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高校中退ニートの社長が音楽ビジネスを立ち上げるまでの話

はじめまして!dot.株式会社で代表をしている、こやまにあです。

高校中退→ニート→チャリで日本一周→居酒屋やろうとして失敗→アフィリエイトで法人化。

そしてひょんなことからこの度2020年1月7日に、音楽教室×バンドサークル「MUZYX(ミュージックス)」をオープンしました。


そして今回はそんな僕の経緯や半生とMUZYXオープンまでの道のりをここに書き記していこうと思います。

・「いつか自分のお店を出したい!」
・「将来は社長になりたい!」
・「何か大きいことをしたい!」

と心に思いながらも何も行動できずにモヤモヤしていた昔の自分に向けて書いていきますので、

もし同じような想いの方がいらっしゃったら、動き出すキッカケになれるかもしれないし、少しでも何かの糧になれたら嬉しいです。


それでは10年もの時を遡って、僕の平凡かつ色々あった経歴からご紹介していきましょう。

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1章 23歳フリーター、チャリで旅立つ!

「やれば出来る!(やらないだけで)」

昔からそんな言葉が口癖だった僕。

「勉強なんかしなくても将来起業するからいいんだ!」

などと高校を即中退してしまい、ずっとやっていたバンドをたまにしながらゲームに明け暮れる毎日を送っていた。


そんな根拠のない余裕をみせながら働きもせずに遊び続けた10代もあっという間に過ぎ去り、気づけば23歳。

その頃には「一生やっていような!」と誓いあったバンドもメンバーが結婚しアッサリと解散。

他の周りの友だちも就職・結婚と、会う機会も少なくなっていた。

残された僕はというと、いまだに「いつか起業!」と言いながら何も行動に起こさず、バイトを始めては辞めるを繰り返す、いわゆる「ダメ人間」になっていた。


そんなある日、2年付き合っていた彼女から愛想を尽かされてフラれ、その2ヶ月後に他の人と結婚されるという事件がおきる。

なぜだ!ありえない!!

ニートだった僕の唯一の心の支えだった「バンド」も「彼女」までも失った僕。

友達を引っ張り出し、つぼ八(居酒屋)で愚痴をこぼしていた。


僕「いやぁー本当にしんどい。。」

友「まぁ自業自得だと思うけどね〜」

僕「うぅぅ。もう、旅にでも出ようかな…」

友「えぇ?なんで??」

僕「バンドも彼女も失ったし、やりないことも見つからないし、でも今更就職するのも嫌だし・・・」

友「うーん・・・。まーでも旅はいいよね!おれもやってみたいなぁ」

僕「だよな!男の夢と言えば旅だよなぁ!チャリで行こうかな!自転車で日本一周なんてサイコーじゃん!」

友「君には無理だと思うけど、いいじゃん。いってらっしゃい!笑」



自転車で日本一周・・・。思い付きで言ったことだったが、その言葉の響きに胸が高まった・・・。

山を超え森を抜け、時にはクマに襲われたり大蛇と戦うことにもなるだろう。

しかし、それを乗り越えた時、新しい自分になれる。何事にも負けないチカラを手に入れるんだ。

そして彼女は再度振り向き、僕はやりたいことを見つけ、大きな成功を収めるだろう!!


・・・というようなやりとりをしていつものように飲んでいたのだが、翌日我に返った僕は

「まぁできたらいいけど正直無理だよなぁ」

とも思っていた。

だって毎日ゲームかパチンコしかしていない僕の体はヒョロヒョロだし、チャリで遠出もしたことないし、外は寒そうだし、

まぁ、やると言いながらもやらないいつものパターン。

・・・だった、はずなのだが。


後日、会う人会う人に

「日本一周するんだって?頑張ってね!笑」

と言われる。

ん?日本一周?誰の事だ?と一瞬だじろいだが心当たりはある。やつめ、言いふらしたな・・・!!

そして、ある飲み会ではどこから広まったのか皆に

「こいつ日本一周するんだってー笑」

と言われてしまう。

(否定しなきゃ・・・)

が、それができない!!

なぜなら、周りのみんなが、

「え?本当?すごーい!!」

と言ったからである!!ドン!!!


こんな高校中退のフリーターが人にすごいと言われることが他にありますか?!

そんな見栄から本当に行く感じになってしまい、バイト場の社長と先輩からも「行って来い!」とチャリまで買っていただき、引くに引けない状態になる・・・。

そして23歳の4月、本当にチャリで旅立ってしまうのであった!!!

【起業ポエム】行動したいなら言いふらす
やりたいのに何故やれないのか、それはやらなくてもノーダメージだから。
やらなくちゃいけないような環境を作っちゃえばもうやるっきゃない!

日本一周珍道中

にし 124

東京を出発し、まずは夏に向けて北海道へ向かい、冬が来る前に沖縄に向かった。ちょうど10ヶ月もかかった。

この旅中に人として成長をして、やりたいことを見つける!と決心し、なんとか諦めずにやり遂げることができた。

毎日そこらへんのベンチで寝る日々、おしりが痛くて泣いたこともあった。思いっきりこけたり、ヤンキーに絡まれたり、〇〇に☓☓☓されそうになったこともあった。

山で遭難しかけた後にやっと見つけたコンビニの店長の家に泊めてもらったり、毎日500円で生きると決めてたのにパチンコで3万負けたり、京都では金がなくなってホストの体験をしたこともあった。

そしてたくさんの人に出会って、一生の友達も出来たりして、普通に生きていたらありえないような経験ができた。

写真もちょっと紹介します。まずは僕の相棒(チャリ)。

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ゴミではなく、色んなものを無理やりくっつけている状態。ちっちゃいアコギも持っていった。超邪魔だった。

また鍵は付けていなかった。理由は「盗まれれば帰れるから」というサイコパステストの答えみたいな理由だったが、10ヶ月間盗まれることはなかった。

また、竹下通りを突破したり

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福岡で職質にあったり、

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チャリが壊れて途中ヒッチハイクしたり

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青森ではねぶた祭りに参加。キャンプでは自転車とバイクの旅人が分かれて、自転車を掲げて見送ったりする。

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旅難易度NO.1の北海道はとっても長く厳しく、やっと辿り着いた感動の日本最北端は曇りでした。まさに「試される大地」って感じですね。

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沖縄では帰る金が無くなっちゃったので石垣島で2ヶ月間リゾートバイトをした。毎日海でビールで、危うく永住しそうになった。

CLUBMEDかびら 168

まーとにかく楽しく厳しく、僕の人生の中で大きな1年となったのだった・・・。


【2章 居酒屋やらないか!?】

・・・と、そんなこんなで日本一周が終わってからの僕はというと、

なんと!

2ヶ月くらい実家で毎日ゲームをしていた・・・。

とにかくね、屋根があって温かい布団があるってだけでも幸せを感じられるしね、1年経ってるから新しいゲームもめっちゃ出てるしね、久々に会ったからか親も優しいんですよねハハハ。


・・・というのは言い訳で、実際は焦っていた。そう、旅中にやりたいことが見つからなかったのだ。

もちろん旅でたくさんの出会いや経験をして「起業する!」「自由に生きる!」という気持ちは固まったんだけど、肝心な「何やるか」がまったく決まってない。

そんなこんなで悩みながらも、考えるのを放棄してゲームに逃げるある日、元バイト先の社長に誘われて飲みに行った。

その時に人生を変えるような出来事が起きる。


社長「おれがやってる居酒屋を潰そうと思ってるんだけど、お前面白そうだからやってみるか?」


いやぁこんなことあります?

【24歳フリーター、自転車で日本一周後、居酒屋オーナーになる!】

うわぁ、めっちゃかっこいいじゃん!!


やりたい事を探していた僕にとって、このタイミングでこんな話がくるのはもはや偶然ではないと思い、

「やりますやります!」

と食い気味に2度ほど了承した。


しかし、もちろんそうカンタンな話ではなく、居酒屋を出すには3つの条件があった。

100以上のメニューを作れるようになること
・店の中の物はそのままあげるけど、保証金の200万円は用意すること
・以上を社長がお店を閉める予定の3ヶ月以内にクリアすること

普通無理だよね。まずそもそも料理なんてしたことなかったし、日本一周後なので貯金残高も余裕で0。

しかし、無理と思ってしまうのは通常の状態だから。その時の僕は、日本一周を終えてなんでも出来る気がしていたし、旅後にこんな話がくるなんて運命としか思えなかった。

そんなわけで、僕はこの挑戦に乗ることにし、これから大きく変わる人生を想像して心が沸騰していた。

【起業ポエム】なんかやるとなんかある
なんかやりたいと家で思ってても無(む)よね。なんかやってればなんかあるかもしんないよね。

2.5章 「久しぶり!金貸して!!」

居酒屋オーナーになるべく、料理修行と金集めミッションが始まった。

まず料理だが、社長の親戚の居酒屋で修行させてもらうこととなり、無給で働きながら100以上あるメニューを覚えていった。

早朝は市場に仕入れに付いていき、仕込みから料理の作り方、営業中の流れなど、到底3ヶ月では覚えきれないような量だった。

フライパンすら振れないレベルだったので、家に帰ってもお母さんに料理を教わった。なんか、大人になってから親に学ぶって、女子中学生のバレンタインデーの気持ちにもなっていた。


そしてなんと3ヶ月後には、最低限のクオリティだが全てのメニューを覚えて作れるようになった。気合い!!

修行先の居酒屋の人達にも「すごいですね本当に未経験ですか?」とチヤホヤされ、辛かったけどめちゃくちゃ楽しかった。


そしてもう一つの条件である200万円集め。こちらはかなり難航した。

まず頼りたいのは親だったが、逆にうちには借金があって「逆に貸してほしいわ!」と言われる。ダブルショック。

そして金融機関も1年間無職だったやつには1円も貸してくれない。アコムもいったけど10万円も借りれなかった。

しかし僕には1つ、ある禁断の方法がずっと頭にあった。それは「人から金を借りる」ということだ。


「もうなりふり構ってられない!おれなら出来る!いや、やるしかない!」


そう思い立ち、友だちや先輩後輩、前の職場の人や旅で出会った人など、とにかく連絡が取れる人にかたっぱしから連絡し、「お金を貸してくれ」と頼みまわった。

もちろん、反応は全員ネガティブだった。連絡が取れなくなった人もいるし、お説教されることも多く、僕の豆腐メンタルはおぼろ豆腐になっていた。(ズタズタって意味)


でも、もし途中で諦めて

「ほらおれの言う通りだっただろ?だから辞めておけって言ったんだよ」

なんてことは絶対に言われるわけにはいかない。

また、そんな中でも貸してくれる人や応援してくれる人がいたので、その人達に、

「本当に良い店が出来たね!出資できて私も鼻が高いよ!」

なんて絶対言わしたい。

そんな思いで、震える手で電話をかけまくった。


・・・


そして運命の日、

「3ヶ月後までに200万円」

という目標の中で用意できたお金は

「60万円」・・・。


社長「お前もう辞めろ、やらないほうがいい。」


3ヶ月間ずっと僕を応援して心配してくれていた社長がキッパリとそう言った。

きっと社長は残りのお金を貸してくれることも出来たと思う。でも、そうはしなかった。

なぜなら、きっと僕自身が心のどこかで「駄目でも頑張ったからどうにかなるんじゃないか」とか、お金借りに行くときも「日本一周して信頼もあるだろうから大丈夫」なんて甘えがあったからなんだと思う。

そんな心の甘えを見透かしてかは分からないが、ほとんどの人がお金を貸してくれなかったし、社長もそんな今の僕では無理だと判断した。

「くやしい・・・くやしい・・・」

僕の旅はなんだったんだろう。何も変われてないじゃないか。

自分が情けなくて、悔しくて、人生の中で一番泣いた。


そして、知り合いのほとんどの色んな人に「金を貸してください」と頼みまわってきたため、地元ではこんな噂が流れていた。

「あいつカンパ回してるらしいぜ」

そして僕は夜逃げの準備を始めた‥。

【起業ポエム】起業は結果が全て
どんだけ頑張ったとか、過去にどんな経験があるとか、2時間しか寝てねーわーとか、起業する時にはなんも関係ないのじゃ。

3章 クズ人間は2度繰り返す

居酒屋計画が失敗に終わり、さらに友だちに「久しぶり!金貸して!」という電話をしまくった結果 地元にいれなくなった僕は、旅でお世話になった沖縄のゲストハウスにやってきた。

沖縄のみんなはテキトーなので、「そりゃ大変だったな!」と笑い飛ばしてくれるのでとても助かった。

ちなみに沖縄でまた居酒屋のバイトをしたんだけど、おにぎりすら握れなくなっていた。(米が全部手にくっついちゃう)

オーナー目指してたら100のメニューを覚えられるけど、バイトになったらなんも出来ない。ぼくって何なんですかね??


そんな感じでバイトしたり飲んだり遊んだりしながら半年ほど経ち心も癒えてきたころ。

しっかりと反省し、それでも起業への夢を捨てられない僕は、

「次は誰にも頼らずに全部自分でやろう!」

と誓い東京にカムバック。時給1700円の大手ケータイショップの派遣バイトをしてお金を貯めはじめた。

実は営業が得意な僕。全ショップの中で1位の販売を叩き出し表彰されたという自慢を交えながらも、2年間で200万円ほど貯めて退職した。当時28歳。


さて、なんとなくここまで文章を読んでお気づきの人もいるかと思いますが、僕は基本的に毎日楽なことだけをしていたいというクズな一面(全面)があります。

そんなやつが次にやりたいことも決まってない状態でお金を持って仕事を辞めたらどうなるか。

そう!パチンコです\(^o^)/

そりゃもう毎日パチンコに行きましたよ。朝9時から並んで夜11時まで打ち続けましたよ。

何故?不思議なことを聞いてきますねぇ。そりゃお金と時間があるからですよ。

そんな感じで毎日パチンコ行って、買っても負けても寿司を食いながら酒を飲んで「起業するぞ!」なんて言っていたら半年ほどで貯金も無くなり、僕の2年間は無と帰しました・・・。

「なにやってんだよ↓」

と思うでしょう。分かるよ。僕もね、カイジとか見てたら「なにやってんだよ!」って思ってる側の人間なんですよ本来は。なんなんだろうね。


さらにそんな僕を見て、元職場で出会った彼女に愛想を尽かされてフラレ、元職場のやつと即付き合い結婚。

「あの2人のせいで欲情してきちゃったよ・・・鎮めなきゃ・・・」(参照:ハンターハンター4巻)

丁度これから頑張ろうとしてたのに、これから成功するところだったのにと、先見性のなかった彼女を必ず後悔させることを誓う。

そう、僕の念能力(やる気)はフラれた時に発動するのだ。

【突然の起業ポエム】持ち物がいっぱいでこれ以上は持てません
環境・友だち・彼女・お金、何かを得たいなら何かを捨てないといけない。手は二本しかないからね!(ちょっと何言ってるか分かんない)


こやまの番です -反撃編-

貯金と彼女を失い、やっとエンジンがかかった僕は、

「まずそもそもやりたいことがないので見つけよう!」

とビジネス本を読み漁りながら起業セミナーにも行き、マネーの虎も見まくった。


そんな生活の中、きっかけとなったある起業セミナーがあった。

その起業セミナーとは「やりたいことが見つかるセミナー」という、まさに僕の僕による僕のための内容だった。

しかし、実際のセミナーの内容は「起業にお金や人脈はいらない」というような、何千回も聞いたことがあることばかりでアッサリと終了。

「すぐに行動しよう(*^^*)」じゃないわ!何をしればいいのかおせーてくれぇ!!


もちろんなにも収穫なしで帰るわけにはいかない。今日は絶対に何かを掴んで帰ると決めて来たのだから。

その後に親睦会があったので2,000円払って参加した僕は、セミナー講師にガッツリからんでいった。


僕「先生っ!!今日はありがとうございましたぁっ!!先生の本も読みましたああ!!」

先生「本当かい?ありがとうね。うわぁ、顔近いなぁ」

僕「それでですねぇ!この本に書いてある【好きな事を100コ書き出す】ってのをこのノートに書いてきたんですけどまだ見つからないんです。この後はどうしたら良いですかぁああ??」

先生「そ、そうなんだぁ、す、すごいやる気があっていいね、」

女「せんせぇ〜い!こっち来て下さいはやくはやくぅ〜」

先生「あ、ごめんね呼ばれちゃったから。もし良かったらこの本も買って見てみなさい。あと起業スクールも月額1万円でやっているから入るといい。君みたいな人がいっぱいいるし、みんなでキャンプ行ったりして楽しいよ」


・・・


「いいんか?これはいいんか?」

怒りに震える僕。女にチヤホヤされてヘラヘラしている男を睨みつけながら、どうにかこいつを法で裁けないかと考える僕だったが、

その時ふとカイジに出てくる利根川先生の言葉を思い出した。


「世間はお前らの母親ではない・・・!!」


そうだ、そうだった。僕はバカだった。

この人は僕を起業させてくれるお母さんじゃない。自分が稼ぐためにやってるんだ。だってこれがこの日本という国じゃないか。

医者は病気を治さず通院させようとするし、家電は2年で壊れるようになってるように(注:信じるか信じないかはあなた次第です)この人がひどいんじゃなくて、これは当たり前のことなんだ。

そして、そもそも自分のやりたいことを人に求めていること自体おかしい。レストランで「おれなに食べればいいですか」って聞くようなもんだ。

そう、これだけは自分自身で決めるしかなかった。

そんな当たり前なことに今になってやっと気がついた。


いやでもしかし、「やりたいことが見つかる」と銘打ってこれはないんじゃなかろうか。あなたはビジネスでやってるのかもしれないが、ここに来ている人は人生どん底で、藁にもすがる思いで来ている人もいるんだ。

ふと見るとセミナーで隣りに座っていた人が泣きながら走って外に出ていくのが見えた。今日のために青森から来たって言ってたハタチくらいの男の子だった。

「分かるぞ少年。悲しい、悔しいなぁ。」

僕は帰りの電車でずっと考えていた。腹も立っていたし、悲しい気持ちにもなってたし、これからどうしようという不安も合わさった気持ちだった。

「またふりだしかぁ。誰も教えてくれない。でも、なにをやればいいかわからない。いつになったら起業できるんだろう・・・。」

しかし、そこでカミナリが落ちた!!(比喩)


「あうわぁ!おれがやればいいじゃんーー!!」ドドン!


僕は起業をしたことがない。でも、起業についてはたくさんの本を読んだし、稼げる系の怪しい商材もいっぱい買ったことがあるし、マネーの虎も全部見ている。

「自分のやりたいことは分かんないけど、起業したい誰かの役にたてるかも!そもそも今日のセミナーよりは絶対いいものができる!!泣いて帰っていったあいつのチカラにおれの方がなれる!」

そして、なんと僕は起業したことないのに【起業相談所】をやろう!これだ!これしかない!と思い立ったのである。

ブルだよブル!!やっとここから、こやまの番(ターン)です。

【起業ポエム】え!!自分の悩みで起業を!?・・・できらぁ!
自分の悩みを解決すれば同じ悩みを持つ人の役に立てるって言ったんだよ!!
(意味が分からない人は「できらぁ」で検索)

4章 アフィリエイトで社長になる!

起業したことないのに起業相談所をやろうと思ったおバカ(おちゃめ)な僕。

内容は「カフェなどで1時間1,000円、マンツーマンで起業に対する悩みを聞いてあげる」という出張型の相談所だ。(実家なので・・・)

今こう見るとかなり怪しいけど、でもやっとやりたいことが明確になってとにかく嬉しかったし、もうすぐにでも動く気満々だった。

しかし僕の好きなヒップホップバンド「山嵐」にこんな歌詞(リリック)がある。

負けると思ったら負け
勝てると思っても待て、冷静になれ
(口に出して言ってみよう!)

僕自身も誰かに話したくってたまらなかったし、一度冷静になってまずは数少ない友達の中でも信頼を置ける人間に相談をすることにした。

その名は、高木(ふらんすぱん)。中学からの友人で、元バンドメンバーでもある。WEB系の何度聞いてもよく分からないけどなんかスゴそうな仕事をしていて、かつ「お金貸して事件」の時にも彼は否定せずに色々なアドバイスをくれた。

「彼なら何かいいアドバイスをくれるだろう!」

というわけで地元のジョナサンに都内からバイクでこさせ、ここまで書いたようなことをかなり早口で語り尽くした。


すると、彼からこんな一言が・・・。

「ふ〜ん、まぁ需要はありそうだな。でもさぁ、

「それブログでやれば??」

聞くところによると、相談所を始めたとしても1時間に1人にしか相手にできないし、人を集めるもの大変。

でもブログで自分の持っている情報を公開していけばたくさんの人が見てくれるかもしれないし、読者が増えればなにかしら仕事に繋がるかもしれない。

そして何より、お金がかからず今日からでも始めることが出来る!!


さすが高木。なんなんだこいつは。しかもいいやつだからホームページ作ってくれたり難しいことは全部バックアップしてくれるらしい。なんなんだこいつは。暇なのかこいつは。

その後はドリンクバーをすすりながら明るくなるまで語り合った。いける!いけるぞ!話していくうちに二人とも(僕だけ?)熱くなっていった。

「おれたちこれから、すごいことになるぜ」

と、売れる前のバナナマン日村さんが設楽さんに言ったセリフをぼやき、高木も「はぁ?」と言い、固く握手をした。(一方的に)


さぁもう次の日から、さっそくブログに取り掛かった。

僕の頭の中には起業に関する情報が詰まっていて、誰に聞かせる機会もなかったのでどんどんアウトプットすることが出来た。

そして、バンド時代や日本一周中にブログをやっていた僕は文章を書くこと自体もなんなく出来た。

「これ出来るわ!」

そう確信したら、ダラダラやってもしょうがないと「1ヶ月で100記事」という目標を掲げ、もちろん目標を達成した。


しかしやってみたら分かるが、ブログなんて毎日書こうが100記事書こうが全然読まれない。

でも正直まったく辛くもなかったし、収入がなくても不安すらも一切なかった。


日本一周も途方もないように見えるけど、チャリを漕げば確実にゴールに近づいていく。

それと同じように、目的地が分かったら後は記事を書いていけば必ずゴール出来る。絶対出来る。そう確信していた。

そして何より楽しかった。今までどこに行けばいいのかずっとウロウロしていたけど、目的地が決まった瞬間にとても楽になった。


・・・


そして、収入もほぼ無い状態で半年ほどが過ぎた頃、忘れられない出来事が起きる。

高木から電話がくる。

高木「今大丈夫?ブログ開いてみ?」

僕「えなに?どしたのちょっと待って」

スマホで検索してサイトを開く。が、エラーが出てサイトが見れない。

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僕「は?なにこれ?壊れた?ハッキング?おれが書いた今までの記事は??!」

高木「いや、バズったww」

僕が書いた記事が誰かにリツイートされ、なんと堀◯貴文様の目にも止まったことで拡散されていったのだった。

それによりアクセスが集中。高木も成功しないと思ってたのかやっすいサーバーを使ってたのも相まってサイトが開けない状態になってしまったのだ。

この次の日高木は仕事があった。でも、朝5時まで電話した。もし隣りにいたら抱いてた。危なかった。

この日は貼っていたアドセンス広告で一日6万円くらい、それが3日くらい続いた。

先月の収益は7万円くらいだったが、この月は30万円ほどとなった。


そのまま調子は右肩上がり。他に作ったサイトも順調に成果を出していき、始めてからちょうど1年経つ頃には大台の月100万円を突破。

「税金やべーから」

という理由で法人化することとなった。

会社名はdot.株式会社。ちなみにdot.(ドット)とは、学生時代に高木と共にやっていたバンドの名前だ。


それからは高木も仕事を辞め、事務所を借り、従業員も雇ったりして、気付いたらブログアフィリエイト自体が僕の仕事となっていた。

ちなみにこれは3期入った時の推移表。税理士さんに「こんな会社見たことありませんよ!私にもアフィリエイト教えてください」と言われるほど右肩上がりとなった。

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【起業ポエム】自分の得意なことで勝負!
「起業の知識はあるけど起業したことないし〜」とか「文章は書けるけど大したことないし〜」みたいに思ってることが得意なことだったよ。

5章 新たな挑戦へ

「いつか社長になる!」

そんなことを漠然と考えながら悩み迷走していたあの頃の僕は、今では社長となり5期目を迎えていた。

思い描いていた社長像の面影は一切なく、ブックオフで買った古着を3年着続け、富士そばで「おくらとろろそば(冷)」ばかりを食べ、ゲームアプリの課金を悩んだあげく諦める毎日を送っている。


そしてかなりバブっていたアフィリエイトも今では激落ちくんになり、サイトも売却。

「次は何やろうかなぁ」と、またやりたい事をイチから探し直していた。

ただ、その頃に一つ趣味を見つけていた。音楽(バンド)だ。


2年ほど前にバンドサークルに入っていた僕は、ずっと弾いてなかったギターの練習したり、3ヶ月に一回くらいコピーバンドでライブに出てみたりしていた。

年齢も仕事も性格もまったく違う、普段出会えないような人達と”音楽”で繋がって一緒にライブに出るのがとっても楽しかったし、他にもみんなで遊びいったりサバゲー行ったり、友達の家でスマブラやったり、この年になってこんなに友達が出来るのかってくらい仲間が増えた。

そう、この日常は確かに「もうもどらない学生生活」そのものだったのだ。


「僕もバンドサークルやりたい!!」

ある日からそんな妄想を続けるようになっていた。

毎日バンドできたら楽しいだろうし、店も持っちゃったりしたらサイコーだし、なによりちょうどやりたい事を探していた僕にとってはとても魅力的に映った。

でもいざやろうにもギターは独学でやってきたのでかなり雑で適当。人様に教えるなんてことも出来なければ、音楽詳しい人がきたら一発KOだ。


そんなこんなでムズムズしていたある日、またもや人生の起点となる出来事がおきる。

忘れもしない2019年の7月。とんでもないニュースが入った。


「通っていたバンドサークルの講師が2人辞めた!」


神よまじか・・・。これ、やれってことか!?

このタイミングでこんなことが起こります?そう思いながらも僕は即その2人に電話をして、飲みの場をセッティングした。


「やめたんだって?」

「そうなんですよ。色々お世話になったのにこんな形になってすいません」

「まぁしょうがないね。で、次どうするの?」

「1度就職しようかなんて考えてはいます。ただ折角音楽をやってきたし、夢も見てきたのでいずれは起業したいんですよね。

でもこれから楽器を触ることが減っていって、下手になっていっちゃうのは悲しいですね・・・。」

なんて話をした。

「やらないか!!おれらでバンドサークル!!」

話の中で「この2人とならいける!」と思った僕は、早速話を持ち出した。

「今まで通ってた側の僕と、働いてた側の2人が合わされば絶対楽しいバンドサークルが作れるよ!!」

そんな風にお互いの気持ちを語り合った。

いきなりすぎてさすがに断られると正直思ったけど、

「絶対やりたいので、一度持ち帰ってすぐ連絡します!」

と言ってくれ、親などに了承を得てすぐに連絡をくれ、やることになった。


実はこの時、まさに背筋がゾクゾクっと凍るような感覚になり、一瞬震えて心臓の鼓動がめっちゃくちゃ早くなった。

この気持ちはチャリで日本一周をした時の初日の気持ちと似ていた。

家を出発して数時間。地元から離れていく度に、

「もう引き返せない。これからもう当分は帰れない。そして、旅が終わるころには必ず何かが変わってしまう、今の自分ではなくなってしまう」

という恐怖と不安。

その震えを「これは武者震いだ!かかってこい!」と言い聞かせて、また僕はペダルを漕ぎ出す。

【起業ポエム】チャンスはピンチの顔してる
(・へ・) ←ちょうどこんな顔してた

最終章:そしていよいよオープン!

2019年7月からの半年間。毎日会ってはミーティングを繰り返し、

「こんなサークルがあったら絶対に通う!」

と思えるようなアイデアを出し合っていった。

物件探しもなかなか見つからず大変だったけど、探していく中で吉祥寺に丁度スナックの居抜き物件を見つけた。

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地下だし、カラオケもついてたので音も大丈夫そう!しかもスナックだからキッチンやカウンターもついてる!

ということで、この物件に決定。シャンデリアついてるしスナックすぎるので、内装はフルリフォームした。

レイアウトのイメージはこんな感じ。

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3Dでこんなの作れちゃうんですね!そしてかんなりオシャレやん!スナック感が一気になくなった!


その後もオープンまで毎日開店準備に明け暮れた。初めてのことばかりで右往左往だったけど、やっぱり自分たちのお店が作れるってだけでテンションも上がるし、毎日が遠足前夜のようだった。

そして2020年1月7日、音楽教室×バンドサークル×カフェバー×ライブというごちゃ混ぜサークルの「MUZYX(ミュージックス)」が無事オープンした。

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通常の業務は経験のある2人にやってもらい、僕と高木でホームページを作り、広告・宣伝をしていった。

ホームページもガッツリ作って、お店の内容もかなりオシャレで、とにかく想像以上の出来だったけど、それで実際に人が来てくれるのかは別問題。

少しでも多くの人の目に留まるように、そして、来てくれた人が満足して長く通ってもらえるように、それぞれが出来ることを一生懸命に取り組んでいった。


・・・


そして、3ヶ月が経つ。

なんと、問い合わせは1日3件ほども来るようになり、会員数はなんと100人を突破してしまった!

MUZYXしゃ.001


正直、言い出しっぺの僕が今まで毎日ずーっと不安で仕方ない状態だった。

でも僕たちの作ったサークルに人がきてくれて、「難しくてできませーん。」「きゃー!できましたー!」なんて笑顔が溢れたり、

念願の初ライブも出来て、一緒にバンドやったりお酒を飲んで色んな話をして、

本当にやって良かったなと、感動してしまった。



でも、大事なのはこれから。

旅やアフィリエイトなど、自分との戦いを今までしてきた僕だけど、これからは自分のチカラを誰かのために、全部自分がやるんじゃなくて、自分にできることを精一杯やっていきたい。

そして、このサークルにきてくれた人が自分らしく思いっきり楽しんでもらえるように。

音楽を通してたくさん出会って、またあの頃の青春時代のようにかけがえのない時間を過ごしてもらえるように。

日々勉強を続けながら、この4人が自分らしく駆け抜けていきたい。

【最後の起業ポエム】
「やらなきゃよかった」なんて思うことは僕の人生1度もない。出会いも別れも、パチンコ行って貯金なくしたのも、一つの失敗でさえも欠けてれば今の自分はなかっただろう。
それが成功するか失敗するかはどうでも良くて、大事なのは、やりたいと思ったことをやるかやらないかだ!
・・・と、自分に言い聞かせてます。

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