大人なんだからステレオタイプに陥らないようにしよう
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
ステレオタイプって、聞いたことありますよね。
Walter Lippmann|《ウォルター・リップマン》という人が自身の著書(世論: Public Opinion)の中で、人々が複雑な現実世界を理解するために簡略化された思考のパターンを用いる傾向があることを指摘し、これを「ステレオタイプ」と呼び、単純化されすぎる認知に警鐘を鳴らしたことが由来だそうです。
ステレオタイプというと、たとえば「女性は感情的で、男性は理性的である」とか「高齢者は技術に弱い」、「アフリカ系アメリカ人は身体能力が高い」、「ブラジル人はみんなサッカーが上手い」などと、ある集団に向けた過度に一般化した認識のことを指します。
誰しも、そういった群集心理に圧倒された結果、大して考えもせずにそういった認識を持ったことがあるんじゃないですかね。少なくとも、ぼくは持ってしまった過去があると自覚しています。
ステレオタイプの代表例とも言える性差に関する言説で「男性脳と女性脳」がありますよね。よくよく考えてみたら確かに存在しそうなものですが、そんなものはいまのところ科学的に根拠はないのだとされています。
今回は、上のリンクした記事内容を踏まえ、ステレオタイプに陥らないためにはどうしたらいいんだろうねってことを考えてみます。
「男性脳と女性脳」といった対比構造は科学的に根拠がない
まず、上で紹介した二つの記事について、ザックリとしたポイントを書きいます。
二つは、東京大学大学院教授の四本裕子さんへのインタビューしたもので、大まかにまとめると以下のような内容です。
「男性脳・女性脳」の根拠とされる一部の研究は、40年以上前の限定的なデータに基づいており、信憑性に欠ける。
脳の構造や能力には男女差よりも個人差の方が大きい。MRIを用いた研究でも、「男性脳」「女性脳」の存在は確認されていない。
脳は大人になってからも変化する。社会や教育の影響を強く受ける。「男女の脳は生まれつき異なる」という考え方(ニューロセクシズム)は、分業意識を強化する恐れがある。
「男子は後から学力が伸びる」といった言説にも科学的根拠はない。性別ではなく個人の適性を見るべきである。
四本さんは科学的な見地から「男性脳・女性脳」という単純化された区分に警鐘を鳴らしており、男女の平均的な違いにとらわれるのではなく、その下に広がる多様な個人差に目を向けるべきだと述べています。
そもそも男性脳や女性脳といった性別による区分けを潜在的にも認識してしまうことは、性別による役割分担を助長しかねない言説ですし、非常に危ういと言えるでしょうね。
もし、これまで男性脳とか女性脳といったステレオタイプに縛られてきた人は、これを機に卒業してみてはいかがでしょう。
なぜステレオタイプに陥ってしまうのか
そもそも、我々はどうしてステレオタイプに陥ってしまうのでしょうか。
今一度、ステレオタイプについてみていきます。
元々、ステレオタイプとは、1798年フランスの活版印刷の発明者であるFirmin Didot|《フィルマン・ディドー》が、鉛版に鋳造された文字を組み合わせる代わりに、一枚の鋳型(ステレオタイプ版)から紙型を取り、そこから活字を鋳造する技術を開発したことが由来です。
この技術によって同じ版を何度も印刷すること、つまり大量生産が可能となったわけですが、この鋳型のことを「ステレオタイプ」というそうです。
これを元に、冒頭で紹介したリップマンが社会心理学の文脈で利用し、「ある集団に属する人々に対して過度に一般化された信念」と指したわけです。
ステレオタイプに陥ってしまうことを振り返ってみると、「簡単に考えたい」場合や「周りの影響」によって思考停止している状態がほとんどではないでしょうか。
「あの人はこうだから」などといった思考は、明らかに偏見と過度な一般化によって成立している認識だと言え、そうやって我々の住んでいる複雑な世界を単純化したり簡素に片付けてしまうがために起こってしまう認知過程だといえます。
あとは、自分を他よりも優れていると認識してもらうために、自分が属する集団と比較して他の集団を悪く決めつけることだったり、自分の考えに合うものだけ、つまりは嗜好的に気に入った情報だけを取り入れることで自身を正当化するためだったりするのではないでしょうか。
いずれにしても、ステレオタイプに陥ってしまっている場合、個別の事象や存在から目を逸らしている、とても失礼な状態だといえます。
ステレオタイプに陥らないために
じゃー、ステレオタイプに陥らないためにはどうしたらいいんでしょうか。
まず大切になってくるのは、個人を認めることから始まるはず。
性別はもちろんですが、様々な属性を持つ一人ひとりの個性を尊重すること。男女の平均的な違いにとらわれるのではなく、個人の能力や適性に目を向ける柔軟な視点を持つこと。「個人差がある」と認めることができれば、平均値に惑わされることは少なくなるはずです。
それに加え、科学的な根拠を探ること。
おおよそのステレオタイプな認識は自分で勝手に判断していたり、自分が所属する集団の中で勝手に認識されていることだったりすることが大半でしょう。
あとは、そういった思い込みやレッテルなど、無意識的に偏見を持っているかもしれないといった自覚を持つこと。
固定観念に囚われ、自分の判断や行動が偏見に塗れていないかどうかを冷静に振り返ってみるだけでも違ってくるでしょう。
なんでもそうだと思うのですが、そもそもフラットにみることができない人こそ、ステレオタイプな思考や認識を持っている傾向が強いでしょうから、まずは自分がステレオタイプに陥っていないかどうかを振り返ることから始めてみるだけでも違ってくるはずです。
要は思考の金太郎飴にならないために、自分が金太郎飴と化していないかどうかを確認してみましょうってことですね。
おわりに
ステレオタイプって使いたかったんですよね。ステレオタイプってカタカナを使ってる人って、なんだか知的じゃないですか。
そうなりたいなってだけなんですよね。
みなさん、気をつけてください。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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