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バルのテラス、ラウラ・パウジーニの歌、ローマに遅れて来たしがないもの書き

 湘南にいた頃、やっぱりイタリアに住むならイタリアのポップスもっと知りたいなぁって思ってネットでよく調べてたんだけど、いちばんいいなぁと思って、ここローマでも聴いてるのは、ラウラ・パウジーニっていう歌手の歌。
 一九九三年。ラウラがテレビに出てる時のライブ動画は、まるでラブロマンスのワンシーンを形どってるみたいに夢見心地な雰囲気がある。
 山手線の車内広告でも、九〇年代のイタリアサッカーは、史上稀に見る輝きを放っていたと語っているのをみたことがあった。それがいつのことだったかは、僕もよく覚えてないけど。
 あの時代、イタリアは哲学もすごかった。
 九〇年代から三十年経つ今、ひどく遅れてローマに来たけど、本当にいい街だなぁってつくづく感じる。
 街には、白いティーシャツにブルージーンズ姿の女子大生の列、薄着で街の端にいて話している男女、何台も通るバイクの喧騒、今にも街に溶けてしまいそうな老夫婦の笑顔。
 今日は華の土曜日。
 これからはじまるイングリッシュパーティ、英語での交流会に参加するのに、今度は早く着いた。バルのテラス席で道ゆくひとを眺めながら、甘いカンパリをゆっくり飲んでる。
 通りの人は時々、僕の黄色いシャツと、モデルの藤田ニコルのブランドのバッグを見てる。
 これは気のせいじゃない。
 ローマでもいろんなひとに、そのバッグいいねって声をかけられるからだ。
 スマホのイヤホンから流れるラウラ・パウジーニのハスキーでよく通る美声。彼女のイタリア語の渦に酔うかのようにして、すでにカンパリは二杯目。白い建物に少しずつ日が傾いていて、影の部分が広がっていく。建物の中二階にはイタリアとローマの旗。
 ラウラ・パウジーニって、どんなひとかよくわかる気がする。
 とてつもなくおしゃべりで、それでも歌が大好きで、何回人生繰り返しても歌を歌うひと。
 その陽気さからふつうではありえない、無益な反感を買ってしまうひと。
 それでもひとを否定しないで、ひとをよくほめ、ひとりのときも明るく前向きに人生をとらえるひと。
 すごくいいひとだ。歌声も声量がある。街の果てまで響く鐘の音のように。
 九〇年代のローマにもし行けたら、ラウラ・パウジーニのライブを聴きたい。
 ローマのエルミノ駅から坂を下って二十分くらいの場所にあるこのバルにいて、初夏も近い熱い風を受けながら、ラウラの九三年のライブをYouTubeで見るのは素敵だ。
 こんな時、ほんとにローマに来てよかったと感じる。
 こんなしあわせを街からおっそわけしてもらうこと、こっちに来てからよくあるから。


                    了


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