嬉しくて泣いた夜

ある言語の試験を受けた。その試験があった夜、私は寝る前に試験のことを反芻しながら、感極まって泣いた。

涙が勝手に溢れ出し、自分が緊張状態にいたことを私の身体が私に教えてくれた。ような状態。

その言語試験の最後の口頭試験で試験官の一人が私に「あなたが、ある国(日本でも現在住んでいる国でも無い)で経験したことはとても興味深い。ところでその仕事、この国にもとても縁が深いことを知っている?それは、この国の◯◯◯◯が発祥の地で」と語ってくれた。

私は今まで初めて会う人で、私の経験に対してすでに知識があり、このように会話を展開してくれる人とは、この国に来てから一度も会ったことは無かった。いや、日本でも無い。そして、本当に知識や理解が無いものへの人間の対応は、淡白で、時として冷ややかだ。

私はその時、瞬時に、試験を超えて、この国の一個人に、私という人間を”理解され”、”認められた”ような気持ちになったのだと思う。だからこそ、その口頭試験が心地の良いものに変わったのだろう。

他者に強制し、強要することはできないが、それでもやはり理解されると嬉しい。

ただ、その時の私は試験中でもあり、そこまで深くはわからなかったが、家に帰り、落ち着いてみると、この試験は試験という表面上のことだけでなく、

私が今まで努力を続けてきたもの、戦ってきたもの、語学の習得だけで無い、私自身がこの国で、国籍とか、性別とか、学歴、職歴、家族や生い立ちなどでの括りではなく、私が自分の足で生きていくために必要な、ただ ”私” であるだけで良いと思える安心感、大きな心の支えの一つを得られた機会となったような気がしてならない。

多分、その想いが、昨夜の不意の涙となったのだと思う。