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たそがれ商店街ブルース 第2話 こちら側

 私が住んでいる街には商店街が2つある。
 踏切を境にして、西側に広がるこちら側の商店街と、東側に広がるあちら側の商店街だ。私が住んでいるアパートはこちら側の商店街を抜けた先にあり、踏切からは歩いて10分ほどの距離にあった。
 どうしてこうなってしまったのかはわからないが、同じ街に存在しているというのに、あちら側の商店街と、こちら側の商店街とでは、まったくといってよいほどに雰囲気が違った。
 こちら側の商店街は、昔ながらの小さな個人商店がまばらにあるだけの簡素な商店街なのに対して、あちら側の商店街は、大手のチェーン店をはじめ、今時の小洒落た店が所狭しとひしめき合っていた。
 それともう1つ不思議なことに、こちら側の商店街とあちら側の商店街を行き来する人は、ほとんどいなかった。特に決まり事があるわけではないのだが、こちら側の住人はこちら側の商店街で、あちら側の住人はあちら側の商店街で買い物を済ませるのが常だった。
 現に、私もあちら側の商店街に足を踏み入れたことは、まだ数回しかない。
 いったいなぜこういう現象が起こってしまうのか詳しいことはわからないが、10年ほど前、あちら側の商店街を抜けた先にできた、あるマンションが影響しているという噂を聞いたことがあった。
 そのマンションは「シャトー・ラ・トゥール」という名前で、場違いとも思えるほどに立派な高層マンションだった。

 私は玄関の扉を開けて、3日ぶりに家から出た。すると、外は冬の匂いがした。寒波が来ていることもあってか、少し風が吹くだけで身が縮こまるほどに寒い。しかし、一歩日向に入るとポカポカとは言えないまでも、突き抜けるような冬の青い空に浮かぶ太陽の光が、じわじわと体の芯まで届いていることをはっきりと感じることができた。
 私は塔子ちゃんを見上げた。青い空をバックに聳え立つ塔子ちゃんは、日の光を浴びて輝きを放ち、とても綺麗だった。そんな塔子ちゃんの腰の辺りには、冬を乗り越えるためにぷっくりと脂肪を溜め込んだスズメたちが、仲良く寄り添って止まっていた。スズメたちはひっきりなしに首を縮めたり伸ばしたりしながら、気持ちよさそうに日光浴をしていた。
「ちょっと買い物にいってきます」
 塔子ちゃんを見上げたままそう呟くと、私は踏切の手前にある薬局、雨宮ドラッグを目指して歩き始めた。

 3日ぶりに家から出たこともあってか、歩きながら外の空気を吸い込むだけで、私は今まさに生きているんだと、そんな気がした。
 しかし、私のこの高揚感とは裏腹に、こちら側の商店街は日曜日の昼過ぎだというのに、とても閑散としていた。外を歩いているのは杖をついたご老人か野良猫くらいなもので、相変わらず道路に描かれた白線だけが、やたらと目立っていた。
 街の小さな電気屋さん、村田電気の前を通りかかると、開け放たれた入口から、この地域のローカルラジオ局の人気DJ、ことみんが天気予報を読み上げる声が漏れて聞こえてきた。ことみんはいつもの少し鼻にかかる声で、明るく元気にリスナーに呼びかけていた。
「今日は乾燥が非常に激しいですからね、皆さん、火の元には十分注意して過ごしてくださいね」
 私はそれを聞いて、思わずガスの元栓をちゃんと締めたかどうか心配になったが、家を出る前に指差し確認したことをすぐに思い出し、ほっと胸を撫で下ろした。

 村田電気から2ブロックほど歩くと、左手に神田酒店が見えてくる。店の前では店主の神田さんが、いつものように前掛けのポケットに手を突っ込んだままタバコをふかしていた。
「おう、山ちゃん、元気してる」
 神田さんはこの店の3代目の店主で、この街の生まれ、そして、私と同い年だ。長く伸ばした髪の毛を明るく染めているので、一見チャラそうに見えなくもないが、実はとても面倒見がよく、それでいて、少しばかり面倒くさいところがある人でもあった。
 そして、私が知っている中では唯一、あちら側の商店街とこちら側の商店街を日常的に行き来している人でもあった。
「ええ、元気かと聞かれれば元気なんですが、ちょっと風邪を……」
 私がここまで喋ったところで、神田さんはいつものように私の話を途中で遮って話し始めた。
「ところでさあ、山ちゃん。隣町のスナックに新しくピチピチした女の子が入ったらしいんだけど、今夜どう?どうせ暇でしょ、独り身なんだしさ」
 神田さんはいつも強引だ。それは私がこの街に引っ越してきた初日から少しも変わらない。

 私がこの街に引越してきた当日、陽も暮れて、辺りがすっかり暗くなった頃にダンボールの荷解きが一段落したので、私はとりあえずビールでも飲もうかと思い、神田酒店の入り口をくぐった。
 そして、どんなお酒が置いてあるのかと、決して広くはない店内を一回りした後に、冷蔵ショーケースの中から缶ビールを2本取り出してレジへと持っていった。すると、レジカウンターの中の小型テレビで野球中継を見ていた神田さんが、私を見るなりもの珍しそうな顔をして言ったのだ。
「あんまり見ない顔だね。ひょっとして越してきたの」
 私は超能力者のような神田さんの一言に動揺してしまったのだが、こういう小さな商店街では見ない顔の客が来ること自体が珍しいのかもしれないと思い直し「今さっき越してきたばかりです」と答えた。すると神田さんは、1週間ぶりに獲物を見つけたサバンナのチーターのような顔をして「あっ、そう」と言うと、バーコードを読み取らないまま缶ビールをレジ袋に入れた。
「これは俺からの引越し祝いだから」
 そう言って神田さんは私の前に缶ビールが入ったレジ袋を置いた。
 私はいきなりのことに戸惑いながら「それは悪いですよ、ちゃんとお支払いしますから」と財布を開こうとしたが、神田さんは「こういう時は素直に受け取ってよね。そういうのって大事よ」と言って、テレビの野球中継へと戻っていった。
 私はここは素直にありがたく受け取っておいたほうがよいのかもしれないと思い「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」と礼を言うと、神田さんはテレビから目を離すことなく「じゃあ2時間後に、ここ集合ね」と言った。

 その2時間後、私は神田さんに連れられて、今は廃墟と化している銭湯「天恵の湯」の向かいにある、「酒処ご縁」という居酒屋に足を踏み入れた。そして、そのままこちら側の商店街の方々と朝まで酒を浴びるように飲む羽目になり、記憶を飛ばし、目を覚ました時には「山ちゃん」として、商店街の方々から受け入られるようになっていのだった。
 私の記憶が飛んでいる間にいったいなにが起こっていたのか、今や知る由もなかった。

「風邪をひいているので、今日はやめておきます」
 スナックの誘いを断ると、神田さんは「あっそう。お大事に」と珍しく素直に諦めてくれた。そして、道路脇の排水溝にタバコを投げ入れると「その格好やばいよ」とだけ捨て台詞を残し、店の中へと戻っていった。
 店の前に一人残された私は、神田酒店の入り口のガラス戸に自分を映してみた。膝下まである黒いロングコートに目深に被ったニット帽。茶色いレザーの手袋に、目だけを残して顔を覆い隠すマスク。私はその姿を見て、これは確かにやばいと言われても仕方ないなと思った。
 しかし、夕飯の材料を買って帰るだけなのに、今さら着替えに戻るのも面倒に思えたので、私はそのままの格好で雨宮ドラッグへと向かった。

 神田酒店から雨宮ドラッグへと向かいしばらく歩いていくと、右手に石川鮮魚店と田中精肉店が並んで現れる。
 石川鮮魚店の店主、りきさんはいつもの白いTシャツとねじり鉢巻き姿で、咥えタバコをしながらショーケースの前で仁王立ちしていた。
「おお、山ちゃん、そんなストーカーみたいな格好してどうした」
 力さんは息が白くなるような寒い日でも白いTシャツ一枚だ。本人は寒くないと言い張っているが、いつも乳首の部分がはっきりと浮き上がっているので、痩せ我慢をしているんじゃないかという噂があった。しかし、力さんは強面で、たっぱがあるうえに気が短いということもあり、まだ誰も真相を確かめたことはなかった。
「ちょっと風邪をひいてしまいまして」
「たく、情けねえな若けえくせに。そんな厚着してっから体が弱くなるんだよ」
 すると、隣でそのやり取りを見ていた肉屋の田中さんが、いつものふざけた調子で力さんのもの真似をし始めた。
「なにぃ、山ちゃん風邪ひいたのぉ。たくぅ、情けねえなぁ、若けえくせにぃ」
 田中さんは力さんとは打って変わって、ずんぐりむっくりのお調子者なのだ。
 田中さんは自分の着ているパーカーの中に手を入れて、乳首の辺りを内側からとんがらせた。すると、それを見ていた力さんが、田中さんの頭にゲンコツを落とした。
「ゴツん」という大きな音が冬の空に響いた。
「痛ってえなっ!そうやってアンタが毎度毎度殴るから年々俺の背が縮むんだよ!」
 田中さんが力さんを睨みつけた。すると、もう一発おまけのゲンコツをくらっていた。
 私はあまりにも痛そうなゲンコツだったので、思わず眉をひそめた。そして、それと同時にコントみたいな2人のやり取りに声を出して笑った。

 ここの商店街の人たちは確かに皆癖が強いけど、基本的にはみんな優しい。いつも明るく声をかけてくれるし、話も面白い。それに、他の商店街にはないような親密さと温もりがあった。
 現に今、私はこうして商店街の人たちと触れ合うことで、昨日までチグハグだった体が徐々に自分の型に戻り、少しずつ思い通りに動かせるようになっていくのを感じていた。

「これから雨宮ドラッグにいくので、その帰りにまた寄らせてもらいます」
 私は揉み合っている2人にそう伝えると、再び商店街を歩き出した。

 ああ、私は生きている。暮らしている。この商店街の片隅で。塔子ちゃんに見守られながら。


第3話へ続く

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