doriokun/綴る料理人

40歳(男) 妻と娘と三人暮らし。 イタリア料理をベースに、現在は肉料理店シェフ。…

doriokun/綴る料理人

40歳(男) 妻と娘と三人暮らし。 イタリア料理をベースに、現在は肉料理店シェフ。 お酒、映画、音楽、読書、座禅が好きで、 高い所と早い乗り物が苦手です。 日常の中で感じた出来事を料理人目線で発信していきます。

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  • たそがれ商店街ブルース

    note 2024創作大賞 ファンタジー部門応募作品   「目で見えるもんなんてのは、結局そんなもんなんだよ」

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たそがれ商店街ブルース 最終話 心の風邪

 玄関の扉を開けて家の中に入ると、ひんやりと冷え切った空気の中に、どこか落ち着く匂いが混ざり合っていた。それは私の匂いであり、私が生活する中で発生させた匂いであり、それらが染みついた私の家の匂いだった。  私は靴を脱ぎ、玄関を上った。そして、台所の床に買い物袋を置くと、隣の部屋へと続く襖を開けた。すると、より一層私の匂いがした。ほんのりと漂う畳の匂いの中に、確かに私の匂いが混じり合っていたのだ。  部屋の中ほどに置いてある小さな座卓の上には、昼間、戒めのために置いたティッシュ

    • たそがれ商店街ブルース 第10話 たそがれ商店街

       あちら側の商店街が一歩ずつ近づくのに合わせて、西の空はまた徐々に色彩を取り戻し始めていった。しかし、太陽はもうほとんど沈んでしまっているために、その光はとてもか細くて、まるで最後の一滴まで絞り出されたあとのオレンジのように寂しげだった。  街灯がいつの間にか点灯している。冬の黄昏時だ。私は早く塔子ちゃんに会いたくなった。  踏切は遮断機を高く空に掲げ、商店街は私を快く迎え入れてくれた。私は呼吸を整えながら、ゆっくりと踏切を渡っていく。この踏切を渡り切りさえすれば、私は自分

      • たそがれ商店街ブルース 第9話 警察官

         私はいったいどれくらいの間、空中に身を置いていたのだろうか。それは一瞬の出来事のようにも感じられたし、数分間の出来事のようにも感じられた。ただ一つだけ確かなことは、私は裂け目に落ちることもなく、無事にあべこべの神社から戻って来ることができたということだった。その証拠に、私は今、商店街の真っ只中にいる。私の住んでいるアパートがある、あちら側の閑散とした商店街ではなく、少年に扮した河童と並んで歩いていた、あの賑やかな商店街だ。  まだ冷めやらない高揚感も後押しをして、夕焼け色

        • たそがれ商店街ブルース 第8話 あべこべの神社

           参道に取り残された私は、まだ自分の目に映っている景色が信じられないでいた。  さっき、河童に「もうすぐですよ」と言われた時、私は間違いなく住宅街を歩いていた。そして「裂け目」という言葉を聞いて、私は思わず足元に目をやったのだが、そこには裂け目どころか石ころ一つ落っこちてなくて、これはいわゆる河童的ジョークなのだろうと思い再び顔を上げると、次の瞬間には神社の参道を歩ていたのだ。これはどう考えてもおかしいし、とてもじゃないが現実の出来事とは思えなかった。  しかし、私は今、実

        たそがれ商店街ブルース 最終話 心の風邪

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        • たそがれ商店街ブルース
          11本

        記事

          たそがれ商店街ブルース 第7話 あちら側

           雨宮ドラッグを後にすると、私たちは再び神社へと向かって歩き出した。河童は非常に警戒心が強いのか、相変わらず私の背後にピタリと張り付いて歩いている。河童の存在には徐々に慣れつつあったものの、やはり歩くたびに鳴る変な足音や、風が吹くたびに漂ってくる磯の臭いが気になって仕方なかった。しかし、不思議なことに、そこにはさっきまでのような不快感はなくなっていた。  神社へ戻ってくると、私たちは周りに誰もいないことを入念に確認してから、本殿の床下に潜り込んだ。そして、じっと息を潜め、も

          たそがれ商店街ブルース 第7話 あちら側

          たそがれ商店街ブルース 第6話 薬局

           河童はまるで、子供の頃に遊んだロールプレイングゲームのフィールド画面のように、ぴったりと私の後ろに張りついて歩いていた。河童を引き連れて歩くという行為自体に慣れていないせいもあってか、それはあまり気持ちのよいものではなかった。  足に水掻きがついているせいで、歩くたびにペタペタと変な音がするし、風が吹くたびに磯の香りがふわりと漂ってきた。ただ、これらは後ろに河童が居るとわかっているからいちいち気になってしまうものなのか、そうではないのかが、いまいちよくわからなかった。  神

          たそがれ商店街ブルース 第6話 薬局

          たそがれ商店街ブルース 第5話 変装

           私と河童は本殿の床下で、膝を抱えて並んで座っていた。太陽はすっかりと顔を出し、蓋の開いた井戸の周りでは、すでにしっかりと脂肪を蓄えた冬のスズメたちが「もっともっと」と落ち葉に埋もれている何かを必死につついていた。そんな強欲なスズメたちと、河童が隣にいる事を除けば、それはとても穏やかな昼下がりのように思えた。 「助けていただいて、ありがとうございます」   他の河童はどうか知らないが、私が助けた河童は流暢に日本語を喋った。そこで私は、いったいどうしてこんな所で倒れていたのか

          たそがれ商店街ブルース 第5話 変装

          たそがれ商店街ブルース 第4話 遭遇

           井戸に一歩近づくごとに、空気が少しずつ冷えてくるような感覚があった。もしかしたら、井戸の中から冷気のようなものが発せられているのかもしれない。そもそも、井戸の中というのはいったいどうなっているのだろうか。土で埋まっているのだろうか。それとも深い穴が空いたままになっているのだろうか。もし穴が空いているのだとしたら、強い風が吹いただけで落ちてしまうような蓋じゃやっぱり危険すぎる。万が一、子供がふざけて落ちてしまったりしたら、いったいどうするつもりなのだろうか。  私は恐怖心に

          たそがれ商店街ブルース 第4話 遭遇

          たそがれ商店街ブルース 第3話 神社へ

           雨宮ドラッグの少し手前には八百屋さんが2軒ある。  私が住むアパートから向かっていくと、まず右手に原青果店があり、その奥の斜向かいには青木果物店があった。  この2つの八百屋さんは商売敵というよりも、むしろ仲良しで「トマトだったら原さんとこの方がジューシーよ」とか、「リンゴなら青木さんとこの方が蜜が詰まってるわよ」と、お互いに相手の店を勧め合いながらうまく共存していた。  原青果店のトミさんは6年ほど前にご主人を亡くされたため、今は70を過ぎて尚、1人で切り盛りをしている

          たそがれ商店街ブルース 第3話 神社へ

          たそがれ商店街ブルース 第2話 こちら側

           私が住んでいる街には商店街が2つある。  踏切を境にして、西側に広がるこちら側の商店街と、東側に広がるあちら側の商店街だ。私が住んでいるアパートはこちら側の商店街を抜けた先にあり、踏切からは歩いて10分ほどの距離にあった。  どうしてこうなってしまったのかはわからないが、同じ街に存在しているというのに、あちら側の商店街と、こちら側の商店街とでは、まったくといってよいほどに雰囲気が違った。  こちら側の商店街は、昔ながらの小さな個人商店がまばらにあるだけの簡素な商店街なのに対

          たそがれ商店街ブルース 第2話 こちら側

          たそがれ商店街ブルース 第1話 微熱

           幼い頃、熱を出すといつも奇妙な夢を見た。  細くなったり太くなったりする雪が降りしきる山道を、1人歩く少年の私。どこから来たのか、どこへ向かっているのかもわからないまま歩き続けていると、いつの間にか、360度が真っ黒闇に包まれた空間にワープしている。私は自分が立っているのか浮いているのかもわからない。すると、どこからともなく、ふんどし姿のいかつい男たちが現れて「エンヤコーラ、エンヤコーラ」と掛け声を発しながら舞を踊り、私の周りを縦横無尽にグルグルと回り始めるのだ。  縦、横

          たそがれ商店街ブルース 第1話 微熱

          月とビールとおじちゃんと

          異常に暑かった夏が終わり、シャインマスカットが非常に安かった秋も終わり、いよいよ冬がやってきます。 だいぶ空気が乾燥してきたので、そろそろ手荒れしないようにハンドクリームを買わないといけません。 家の中も乾燥してきたので、寝る時は濡れたタオルを寝室にかけなければなりません。 カンカンカン、火の用心、カンカンカン、火の用心。 そして、何より気をつけないといけないのは火の元です。 心の火種はそのままに、火事の原因となる火の元だけは徹底的に始末しないといけません。 カン

          月とビールとおじちゃんと

          歳をとるのも悪くない〜40になって知った新しい楽しみ〜

          今から40年前、私は後に通うことになる小学校のすぐ近く、やや古めかしい雑居ビルの3階にある小さな産院で産声をあげました。 2700gと、やや小さめでこの世に生み落とされた私でしたが、40年の月日を経て、今や身長169cm、体重58Kgにまで成長し、体脂肪率は20%超えと、スリム体型に見せかけてしっかりと懐に脂肪を溜め込むタイプ、「やや肥満」というハンコを押されるまでに至りました。 都会に産まれたとは思えないくらい純朴に育ってしまったせいか、初対面の相手にお金を貸して、その

          歳をとるのも悪くない〜40になって知った新しい楽しみ〜

          嗚呼、中年クライシス〜うねるリズムのその先へ〜

          その日の朝は、家族がいない静かな朝でした。 「早く歯磨きしなさいよ」と小学生の娘に言う妻の大きな声も、つけっぱなしの子供番組から聞こえてくる騒々しい笑い声も聞こえません。 そこにあったのは、もう10年以上使っている冷蔵庫のモーター音と、上の階の住人がまわす洗濯機の音くらい。 私は久しぶりに静かな朝だと思いながらも、さて世の中はどんな感じかなと、なんとはなしに朝の情報番組をつけてみました。 しかし特に気になるニュースもなく、星座占いのコーナーもまだ始まらなそうだったので

          嗚呼、中年クライシス〜うねるリズムのその先へ〜

          哀愁のスパイスカレー

          そのカレー屋さんは、私が生まれ育った街にありました。 狭いバス通り、私がまだ小さい頃からある古い一軒家の一階部分で、ひっそりと営業しているスパイスカレー屋さんです。 路面店にも関わらず、そのあまりにもひっそりとした佇まいのせいで、私は無意識のうちにお店の前を通り過ぎてしまっていました。 途中、漂ってくるスパイスの香りがだんだん薄まっていることに気がつき、鼻をクンクンと効かせながらもと来た道を戻ってみると、地図に書いてあった通りの場所にそのお店はちゃんとありました。 店の

          哀愁のスパイスカレー

          今宵、私はあべこべに酔う

          いつからか、夕方、娘が小学校の宿題や学習プリントでの勉強を始めるのと同時に、私はキッチンに立ち夕飯の準備を始めるようになりました。 それは小学2年生の娘が勉強しているというのに、その傍らでゴロゴロしながら本を読んでいたり、はたまたギターを弾きながら調子っぱずれの歌を歌っている父親の姿というものが、なんとなく申し訳なく思えてきたからです。 この日も娘が漢字の学習プリントを始めるのと同時に、私はキッチンに立ち夕飯の準備を始めました。 娘はリビングにあるテーブルの上をちゃちゃ

          今宵、私はあべこべに酔う