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遠ざかる皆の背中。世界は陽炎。

気がついたら、私は走っていた。本当に気が付いたら、だ。

アメリカの田舎みたいな、殺風景な道路の上を。

強制的に参加させられた、長い長い持久走。何Km、いや何万Kmあるんだろう。

80年? 冗談だろ? もしかしたら100年になるかも?

適当だな。そのくらいハッキリさせてからレースを始めてくれないか。

参加したいなんて頼んじゃいないのに、勝手にバトンを握らされて、ケツを叩かれて走らされていた。

せめて景品くらい用意してくれよ。ゴールテープを切った先には何があるんだい?

あぁ、ダメだ。

先頭との距離がどんどん離されていく。

走り方が下手くそだ。体力もなくてすぐバテる。

持久走なのに、バイクに乗って走ってるやつもいる。ルールくらい守れよ。

足を引っかけて他の参加者を転ばせる奴もいた。

無法地帯か?

いや、そもそもルール説明なんかされてたっけ?

脚になぜか重りがついてる。クソ、外せない。走り辛い。

何で私にだけこんなものがついてるの?

皆の足取りは軽い。重りがないから。

先頭はもう小さな点にしか見えないくらい、離された。

後から走り出した者にも、どんどん追い抜かされていく。

気づけば背後には誰もいない。

持久走についていけないことを悟った私は、レースがどうでもよくなって、立ち止ってしまった。

よくてもだらだらと歩いてるくらい。

脚につけられた重りのせいで、上手く走れない。

レールが敷かれた道路の傍らで、寄り道をしている人達が横目に見えた。

バトンを置いて、走るのをやめた人達だ。

水を飲んだり、寝転がって休んだり、はたまた別のスポーツや遊びを始めた人もいた。

なんだか楽しそうだな。

でもしばらくすると、バトンを拾って道路へと戻ってきた。

寄り道していた人達も、”それ”を諦めてレールへ戻り前へ走りだした。

”それ”がなかったかのように、ぜんまい人形のように。

なぁ、皆はどうしてそんなに上手く走れるんだい。

どうしてそんなに割り切れるんだい。

こんな何でもありのクソゲーのレースに。

でも中にはバトンを置いたまま戻らない人もいた。

レースのリタイア。

リタイアした人達は、幸せそうだった。

走ってる時は皆辛そうな顔をしていたのに、穏やかなを顔をしていた。

羨ましいな。あの人達はもう走らなくていいのか。

自分もリタイアしようかな。

バトンを握る手が緩み、気づけばレールから脱線しようとしていた。

ふと、我に返って、その場にとどまる。

これ以上走り続けてなんか意味あったっけな。

景品も出ないんだろう?

ゴールはどこ?ゴールした後は?

「やりきったー!俺たち私たち頑張ったよな!」 って?

で? それで終わり?

苦難を乗り越えた先にあるものは、単なる自己満足?

そもそもその喜びを共有するレース仲間すら自分にはいないじゃないか。

1人で虚しくお疲れパーティでもしようっていうのか?

アホくさい。何をさせられてんだ?

足が痛いな、喉も乾いた。

別の場所に視線を移すと、大きな体育館みたいな巨大な”箱”が見えた。

その中を覗いてみると、中では同じようにバトンを置いて別のスポーツや遊びをしてる人達がいた。

バスケットボール、ゲーム機、野球グローブ、将棋の駒。なんだかたくさんの物で遊んでいるな。

でもみんなの目は真剣だ。さっきの休憩してた人達とは違う。

しかし、その箱には徐々に亀裂が入っていき、やがて崩れ始めた。

ほとんどの人はその箱が崩れ落ちる前にバトンを握り直して道路に戻ってまた走りはじめた。

でも中には、バトンを置いたまま箱の外に出る人達もいた。

遊んでいた道具と一緒に、バトンが崩壊に飲み込まれて押しつぶされるのを黙って見ていた。

その人達は崩れたガレキを見つめたまま、動かなかった。

いや、動けなかった のか?

その表情は悲しいような、スッキリたような、何かを悟ったような。

その人達はそこからもう動こうとはしなかった。

自分には敷かれたレールすらもうまともに見えなくなってた。

走り方すらもだんだんと忘れ始めてきた。

さっきどうやって走ってたんだろう?

いや、本当は走り方はしってる。前へ進んで雨風に晒されるのをただ恐れているだけ。

あぁ、でも走るのがもう面倒くさいな。

立ち止まってから何時間経っただろう?

もう走る気力がないよ。

刃物ように身体を切り刻む雨風にこれ以上身体を打たれたくないんだ。

リタイアの誘惑が、脳内に延々と鳴り響いている。

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