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孫娘から、祖父への弔辞。

おじいちゃん、元気?ちょっときーでけで。

一年経ったしちょいと語らせていただきますね

・祖父が亡くなったことで気づいたこと
・最近になって祖父と話したいことが増えたのでひとりごとをぼやく
・後半は、収めきれなかった祖父との思い出や祖父の2人娘姉妹(私の母と叔母)についてもチラッと触れます

こんな経緯で、昨年あっという間にいなくなってしまった祖父にあてて、手紙のような、反省会のような、そんな言葉を並べていきます。読み終わった後、ひとりひとりが前向きに、今これからをていねいに大切に過ごすことができますようにと願って。

はじまり、始まり。

じーちゃん。いま、2018年。もーすぐ平成も終わるんだっつよ。

「今ね、インターネットで文章を書いでんのさ。これ、これね。こんな風に。読めっぺが?

「ん?うん。んだよ。うん。うんうんうん。んだがら。ねえ〜」

「じいちゃんごめん。今は、これ以上でっけぐ(拡大)でぎねえのよ。次くっとぎ(来るとき)までに、やっとぐがら(やっておくからね)。待ってでけで」

「じいちゃん。今私が稼いでっとごね、木材があれだのこれだのってあんだよ。たとえばね...」

『(木や木の加工について語り出すと止まらない、元自営業の製材屋であるじいちゃん)...』

祖父が存命していたなら、写真や文章を見せ、近況報告をしながら上記のような会話を交わしていただろう。見学にも連れていってたかな。

たらればになってしまうので、ヤメ。

一年前の今頃を振り返る

今日は12月25日。一年前の12/21に、母方の祖父が永眠した。
一年経ったので、祖父への弔辞を再度読み返してみようと思う。今後のために。

故 佐々木勇吉殿 大正15年生まれの....
うーん。今は違う名前だったね。立派な院号を頂いてさ。んだども、じいちゃんは、じいちゃんなんだよね。んだがら私はじいちゃんって呼ぶがらさ。ごめんなさい。わがってけでね。みんなきいでないがら。小さい声でいうがら。だいじょぶ。あどでなおすがら。お願いね。

弔辞 

 小佐野じいちゃん

ほんの数日前、12月21日夕方。あまりにも突然のお別れでした。
92年の長い人生、本当にお疲れさまでした。入院していたときのじいちゃんは、呼吸がうまくできないため眉間に深いシワがよっていて、凄く辛そうでした。ようやくゆっくり休めているのかな、そう思っています。

けれど、いつものごとく、じいちゃんちに顔出しにいって「こんちわ!じいちゃん!しほだよ!孫です!」って言って、「おぉ、しほが。よぐきたな、入って休め」そんな言葉が返ってこなくなるのかと思うと寂しいです。伝えたかったこと、教えてもらいたかったこと、まだまだあったんだよね。 あ、そうだ。じいちゃん。院号に『林』が入ってたよ。山が大好きだったじいちゃんだから、頰を緩めているんだろうなと思います。それにね、『徳』も入っていたよ。本日の会は、とてもありがたいことに、遠方からたくさんの方々がいらっしゃっています。足元も悪く、時期的にも、年齢的にも、これほど人が集まってくださったのは、じいちゃんのこれまでの行動だったのではないかなと、青二才の孫は信じてやみません。
 
ねえ、じいちゃん?やっぱしさ、私は思うのよ。これってじいちゃんの徳なんだべなあって。ねえ?じいちゃんは「んだべだら(そうだね)」って返すんだろうどもさ。 そんな話も、したいな。したがったな。

今いうことではないのはわかるのだけれど、伝えさせてください。 こんなことを語っているとね、じいちゃんの声が脳内でありありと再生されるよ。「ま〜だ、何言ってんだが」なんてね。一蹴されそうだよ。

じいちゃん。

じいちゃんから教えてもらった、じいちゃんの哲学や生き方歩み方、信念。振り返ってみるととてつもなく濃い、『芯』のある人間だったなあと思います。

あ、幹か。

さて、そんなじいちゃんの孫である私です。本日お別れの言葉は誰かにダメだと言われようが、おかまいなしに正直な心境を述べさせてもらいます。そうじゃないとやんたのよ。ただでさえじいちゃんと話たいごとあったんだよ。だがら、ね。木の、幹の部分を語らせでけで。表層的なところではなく。

  じいちゃん

行動力のあるじいちゃんは、人と会うことや車に乗って出かけることが大好きでした。私が幼い頃は、色々なところに連れていってくれました。おじいちゃんの愛してやまない山にたくさん連れていってもらったことは、特に強く印象に残っています。

おじいちゃんが作る手間暇かけた、昔ながらの食べ物も大好きでした。畑で栽培したみずみずしい野菜、どこのものとも比較にならないほどこってりと甘いくるみだれ、小屋でたっぷりとこしらえた特製のたくあん。年に1回のお餅つきも楽しかったな。

おじいちゃんは佐々木家の太陽のような存在でした。強い体・心・意志で、私たち佐々木家を支え続けてくれました。

夏の夜には、戦地に赴いた際の貴重な経験談を聞かせてくれました。海の向こうで実際に起こった悲劇や戦闘機でのこと、どこの国で何をしていたか、その時に隣には誰がいたのか、じいちゃんの記憶力はずば抜けてすごかったことを覚えています。その鮮明な記憶を、ゆっくりと、丁寧に、私たちに語ってくれましたね。生き字引のようだな、とよく母と話していました。

 おじいちゃんは、人知れず誰かのために行動し、無償で与え続けるような人だったと記憶しています。住まいを変えながら...

 川井村で生まれ育ち早くから志願兵に。それから、戦時中の国内外での経験、今はダムになってしまった市内の小川地域、その後移り住んだ小佐野。

私が表するのはあまりに恐縮ですが、おじいちゃんは本当に頑張り屋でしたよね。自分の行動への後悔を口にすることは一切ありませんでした。想像しえない困難にぶち当たってきたことを、私はおじいちゃんの死後、知りました。なんでいってくれながったの?私、聞きたがったのに。

おじいちゃんから、口ではなく「まずは行動で示す」ことの大切さを教わりました。大きな大きな熊のような身体で。 私が幼かった頃はよく山々へ連れ出してくれましたが、気づけばあっという間に「身体が不自由」な状態になっていましたね。それでも、「言葉ではなくまず行動で」という姿勢は変わりませんでした。正直いやだな〜と思っていたこともありましたが、「行動で示す」ということが、今では私の大切な指針のうちの一つとなっています。

おじいちゃんについて語り出すとキリがないので、そろそろこの辺にします。 私は、誰よりも泥臭くて、かっこよくて、人に与え続けるという生き方をしてきたおじいちゃんの孫でいれたことを誇りに思います。

 おじいちゃん、ありがとう。おじいちゃんと過ごした時間や、おじいちゃんが教えてくれたことは、私にとって宝物であり財産です。

 おじいちゃん。本当にありがとう。心からの感謝を捧げます。
どうぞ、安らかに眠ってください。

 平成29年12月24日 孫代表、土橋詩歩

弔辞、長すぎました。わかります

弔辞のあとは、セルフツッコミをしてスッキリしたのでお好きにお読みください。

後半は、じいちゃんの写真とエピソードを少々載せます。

して、次回はじいちゃん(佐々木勇吉さん)の娘姉妹こと、母と叔母に焦点を当てて「佐々木家の文化を継ぐ〜干柿編〜」を中心にストーリーテリングを続けようかと思います。

▲「いいがらやめろ」と言いながらも、唯一私にだけはシャッターを押させてくれた祖父。

高齢になり、熊のような(肥満)体型の祖父は酸素の吸入がうまくできないため、いつもチューブを装着していた。

▲孫である拓馬(私のいとこ)の成人式当日朝

それほど多くは撮らせてくれなかったじいちゃん。
それでも、ファインダーから見つめることを許してくれたじいちゃん。

私は、亡くなってすぐにじいちゃんの写真を片っ端からみたけれど、じいちゃんがこんなに笑っているのはこの一枚だけだった。なんでだろうね。おばちゃんたちが撮ったのもそうだったよ。これが唯一だったの。

とにかくね。私は、多少嫌がられながらでも、撮り続けてよかったなと思った。成人式の写真は、じいちゃんの遺影になりました。いろんな奇跡が重なって、いい一枚を残せたと思っています。全国優勝だとかとんでもない成績を納めない限り、褒めることはなかったおじいちゃん。さすがにこの遺影は、「おめえもがんばったな、いいんでねえが」と目を細めながらいってくれるなと想像しています。

もう、正直それだけでいいや。

じいちゃん、安心してけで。

なんだかね、木材や柿、森林や、小屋作りなんかをみていると、じいちゃんのことを思い出してしまってならないんだよ。私の反抗期と被り、顔を合わせない時期もあったけどさ。私の原体験の多くを、自然が占めているのはじいちゃんがたくさん山に連れていってくれたからなの。土や木や自然そのままの良さや、「先人の知恵」の面白さを感じられるのは、じいちゃんが教えてくれたから。

▲叔母(じいちゃんの娘。わが母の妹)が、土橋家に持ち込んできた干柿作りセット。じいちゃんがいなくなっても、佐々木家の文化は受け継がれていくみたい。今年は私も手を動かしたよ

そろそろ終わりにします

なんかね、久しぶりにじいちゃんのことを考えたくなってさ。
じいちゃんも考えでんでねえがなーって。

まずさ、明日がらも頑張るね。
家族を大事にします。はい。
おじいちゃんは、いつも心配してハラハラしているでしょうけれど

まずいいがら、自分の好きなごとしてけだんせ。

これが、佐々木家流!なんだって、
あけみちゃんとおかあさんがいってた。
私も、じいちゃんみたいに夢中になれる好きなことやってるがらさ。
じいちゃんや、曽祖父とは違って夢中で山奥に入るとかはないけれど。

そんな感じです。
手紙だからヲチはありません(正確にはゆるダイアリー)。
また書ぐね!んだば、おやすみなさい!

爆弾じゃじゃ馬な孫より

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