イタリア美学Ⅶ――イタリアのフードカルチャーを文学的に考えてみた、アントニオ・タブッキ、オマール海老のリゾットのこと――
ローマに来てから、おいしいものたくさん食べたいなぁってことでよく食べ歩きをしてるんだけど、僕がこっちにきて感動しているのは、液体に関係するもののおいしさが日本と台湾と中国とシンガポールで決定的に違うということで、なるほど、ローマには海こそないが、この国全体が水を大切にする文化が深くあるんだなぁってことをひしひしと感じてる。
考えてみればそう、昔のポカリのCMにもあったけど、地球は七割が液体だし、もっと言えば、人間の体も7割が液体でできてて、構成比がおんなじだっていうことはみんな知ってるけど、ここにきて改めて、水はほんとに大切だなぁって思った。
はっきり言えば、料理とかいう以前に、まずエスプレッソマシーンの時点で、種類が超多くてビックリしたし、イタリアのものかは知らないがデンタルリンスっていうのか、あれが考えられないくらいおいしくて、三日でぜんぶ使い果たしてしまう、っていうことがあったくらい水に関するこだわりがすごい。
前置きが長くなっちゃったけど、それじゃそろそろ、本題のフードカルチャーの話に移ろうかなぁ笑
僕も10日でいろいろこっちの料理を食べたが、最高においしかったのは、オマール海老のリゾットと、ラザニア。
日本でもイタリアンレストランは何回も通ったし、六本木のモッツァレラの専門店オービカも好きな女性とのデートに利用したが、オマール海老のリゾットは一度も食べたことがなかった。
トマトリゾット、チーズリゾット、マッシュルームリゾットは、日本のレストランにもあるけぉ、イタリアのレストランの方がおいしい。
それでも、オマール海老のリゾットこれは最高だった。
リゾット米にソースが染み渡っていて、もうお米がそのままソースみたいな味がするし、味の濃さ、これがアジアの国々では考えられないくらいソースが濃厚だった。
僕はYouTuberの川崎絵里子さんの動画の影響で、Amazonでリゾット米を買って、アスパラリゾットやポークリゾットを作ったことが何回もあったけど、作る時のコツは米が膨らむまでいかにアスパラの茎で出汁をとったコンソメスープをかけて続けて煮込むかであって、この塩梅をミスすると途端にまずいリゾットになるし、もっといえば、白ワインとオリーブオイルを日和らずにちゃんとたくさんかけられるか、これが最大のポイントだって気がしてる。
ローマのレストラン、さすがは本場だなぁ、僕みたいな素人が考えることは当然知ってるどころの話じゃない、もう一度いおう、米がソースそのものの味で、身も心もソースになってしまいそうな感じすらする。
ラザニアに関しては、日本のイタリアンレストランにほとんどなかったから、あれ、恥ずかしながらグラタンの仲間なんだろうと思ってて、フランスの料理かと勘違いしていたんだけど、イタリアのナポリ発祥の料理だった。
ラザニアは最高だったなぁ笑
パスタ生地、ボロネーゼ、チーズの絡み合いっていうか、味もマイルドなんだけど、食感が心地よかった。
僕が思うに、イタリアのフードカルチャーの最大の特徴は、海の幸、山の幸、酪農の幸と三つに料理をわけて考えてる部分だなぁ、って感じる。
マッシュルームリゾットも食べたけど、日本のおこわっていう山菜とか入れるおにぎりにちょっと似てて、オマール海老のリゾットとはまた違く、水分がほとんど入ってなくて、見た目からカラッとしてて、これはこれでうまかった。
それでも僕は海を愛する人間、海の幸、シーフード料理は譲れないぜ、ってことで、今度はもっとナポリとか海辺の街にいって、ガチのシーフード料理を食べてこようと思う。
日本もそうだけど、湘南とか海辺の街の海産物を使った料理は、ほんとにはずしようがないくらいうまいからなぁ、江ノ島ラーメンなんかそれの典型だったけど。
日本は江ノ島ラーメン一択、イタリアは、ラザニアかなぁ、もうちょっといろいろ食べてみてから決めるけど、いずれラザニアも作ってみたい。
料理もエッセイと一緒で、自分で作ってみないとそのほんとの価値はわからないから。
マッシもいってたけど、イタリアの食文化はいかにオリーブオイルとかソルトを自分でかけて、アレンジするかも重要。
つまり、決め手はオリーブオイルの質と量!
あれも液体だけど、いいなぁイタリアの液体、最高だなぁ笑
今回のエッセイはこんな感じです笑
料理の写真も載せておくからぜひみてくださいね!
僕がずっと愛し続けてやまなかった永遠の国イタリアの料理はほんとにすごいから。
バルセロナの料理もきっと好きだけど、最後はイタリアなんだろう。
なんとなくだけど、食べ物とお酒ってその土地の伝統とか人の心が出るなぁって思う。
イタリア人も結局は、山よりも、ダビデが羊飼いだったように牧場とか、海が好きなんだろう。
母なる海とかいうけど、あんなのだれが言ったのかなぁ、中上健次が「海へ」で表現したかった「海の比喩はそれであってるのか」問題、つまり海は姉の比喩だという問題と、イタリアのフードカルチャーは繋がっているような気がするし、三島由紀夫やスタン・ゲッツ同様に海に峻厳をみるか、アントニオ・タブッキの『遠い水平線』のように幸福への架け橋や平和、無意識や夢を見るよろこび、生命の太古の記憶、意識なんて動物にはなかったというよろこび、なにも考えずに魚が魚を食べてたあの時代と次元に意識の中で帰れるか、ということと感覚で食べ物を味わうよろこびと、イタリアのフードカルチャ―はその実、密接に結びついている気がする。
了
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