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アコンカグア3日目:高度順応

2019年1月23日(水)

青春を山に賭けて

昨日、ベースキャンプであるプラザ・デ・ムーラス(4,300m)になんとか到着することができた。

そして、テントを張り1泊した。いよいよここからがアコンカグア本番だ。

今日はオフ日で、体を順応させる日にする。南米には標高が高い都市もたくさんあるから(ラパスとかウユニとか、クスコ)そういったところから来た人たちはすぐに登って行ってしまうが、焦りは禁物だ。

技術が必要なく、登りやすい山と言われているアコンカグアでも毎年、死者を出している。

ふつうに歩いているだけでも息切れする。ここの標高は4,300mだということを忘れてはいけない。

ここから上にはどんな世界が広がっているんだろう。登って経験した人にしかわからない世界だ。

アコンカグアに登る前にメディカルチェックを受けないといけないので、ドクターのところに行ったが、忙しいのか午後に来てくれと言われた。

やることも特にないので、テントに戻って本を読むことにした。

日本から持ってきた本は、植村直己の「青春を山に賭けて」

1970年、植村直己が世界で初めて五大陸最高峰に登るまでの話だ。

ちょうど今から50年前、日本人が初めてエベレスト登頂を達成した年でもある。2020年はエベレスト登頂50周年の記念年だ。

作中にはアコンカグア登山の話も登場する。メンドーサの町並み、プラザ・デ・ムーラス、キャンプベルリン、そして植村直己が山頂に残した手紙。

エベレスト以外は単独登頂、一人でフランスへ渡ったり、マッキンリーへ挑戦するときも粘り強く交渉して単独での入山許可を得た。がむしゃら、粘り強い、「出来る限り自分で全てやり切る」登山スタイル、このひたむきさ、粘り強さ、思想に惹かれる。

世界に誇る冒険家が、今、僕が見ている景色を見ていたのかと思うと感慨深い。僕も山頂に立って、植村直己が見た世界を見てみたい。そう思った。

そこに行った人にしか見ることができない世界。

植村直己
1941年生まれ、1970年に五大陸最高峰を制覇して、1984年、世界で初めて厳冬期のマッキンリー(現デナリ)の単独登頂を達成、下山中に亡くなったが、遺体は見つかっていない。

生きていれば80歳か。

世界最高齢でのエベレスト登頂ギネス記録を持っている三浦雄一郎さんは1932年生まれで、植村直己よりも年上だ。

同時期にアコンカグアに登っていた三浦登山隊と会えると思っていたのに、いろいろとトラブルなどもあり、会えずに残念だった。

生きるか死ぬかの挑戦

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世界中70ヵ国ほどを旅してきて、ただのスタンプラリーのような、答え合わせをするだけの何も感じない旅にもう飽き飽きしていた。
(贅沢な悩みではあるが)

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マイルを使って、いつでもどこでも行けるようになったし、ファーストクラスにだって乗れる、高級ホテルにもポイントでいくらでも泊まることができる。

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そんな僕は、アコンカグア挑戦にワクワクしていた。生きるか死ぬかの戦い。全力を出さないと登頂することはできないだろう。

キリマンジャロでもワイナポトシでもない、南米最高峰アコンカグア。

もう何年もこういう生死をかけた挑戦をしていなかった。

Wi-Fiもない、電気もない、水は雪を溶かして作らないといけない。下界とは一切の情報がシャットアウトされている。

国、人種、言葉の違う登山者が互いに助け合い、一つの目標に向かって挑戦している。ポジティブなこのベースキャンプの雰囲気がとても心地よい。

アコンカグアはどんな山なんだろう。とても楽しみだ。

メディカルチェック

午後になったので、再びメディカルチェックを受けに行った。が、ドクターはいない。待っているように指示される。

僕の他にも何人か待っている人たちがいた。

しばらくしてもドクターは来ない。

すると、登山道のほうから担架で人が運ばれてきた。タオルで顔が隠れているが、白人で年配の人だった。意識は無さそうだ。

この人が運ばれてきたのと同時に、今日のメディカルチェックは中止と言われた。

きっとキャンプ2のニドからヘリで運ばれてきたんだろう。登山前、ムーラを手配するペニテンテスにいたイギリス人を思い出した。

山岳保険は加入必須だったので入っているが、自分はこうならないことを祈る。

キャンプ2は標高5,500mで、ヘリポートがあってレンジャー(山岳警備隊)がいるらしい。キャンプ3やそれより上で体調が悪くなったら、どうすればいいんだろう。

植村直己の本を読んで士気が上がっていたところに、急にアコンカグアの現実を見せつけられて、怖くなった。

明日の予定は、キャンプ1(C1)のカナダに荷物を半分持っていき、デポする。そして下りてきてベースキャンプで寝る。次の日はテント、寝袋、マットレスなどすべての荷物を持って、C1カナダへ移動する。

C1は標高5,000mだ。700mほど標高を上げる。

どこまでいけるか、毎日が未知への挑戦だ。

完全なオフは今日だけなので、せっかくだからシャワーを浴びることにした。

もちろんシャワーは有料で、1回20USDくらいだったはずだ。

シャワーテントに2つシャワーがついている。予約をして順番に浴びる。

シャワーと言ってもこんな山の中に水道が通ってるわけない。沸かしたお湯をタンクに入れて、上からただ流す。それだけの簡易シャワーだ。

一応、シャンプーは持ってきていたので、頭を洗うことができた。お湯が切れたら終了。お湯は熱いくらいだった。温度を調整することなんてできるはずもないので、そのまま浴びるしかない。

湯量は十分あったので、男性なら満足できると思う。

明日から、20kg以上の荷物を背負っての上り下りだ。これもまた新しい挑戦。毎日が新しいことへのチャレンジだ。

この日は、無印良品で買ったリゾットを作って食べた。作り方が悪かったんだろうか。全然おいしく作ることができなかった。

水の問題なのか、温度が低いからなのか(沸点は86℃くらいらしい)やっぱりラーメンは安定の美味さだ。が数が少ないので、あまり食べることはできないし、サミットプッシュの朝に食べたいので、絶対に残しておかないといけない。

尾西のアルファ米もあまり美味しくなかった。アマノフーズのリゾットや、カレー系は美味い。

アルファ米とカレーを同時に煮込むのが一番美味しいことを発見して、3日目を終えた。

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