが)の違いで、まるで考え方や行動に大きな差があるのです。僕たちは同じ星にいながら、最も身近に存在する異星人(エイリアン)同士なのではないか?と考えてしまうことがあります。

ただ、よくあるクラゲに手足の生えたようなあの地球外生命体と確実に違うのは「共感能力を持ち分かり合うことができる」という点です。男性脳と女性脳は、互いに未知の部分を有していますが、それを恐れ争うようなことは決して無く、むしろ友好的な歩み寄り――それこそ惑星同士の文化交流のような――が可能であるはずです。

『妻のトリセツ』は、そのように互いを分かり合うためのきっかけとヒントをくれた気がします。独身である都合上、夫婦間についてのメッセージはここでは実感が湧かず取り上げられませんでしたが、異星人もとい異性人を理解してみたくなったのなら、是非あなたも手に取ってみては。


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