【短編小説】 俺 vs 読書感想文(下) 実践編 そして……
まずは題名だ。これはもうそのままでいい。
改行して、2行目に学年と名前、ほらもうこれで残りたった98行……まだそんなにあるのか……。
俺は本編1行目を書き出そうとした。
手が止まった。
何も浮かばない。
こういう時は姉貴のメモだ。
1.ごく簡単なあらすじや説明、あるいはこの本を読むに至るまで
これは難しくない。子供の頃に読んだ本なので、「子供の頃に読んだ本です」というのを適当に膨らませて書けばいい。ついでなのでどうでもいいことと改行で数を稼ごう。
俺は自分の才能がおそろしくなった。もう12行も埋まった。
だが次はいよいよ、本の中身に触れなれればならない。
何が書いているのか十分すぎるほどわかっていたが、俺はページをめくった。
やはり、「あ」の文字と、アリの絵がある。これはどうしようもない。
姉貴のメモの2つ目を見る。
2.印象的だった台詞や場面を抜き出す
台詞、場面……何もねぇ……。
こんなもんどうしたらいいんだ。頭を抱えて上半身を振り回していたら、10分ほどが経過した。
悶絶していてもマス目が埋まらないことがわかったので、俺は「アリ」について書くことにした。台詞や場面がない代わりに、アリはいる。
書いているうちに先が思いつくだろう。思いつかなくても別にいい。マス目は埋まる。
原稿用紙の1枚目が終わったし、悪くないところに着地した。
こういうことを考えたり思ったりした記憶は全然ないけど、まあいいじゃないか。あるあるネタみたいなもんだ。書いたもん勝ちだ。いい話っぽいし。全然OKだろ。こんなもんだよ。
俺の中にいける、という気持ちが芽生えてきた。この調子でいい感じのエピソードを書いていけばどうにかなるだろう。
原稿用紙は2枚目に入った。俺は絵本のページもめくる。「い」と、イヌの絵がそこにあった。よし、イヌだな。わかったわかった。
このような事実はない。
ペットを飼ったことなど一度もない。
だが考えてみてほしい。「読書感想文に作り話を書いてはいけない」とは教わらなかったはずだ。「思ったことを素直に書きましょう」とか言われただけだし、実際このように、思ったことを素直に書いている。
4.それらの台詞や場面・気持ちを、自分の体験と比べてみる
つまりこれの応用だ。実体験ではないが、この際そのあたりのことはよしとしよう。
言うまでもなく、このような事実はない。
筆が乗ってきた。よし、この犬には死んでもらおう。こういう場合、動物は殺した方が盛り上がるし文章も引き伸ばせる。俺は「お」が「おじいちゃん」か「おばあちゃん」だったらよかったのにな、と思った。そうなればかなり長々と書けたのに。
よし、ドラマチックだ。行数も稼げたし2枚目を終えられた。満足度が高い。
波に乗ってきた俺の口から口笛が流れてくる。調子が出てきた。そういえば昔からこういう作り話は得意だったのだ。小学生の時は6年、読書感想文をこんな具合にやり過ごしていたわけだし。
「イヌ」を無事に終え、次の文字へと行く。
途端に俺の目の前が真っ暗になった。
「う」…………。
う、「ウンチ」で、いいのだろうか、これは。
今さっきまで超絶に順調だった俺のシャーペンが止まる。
頭を抱えて机に顔を伏せた。物理的にも目の前が真っ暗になった。
コレと、自分の人生について、一体どんなことを書けというのか。幼稚園の時におゆうぎ会の直前、漏らしてしまったことを書くのか。馬鹿野郎。そんな恥を公にできるか。ふざけるな。どうしてこんな絵本で読書感想文を書かなきゃならないんだ。
こんなことってあるか。こんな本を書いた奴をしばき倒してやりたい……。
ふとそこで、姉貴のメモを思い出す。
3.その時の登場人物や作者の気持ちを想像する
5.自分をサゲて、読んだ本や作者をアゲて……
これか。
この2点でどうにかしてこじあけて、こじつけて、15行くらい埋めておかないとペース的に後がつらいのだ。
とりあえず、こういうことになった。
だがしかし、まぁ、これだけ埋まってくれたわけで、それはそれとして、よかったと考えておかねばならない。よし。よし! これでよし!
大きな山を越えた。俺の心に火がともる。行数の消化ペースもいい。
次は「え」で、「エンピツ」だ。
あれっ、おかしいな。
3枚目を終えたはいいけどさ、なんでこれしか進まないの?
気づけば腕も重くなってきたし瞼も重くなってきていた。疲労だ。慣れないことをしてきたので疲れが溜まってきたのだ。
時計を見るともう2時半だった。2時間も苦行を続けていればそりゃあ疲れるに決まっている。俺は人間だ。人間は疲れる。疲れるのが人間だ。
俺は部屋を出て台所に行って、音を立てないようにしつつカレーの残りを少し食べてからコーヒーを淹れて飲んだ。これから死闘へ赴く燃料だ。
部屋に戻って、ベッドに横になって体力の回復をはかった。
目が覚めた。
朝の6時になっていた。
「どうして」俺はうめいた。「どうしてこんなことに」
電磁波とかの異常で時計が急に進んでしまったのかもしれない。俺は部屋のカーテンを開けた。日光がまぶしい。スズメがチュンチュン鳴いている。朝だ。逃げ場のない朝が来た。
8時には家を出なくてはならない。大急ぎで机に向かう。
朝飯を食べて顔を洗い、ゆっくりする時間が30分くらいは必要だ。
だからあと90分で原稿用紙2枚を「お」の「おにぎり」とまとめで満たしてやらねばならない。
やるしかない。
というかもうここまで来たら「書く」のではない。「マス目を埋める」作業だ。俺は機械だ。人の心を無くせ。
情報量が少ない。しかしそれはつまり、行数が稼げているということだ。これでいいのだ。先を急がねば。
もちろんウソだ。夏休み前に歴史の授業で観た、昔の日本の映像から借りて現代風にアレンジした。
その映像ではナレーターが感情たっぷりに、可哀想な子供たちに同情を寄せる言葉を投げかけていた。泣いている女子もいた。
ついに5枚目に突入したついでに、あれからもっとパクることにしよう。
よし、あと10行を切った! とうとうここにまでたどり着いた。すべて自分の実力でだ! 俺はすごい!
俺は姉貴のメモを見る。最後はそう、
5.自分をサゲて、読んだ本や作者をアゲて、「感動した」「見習いたい」「これからの人生に生かしていきたい」などでシメる
このように締めくくればいい。そしてここまで大事にとっておいた「改行で稼ぐ」技を、今こそ発揮する時だ。
終わった。
書き終えた。
「ウワァーッ!」
俺は絶叫し、机から立ちあがり両腕を高く上げた。勝利の雄叫びとガッツポーズだった。
時計を見れば7時半。絶妙の終了時刻だった。
俺は完璧にやり遂げたのだ。
「ちょっとあんた~! 今日から学校でしょ~!」
一階から母親の声がする。
「おうよ!!」
俺は威勢よく返事をする。カバンに教科書とノート、それに宿題を詰めたあと、書き上げた読書感想文をスーッ、と静かに天にかかげてからそっ、と中に入れた。
俺の闘いは、終わったのである。
学校に行くと同級生たちがゾロゾロと教室内にひしめいていた。
偉大なる仕事を終えて有頂天になっていた俺には、全員がアホに見えた。
席に座るとさっそく、隣のアホが声をかけてきた。友達の秋山だ。先週遊んだばかりなのに「おう久しぶり」と間の抜けた挨拶をしてきたので、「おう久しぶり」と答えてやった。
俺は自慢したくなった。ついさっき、ギリギリで仕上げたことがそれほどに誇らしかった。
「なぁなぁ、お前さぁ、宿題、やった?」
胸の中で膨らむ気持ちを抑えながら聞く。
「まぁやったけどさぁ、ドリルとかは丸写しだよな」
「うんうん、そうだよな。わかるよ。で、読書感想文は、どうした? 書いたか? ちゃんと書いたか秋山? どうだ? うん?」
「あ~読書感想文なぁ、書いたよ一応」
秋山は頭を掻きながら言った。
「ネットにあったやつの丸写しだけどな」
「ネットに、あった、やつ……?」
俺の頭が動きを止めた。
「そうだよ」秋山は続ける。「スマホで、『読書感想文 コピペ』とか検索すれば、簡単にいくつもそれっぽいのが……」
「テメェふざけんなァーッ!」
絶叫して秋山の胸ぐらを掴んだ。
「なんでおしえてくれなかったァーッ!」
「お、お前なんで急にキレてんだよ?」
「友達じゃなかったのかァーッ!」
「お前、先週も昨日も、何も聞かなかっただろ……?」
俺は手を離した。全身の力が抜ける。
すてん、と椅子に腰を下ろした。
ネットに……ネットにあったのか……そんなものが……
俺の昨晩からの努力はなんだったんだ……
しばらくしたら担任が入ってきて宿題を回収しはじめた。
「おーいどうした近藤」教卓に宿題一揃いを提出しに行った俺の顔を見て、担任は言った。
「死人みたいな目して」
「ハァ、いや、その、なんといいますか、はは、ははは」俺は乾いた笑いと共に答えた。「ちょっと、不幸がありまして…………」
その一ヶ月後のことだった。
俺は放課後、職員室に呼び出された。
お前なにやらかしたんだよ~、と脅かすクラスメイトを無視して廊下を行き、職員室の担任の机まで行った。
「おう近藤、来たか。ちょっと学年主任の芝田先生のところまで行こう。お前が出した読書感想文のことで、話があるそうだ」
げっ。
これはまずい。
やっぱり適当にデッチ上げすぎたか。
芝田と言えばベテランの国語教師だ。これはヤバいことになった。説教からの書き直しコースかもしれない。まさか留年や退学なんてことはないだろう。たぶん……
「あッ、はァい、そうなンですねェ。わかりまシタ」
恐怖をおし殺しながら担任と連れ添って、職員室奥にある芝田先生の机まで足を向けた。
俺が着くと芝田先生は勢いよく立ちあがり、俺の両腕を掴んだ。もうすぐ定年とは思えないほどの力だった。
「近藤くん」そのまま揺さぶられた。「君の読書感想文はすごいぞッ」
すごい、と言われたので「はぁ?」と返事してしまった。それを気にせず芝田主任は興奮して続ける。
「いやあ近藤くん、君がこれだけ苦労の多い、波瀾万丈の17年を送っていたとは知らなかったよ! 大変だったね!!」
「はぁ」
まさかアリもイヌもオニギリも全部嘘のエピソードとは言えない。
「いやッ最近の高校生はねッ、なんでもインターネットで調べて、そのまま丸写しにしてしまう。ゆゆしき時代だよ!
読書感想文も然りだ。提出されたもののほとんどが、ネットで検索するとそのまんまの文章が出てくる。大変な世の中になってしまったよ!
そんな中でねッ、君の文章には! オリジナリティと、人生の厚みと、半生を赤裸々に、技巧に走らず木訥に綴る態度があった! 素晴らしかったよ!」
「はぁ」
確かに創作なので、オリジナリティはあるかもしれないが、そんなに心打つものだったのか? アレが?
「すごいじゃないか近藤、相当に褒められてるぞ」担任が肩を叩く。
「国語担当の皆さんにまとめて渡したので、僕はまだ読んでないんですが、そんなに面白かったですか」
担任が尋ねると、芝田先生は大きく頷いた。
「そうですとも! 国語担当、教頭、校長がみんな泣きましたからね!!」
そんなに。
「特に最近愛犬を亡くした教頭や、戦後の食糧難を思い出したという校長先生は号泣していましたよ!!」
ああ、そういうアレか……
感情移入するのはいいが、そっちで勝手に盛り上がっておいてほしい。
「それでねッ近藤くんッ! ……これはまだ周りのみんなにはヒミツにしておいてほしいんだが……」
芝田先生は急に声をひそめた。
「今年の夏休みの読書感想文の最優秀賞には、君の作文で内定してるからね」
「はい?」
雲行きが怪しくなってきた。
いや先生、僕は、とりあえず読書感想文を書いて出したという事実だけが欲しくて頑張っただけなんですが。
「それにだね、校長先生が君の感想文を読んでいて、思い出したことがあったんだ。
『この内容、もしやこの絵本を書いたのは、自分の旧友ではないか』とね。それで、連絡をとった」
黒い雲がどんどん広がっていく。
「すると確かにこの『あいうえおのえほん』、その校長先生の古いお友達が書いたものだった。絵本作家を目指していた若い頃の作で、校長も一冊、貰っていた」
「はぁー、そんな人のご縁があるもんなんですねぇ」
担任が相槌を打つ。
俺はソウデスネ、と答えるしかなかった。ソウデスネ、本当ニ、ソンナ縁ガ。
「その人は苦学で大学に入り、議員秘書になってね、国会議員になったんだよ。今は文科省の、副大臣にまでなっている人だ」
担任がエェッ、と叫ぶのと俺がゲェッ、と叫ぶのは同時だった。
「すぐさまFAXで送ったら、その副大臣さんは心の底から感動されてね、直接校長に電話をくれたそうだよ。
大昔に出した本が若い人にも読まれていたこと、こんな素晴らしい感想文を書いてもらえたことか嬉しい、とね。それで──」
芝田先生はさらに声を低くした。
「毎年、文科省がやっている『読書感想文コンクール』というのがあるんだが、
その副大臣さんたっての希望もあって、君の感想文が大賞に、すでに内定しているんだ」
俺の頭の後ろがツーン、と冷たくなった。
「いや本当にね、近藤くん。それもこれも、苦労の多かった人生と、昨年も我々を感心させてくれた文才と、人のご縁が実を結んだということだ!」
芝田先生はデスクの上からティッシュを取り、目頭の涙をぬぐった。
「よかった……! 本当によかった……! お父様にお母様にお姉さん、それにクマと戦った犬のポチも、喜んでいることだろう……!」
俺の背中に、担任のあたたかい手の平が置かれる。鼻をすする音がする。もらい泣きしているらしい。
違うんです。違うんですよ先生。
僕はただ、読書感想文をやっつけてしまおうと思っただけなんです。
膝が震える。声が出ない。
声を出そうにも、どう言えばいいのか。
コトはここまで大きくなってしまっている。
失神して倒れそうになっている俺をよそに、学年主任は朗々と話し続けた。
「今後、校長先生からご自宅に連絡が行くと思うからね。
おそらく長年のご苦労をいたわる言葉を伝えたいのだろう。
それに、秋に東京で行われる読書感想文コンクールだ。
ご家族全員そろって、ぜひ出席していただかなくてはいけない。
何せ文科省の副大臣のお墨付きなんだからね。晴れ舞台というやつだよ!
そうだ、そこで感想文の全文を朗読することになってるんだ。
教育放送テレビでも生中継されることになっている。
その日その時間は、全校生徒で中継を観ることになるだろうね。
あと、私はネットのことにはあまり詳しくないんだが、
文科省や動画サイトの公式チャンネルにも載るらしいぞ。
君の感想文と、朗読する姿が、半永久的に保存されることになる。
もしかするとだが、総理大臣や天皇陛下もご列席するかもしれない。
これはね、我が校はじまって以来の、一大イベントになるよ!
…………何やらビックリしているようだが、誇るべきことだよ近藤くん。
君はそれくらい、すごい読書感想文を書いたんだからね…………」
【おわり】
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