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死ぬことすら面倒臭い 無気力の正体。

何もやる気が起こらない。

前に比べて、ぼーっとする・音楽だけ聴いて何もしない時間が増えた。

何もせず一日が終わり、何をしていたかすらも覚えてない日が増えた。

この無気力の正体は人生への諦めが原因だ。

80歳くらいまで生きて寿命を迎えて死ぬ、という人生が恐らく不可能な自分にとって、何かを頑張るという気力がもうほぼない。

35歳か、40歳くらいで人生の限界を感じ、あるいはもっと早い年齢で自ら命を絶つであろうこの人生に何を頑張れば良いのか分からない。

頑張ったところで、自分のような劣等種が社会に適合できないことはもう分かり切ってるので頑張ることすらもうしんどいし、もう社会に適合しようとすることが嫌だ。

眠る以外のことをしたくない。

死ぬことすら面倒

自殺を行うための方法は考えてあるが、ある程度の準備が必要なため、それすらも最早面倒臭い。

人目につかないであろう樹海まで道具を運び実行する。
億劫だな。

その間に希死念慮が薄れてしまいそうだ。

電車への飛び込み自殺が多い理由がよく分かる。

刹那的に湧き上がる自殺衝動が消えてしまわないうちに死なないと、死ねないんだ。

もっと気軽に死が欲しい。

もう死にたいと感じることすらしんどいし、朝目覚めて一日が始まる絶望感に苛まれたくない。

まずい酒を無理やり流し込んで、何とか死にたい感情を抑えるのもつらい。

孤独をこれ以上抱えながら生きていたくない。

毎日考えることが同じことばかりだ。

死にたい、何のために生きてる? × ∞回。







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