どこでもドア

誰かに聞いて欲しい、話したい、伝えたい。だけど、どこから何を話せばいいのかわからない。…

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誰かに聞いて欲しい、話したい、伝えたい。だけど、どこから何を話せばいいのかわからない。 わたしの頭の中のごちゃごちゃを、ごちゃごちゃと書き出します。

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最近の記事

被害者では無い

私は、私自身が暴力の被害者真っ最中、 私は、私自身が暴力の被害者であることに薄々気がついていた。 私は、私自身が暴力の被害者であることを認めたく無かった。 私は、私自身が暴力の被害者であったことを認めた時、 私は、”暴力の被害者”という言葉に怯えた。 私は、何か他の言い回しで、そのことを表現しようと必死になった。 私は、その言葉から逃げるための努力をした。 それは、私がまだ暴力の被害者の場所に立ち止まっていたからだ。 私が、「私は暴力の被害者だ」と、自ら発する

    • 朝のルーティン

      毎朝起きて、コーヒーメーカーをセットする。 3杯分のコーヒーを淹れる間、 YouTubeにアップされた、ラジオ体操第一を見ながら一緒にラジオ体操をするのが私の朝のルーティン。 ラジオ体操第一は、3杯分のコーヒーを淹れる時間とちょうど同じ。 精神的に苦しい私に、私の信頼する心理カウンセラーがアドバイスしてくれたのは、 どんな小さなことでもいいから、自分の好きなことをすること。 大好きなコーヒーと、 運動嫌いの私でも、子供の時に学校でも夏休みにもやっていたラジオ体操

      • どん底の安定感と

        私は絶望的な悲しみで、真っ暗な深海に沈んだ小さな小さな難破船のようだった。 深い深い海の底、漆黒の闇の中で、自分の姿さえ見えない。ただ漆黒の海底に着地していた。身動きもせず。せいぜい静かに涙を流すくらいが、私が生きている証しだった。 医者は私に”今ある状況が大変だから、一時的にあなたは悲しくなったり、落ち込んだりしているだけで病気では無い。誰にでもあること”と言った。 深海の中で、ただ静かに息を潜めて暮らす生活が2ヶ月ほど過ぎた頃、ある連絡を受け取った。 待ちに待った

        • 嘘と現実

          相手は嘘をついている。なぜそんな誰から見ても明白な嘘をつくのか。 しかし、カウンセラー達は言う。 相手には”相手の現実”がある。と。 相手には”相手の現実”があり、”相手の現実”は、私を含め周りの人たちとは全く違う。 ”嘘”ではなく”その人の現実”

        被害者では無い

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        • 頭の中の大掃除
          1本

        記事

          嬉しくて泣いた夜

          ある言語の試験を受けた。その試験があった夜、私は寝る前に試験のことを反芻しながら、感極まって泣いた。 涙が勝手に溢れ出し、自分が緊張状態にいたことを私の身体が私に教えてくれた。ような状態。 その言語試験の最後の口頭試験で試験官の一人が私に「あなたが、ある国(日本でも現在住んでいる国でも無い)で経験したことはとても興味深い。ところでその仕事、この国にもとても縁が深いことを知っている?それは、この国の◯◯◯◯が発祥の地で」と語ってくれた。 私は今まで初めて会う人で、私の経験

          嬉しくて泣いた夜

          棚ぼたもしくは引き寄せ

          私は今住んでいる国で、その国の言葉を学んでいる最中である。 昨日、その言語の外国人のためのオフィシャルな試験があった。 コロナ禍で無ければ、私は半年ほど前にはとっくにその試験を受ける段取りになっていたはず。(もちろん、同時にコツコツと勉強を続ける必要はあるけれど) 語学コースのクラスメイト達もコロナで授業がストップする度に私もそして彼らの人生プランも一時的にストップし、授業が再開する度に、多少、顔ぶれも変わっていた。 試験会場に到着すると、小雪がぱらつく寒空の下、建物

          棚ぼたもしくは引き寄せ

          ごちそうの価値

          私は今、日本食卓に手軽に並ぶ食材が簡単には手に入らない国で暮らしている。アジアスーパーに行けば、確かに豆腐もある。納豆(冷凍保存)もある。しかし値段は日本の倍以上、味だって希望のものでは無い。 大好きなプルプル出来立ての大豆の香りの残る豆腐屋さんの作った豆腐はどう足掻いてもここでは手に入らない。 竹輪やかまぼこ、天ぷら(さつま揚げ)の練りものだって貴重品。紀文の製品をアジアスーパーの”冷凍庫”で見かけるくらい。 一般日本人女性のYouTube動画。彼女たちの節約料理の数

          ごちそうの価値

          ひとこと物申す

          人間関係は難しい。 親しい間柄で、何でも言い合える関係にあっても、”ひとこと”の伝え方、言い方、その時の場所や心情などさまざまな状況で相手との関係性がうまくいったり、ギクシャクしたり。 友人関係にあって、その友人の言動の”ここが気になる”があった時、いつも自分の気に触ってモヤモヤした気持ちのままでいるのも嫌だから、本人に伝えようかな。と思ってみたりする。 だけど、それによって関係性が崩れるのも嫌だな。と思っていた矢先、その友人から逆に自分が”ここが気になる”と指摘を受け

          ひとこと物申す

          ラジオ体操第一 4日目

          表面的には穏やかに落ち着いて暮らしている私だが、かなりストレスフルな状態にある。 心理カウンセラーは、この大変な状況を乗り切るために毎週カウンセリングの時間をとってくれ、そして精神の安定のために、身体を動かす事、骨盤底筋を鍛えることを提案してくれた。 毎日15分でも汗ばむくらい身体を動かしてみて。ピラティスおすすめよ。と。 元来、身体を動かすことは面倒で苦手。それでも以前にヨガを何年もやっていたことを思い出す。 講師がいて、自分の他に参加者がいるような場合、私の面倒く

          ラジオ体操第一 4日目

          コロナの影響

          全ての事柄には、必ず二面性があると私は思う。 私はずっと問題を抱えている。 このコロナ禍により、この問題がさらに複雑化し、苦境に立たされている。 しかし反面、奇しくも遅々として進まない問題について十分に考える時間が与えられ、私自身のメンタルを建て直す時間を持つことになった。 確かに、コロナ禍がなければ半年前にはすでに私の抱える問題について、何らかの進展があったかもしれない。しかし、表面的な問題には関係ないかもしれないが、私の内面は、まだざわついたままだったし、怒りが優

          コロナの影響

          noteに書く

          今の私は、この数年、いや、この10年で起こった出来事の集大成のような、厳しい状況にある。 人には言え無い、言いたく無い、苦しい胸の内、頭の中を整理するのに、”書くこと”がいいと聞く。 しかし、書くことも私にはできなかった。 一番辛い時、一番苦しい時、誰かに助けを求めるとか、日記を書くとか、外に向けてSOSの発信ができなかった。 今もまだまだ書け無い。 迷いながら書いている。 SOSを出すしか無いギリギリの状態にまで陥って、SOSの発信ができるようになったこの数年。

          マスクがやってきた

          棚からぼた餅。引き寄せの法則。  日々の生活の中に起こる忘れた頃にやってくるラッキーな事。 今週から、私の住む街(国)では外出時、公共交通機関やスーパーなど、人が集まる場所では医療用マスク(不織布マスク)の着用が義務付けられた。 この不織布マスク、私は使っていると自分の息でシットリしてきて気持ち悪くて好きじゃない。不織布特有の匂いもある。それに布製マスクと違って洗って何度も使えない。 しかしこの時期、この医療用マスクの値段は高い。それに、品切れの店も多い。どうしたもの

          マスクがやってきた

          そのカテゴリーから抜ける

          今の私があるのは私を支えてくれた家族や友人、知人、様々なサポートの存在あってこそだ。 私が逃げ出した時、私は自分が被害者だと認識したくなかった。何かの間違いだと思いたかった。けれど私の心は、このままではヤバイと私に告げていた。渦中にいた時、私さえ我慢すれば、努力すれば事態は何事もなかったかのように収束し、良い方向に行くと思っていた。それこそが、完璧に被害者の心理状況だった。 被害者だと認めたくなかった一方、”二度と同じ間違いを繰り返したく無い”と強く思った。このままでは人

          そのカテゴリーから抜ける

          タイムマシーンに乗って

          大山のぶ代のドラえもんを見て育った世代の私は、タイムマシーンが欲しいと思ってた。過去の失敗をやり直したり、未来の自分を見てみたかった。 大人になって、いろんな経験を経て、タイムマシーンが欲しいとは思わなくなった。タイムマシーンに乗って、過去の私を応援しに行くくらいはしても、介入して、操作して過去を変えたいとは思わない。間違いなく過去の私は、未来の私の言うことなんか聞かないだろうし、信じないはずだしね。 今だって過去の出来事を思い出し、毎日のように心がチクチクと痛む。だけど

          タイムマシーンに乗って