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西尾元「死体格差 解剖台の上の「声なき声」より」

特掃隊長「特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録」

菅野久美子「家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。」

からの流れ。

上記二冊で出てきた孤独死の現場では、警察が既に遺体を持ち出した後の話が主だった。
本書はその「警察が運んでいった遺体」を解剖する側の話である。
作者のいる法医学教室では、年間300体ほどの遺体を解剖するという。様々な遺体と向き合った現場からの、いや、解剖台の上の遺体からの声について書かれている。

いくつか興味深い事例をあげてみる。

・法医学用語に「気異性脱衣」という言葉がある。人は凍死の直前にはむしろ暑さを感じ、着ていた衣服を脱いでしまうのだとか。脳内の体温調節機能が狂った末の行動である。

・借金を抱えている自殺者の借入額は、不思議と500万円前後であることが多い。

・人は死ぬと徐々にその外見は緑色に変わっていく。

・アルコールだけを摂取していても生きることは出来る(ただし健康的に、という意味ではない。風邪一つで命取りになる)。

・体表面積の20~30%もの皮下出血(あざ)が出来た場合、急性腎不全により亡くなる可能性がある。

解剖によりその遺体が事故死だったのか、病死だったのか、殺人だったのか、真実が判明する。解剖に回さなかったために、本来事件性のあったものが見逃されてしまう可能性もあるわけだ。

とある交通事故死の遺体を解剖した際に、死体検案書の死因の欄に「車両との衝突」と著者は書いた。当時の著者の恩師はそれを「暴走自動車との衝突」と書き直させた。遺体となった女性や遺族の無念さを、少しでも警察に訴えることが出来るようにというものだ。ほんの僅かの記述の違いにせよ、言葉の持つ力というものを感じた。

ちなみに、

法医解剖医が主役となるテレビドラマを観ていると、警察とともに犯人捜しを行うようなことがある。しかし、現実ではそんなことは絶対にあり得ない。

ということらしい。

死因を特定するというのは、時には「誰も犯人ではなかった」という証明になる場合もある。

 死因は特定できなくても、わかることもある。頭の中で出血をしているわけではない。何かを喉に詰まらせて窒息しているわけではないなど、疑われる可能性を否定してあげることも、時には遺族にとって”救い”になる。
 特に乳幼児や子供が亡くなった場合、「自らの不注意のせいではないか」という、自責の念を抱いている親もいる。しかし、実際はたとえ親が見守っていたとしても、避けられなかったケースが圧倒的に多い。

法医学を学ぶ学生は多いが、解剖医の数は少なく、解剖数は都道府県によって極端に違いがある。酷な仕事であるのは読んでいてよく分かる。本書の紹介によって少しでもその一助となればと思って、この文章を書いている。

一連の孤独死、特殊清掃関連を読んだ後で書いた音楽小説「芋虫」人間椅子。



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