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目の前にある食事と向き合う時間

先日、仕事から帰ってきてから、ニラ饅頭を食べていました。

このニラ饅頭は冷凍食品なのですが、クオリティがとても高いので、我が家の常備食品となっています。

特に焼き立ては最高です。

皮は、パリッと香ばしい部分と、もちっとした弾力のある部分の二重構造になっていて、その中には肉汁溢れるジューシーな餡が所狭しと詰め込まれています。
熱々の状態で齧り付くと、パリッ、モチッ、アチッ、ジュワーッとなって、もう堪らないのです。

そんなニラ饅頭を5つほど食べ終えた私は、「ご馳走様でした」と、キッチンの流しの中に、使っていたお皿やらコップやらを置きに行きました。

すると、どことなく居心地の悪さといいますか、違和感のようなものを、そこはかとなく感じたのです。

私は「なんだこの感覚は」と思いながら、流しの中に再び目をやると、そこには左右で太さも長さも違うお箸が置かれていたのでした。

どうやら私は知らず知らずのうちに、左右で別々のお箸を使ってニラ饅頭を食べていたようなのです。

容易に想像していただけると思うのですが、左右で別々のお箸を使うというのは、なかなかの気持ち悪さを伴います。

まるで、右足にくるぶしソックスを履き、左足にルーズソックスを履いているような、そんな気持ち悪さがそこにはあったはずなのです。

それなのに、一切の違和感を感じることもなくニラ饅頭を食べ続けていた私は、いったいどれだけボーッとしたまま食事をしていたのでしょうか。

そう思うと私は、食に携わる人間として、多少のショックを受けざるを得ませんでした。

それとは別にもう一つ、私の心をチクチクと針で刺すような、ちょっとした胸の痛みがありました。

この痛みはなんだろうと思い、頭の中で時間を巻き戻してみました。

するとそこには、お箸を引き出しから取り出す時も、ニラ饅頭を食べている間も、ずっとスマホの画面ばかりに夢中になっている私がいました。

ついさっきまでは、「ああ、やっぱり堪らんなぁ」なんて言いながらニラ饅頭を食べていた訳ですが、左右でお箸が違うことにも気が付けないくらいスマホに夢中になっていた私が、ニラ饅頭の味をちゃんと堪能できていたとは到底思えません。

何度も食べたことのあるものだから、だいたいこんなもんだろうと頭の中で勝手に味を作り上げて、たいして味わいもせずに胃に流し込んでいたに違いありません。

これではニラ饅頭に申し訳ないだけでなく、こんな私のために、命を頂戴してくれている生き物たちにも合わせる顔がありません。

きっとこの胸の痛みは、料理人という食に携わる職につきながらも、目の前にある食事とちゃんと向き合えていなかった私に対する警告だったのではないでしょうか。

私の血となり骨となる栄養も、脳内で幸せホルモンを分泌する旨味成分も、全て生き物の命や、その一部分から頂戴しています。

それを、なんとなく口に放り込んで、無意識のうちに消化されたら、トイレに流してサヨウナラなんて、あまりにも悲しすぎます。

毎日とは言わなくとも3日に1回、いや、1週間に1回でもいいから、目の前にある食事とじっくりと向かい合う。

そんな時間があってもいいんじゃないかと、思わせてくれた出来事でした。

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