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誰だよ、「東京は冷たい街」って言ったの。

■「あなたを信じます」。

東京旅行。初めて行った新宿の初めて入ったシーシャバー。現金決済のみで持ち合わせが無かった。

万が一にでも自分の心に魔が差して逃げてしまわないよう、心の枷として、また信頼に足る人間であることを証明しようと、財布とスマホを置いて行こうとすると、断られた。そんなの要らない。大丈夫だと。

屈強な黒人のオーナーが優しく「Trust you.」と、そう言ってくれた。

高校時代、英語のテストで先生が可哀想な目でこちらを見てくる位には酷い点数を取ったことがあるのだけれど、そんな僕でも分かった。
確かに「Trust you.」って。間違いなく「あなたを信じます」って。

見たことも歩いたこともない場所。スマホの充電は無い。終電は逃しそうになった。乗れても各停じゃない。どっと草臥れた日があった訳だけれども、大変な心地よさと心身の充足を感じたのは、そんな出来事があって、東京が誰かが言っていたほどには冷たい街でないことを感じられたからだと思う。

いや、確かに、街中人でごった返していたし、ディープな場所に行けばホームレスや危ない輩もいた。駅でぶつかれば舌打ちだってされた。

アメリカ程ではないにしろ、人種のるつぼのような。インドのガンジス川程ではないにしろ、混沌というか、お互いが無関心である故、渾然一体として彼ら彼女らが、浄と不浄が、目まぐるしくそこに溶け合っているような。

けれども「Trust you」と言われ、彼に信じられたとき、僕は、
東京のカオスは、無関心さは、無機質さは、別に誰のせいでもないのだと、そうしないとこの街の忙しなさに流されてしまうから、一見しては皆、お互いへの興味が無いように見えるだけなのだと、そう思うことにした。
土地が変わるだけで人の本質などそう簡単に変わりはしないのだと。
袖が振り合う度に縁が生まれていては、キリがない。ただそれだけのことなのだと。

だから僕は、常々感じるのは難しいだろうけれども、東京の温かさを信じることにしたトラスト・ユー。それはちょうど彼が、故知らぬ僕という人間にそうしてくれたように。この街で生きる上では普段ひた隠しにされているであろう心遣いを、僕に割いてくれたように。

■「臨時休業」。

初めて東京に来たのは高校の修学旅行のとき。帰りの飛行機のラジオで東京スカパラダイスオーケストラの「銀河と迷路」という音楽が流れていて、寝たふりしながらそれを聴いて、泣いた。

別に歌詞と自分との重なりは何も無かったけれど、旅とはこういうものなのだと勝手に解釈して、泣いた。
意外と覚えている。人生で感動とか嬉しさとか、そういう味の涙を流した機会がそうそうないもので。

兎角そういう出来事があってからか知らないけれど、僕は、
「偶然の出会い」とか「些細なキッカケ」とかそういう「思いがけなさ」が人生にもたらす、閃きというか、豊かさのようなものを本気で信じているし、それを無駄にせず、誰からも何からも感じ拾い上げたいと心から願っている。

だから、今回の東京旅行で行こうとしていた喫茶店に「臨時休業」の貼り紙がしてあったことは凄くショックなことではあったけれど、悲しくはなかった。

別の店に入って、そこで流れていた音楽が僕の好みに凄く合っていたこと。凝り固まった僕の音楽のジャンルに新しい風穴を穿ってくれて、久しぶりにプレイリストが一曲増えたこと。

この「思いがけなさ」がこれから、バタフライ・エフェクト的に僕の人生の断片のどこかに良い影響をもたらしてくれることをきっと信じている。

もしもあの店が営業中だったら、それはそれでよい思いができて、少なくとも今とはまた違った発見があったのだろうけれど、それを経た僕はきっと今とは違った僕になっていたのだろうな、とか、アルバムの中にある写真は別のものになっていたのだろうな、とか、そんな風なことを思ったように、

僕たちの人生は常に選択を迫られてばかりで、しかも、膨大な選択肢の多さに反して僕たちはその中からたった1つしか選ぶことができず、それでいて他の結果を知る由は無い。

だからこそ僕たちは、選んだ結果がきっと間違っていないのだと、良いものであったと信じて、そこから何かを得るべきなのだと思う。

例えばあなたも、この文章を読むのを一旦辞めて、歯磨きをしてしまってもいいし、反対に最後まで読んでしまってから歯磨きをしてもいい訳だけれど、
大切なのは、そんな些細な選択であっても、その順序を入れ替えてしまうだけで、間違いなく違った二通りの結果があるってことで、

僕が言いたいのは、そんな風に一見して意味のないような一挙手一投足にも深い心配りをしていって、それがきっと素晴らしい選択と発見で、あなたは間違っていないのだと、そう信じて欲しいってことだ。

あんまり行き過ぎると胡散臭い新興宗教みたいになってくるのでこの辺で。

■人生の節目、東京、僕たちのこれから、これまで。

今回の旅の目的としては、観光などはついでで、間もなく大学を卒業して社会に出るこの時期、人生の節目、最後の夏休みにおいて、当分会えなくなってしまう友人達にこちらから会いに行こう、というものであった。

だから、無駄な日など一日もなかったし、それどころか彼ら彼女らに会うということ以外の殆どを無計画にして飛び出した僕の性格が功を奏したのか、あらゆる物事が刺激的であったし、あらゆる発見は僕に良いきっかけをもたらしてくれたと思う。
駅の乗り間違いや、寄り道、迷子ですら。

勿論、皆が会わない間にいつどこで何をしてきたかを細々と知る術はないのだけれど、離れてもお互いが変わらないことを嬉しく思った。とりわけ東京という目まぐるしい街にあっても。

決して直接伝えるわけではなかったけれど、僕は誰と会ったときにも、言葉の節々に込めた。
明日どうなるか誰にも分からないのに、僕たちは今日までよくやって来たと。物事を知ってそれなりになって、けれどもそれは世の中に阿ったわけではないのだと。そんな風に変化しないことが、僕たちのささやかな成功と幸せの証であると。

沢山話をした。他愛もない話から深い話まで。僕のお陰で色々進むことができたという友人もいた。おめでとうと伝えた。ただそれは僕のお陰ではなく、行動と思念の末、僕のお陰だと思うことができた彼自身が成し遂げた結果だと思う。そしてそんなような人々に触れ、依然と変わらない距離で居られたことを改めて幸運に思う。

これまで。運が良かった。僕一人ではなし得なかった、気付き得なかった、築き得なかった物事が沢山ある。それは勿論、今回会った人々だけでなく。文字通り、全てのものとことに。

これから。先行きは確かに分からないが、きっと悪くないと思う。
僕たちは、これまでそうして来られたように、都度、歩いてきた道を振り返る。その度に、辛いこともあったけれど、戻りはしないけれど、それでも素晴らしいと。良くここまで来たと。きっとそう思って行ける。今いちど、ひとしおの感慨。
日常の忙しなさ、環境の目まぐるしさ、それらに振り回されながらも、俗世間に影を落としてしまうことも、僕たちらしさが埋没してしまうことも決してなく。それぞれがどこか遠くへ行ってしまうけれど、しかし独りではなく、人生の折に触れる度、またどこかで。

人生の節目、東京、22歳。そんな気付きを得られたからこそ。
誰だよ、「東京は冷たい街」って言ったの。

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