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第12章 『老子の教え』の書評へコメント

安冨歩『老子の教え あるがままに生きる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)に対する吉成学人さんの書評へのコメントです。

  安冨歩『老子の教え』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より
もしかするとあなたは、目の前にあるものごとを、確かにそこにある、と思い込んでいるかもしれない。しかし、どんなに避けがたいと、あなたが思い込んでいることでも、やがて消え去り、あるいは変化する。どんなことでも、どんなものでも、いつどうなるかわからない、開かれたものとして、そこにある。ものごとは、変化し、生まれては滅ぶ。そのあやうさをおそれる必要はない。それどころか、あなた自身が、可能性に満ちたものとしてあることを理解すれば、あなたは、わけのわからぬ不安から解放されるはずだ。

 ご感想を興味深く拝見し、ここ数日、「道」について、考えていました。「道」は言葉にして表すのが難しい概念です。「道」「存在(Being)」であるという視点が、安冨先生『老子』解釈の上で一貫した考え方であるということになります。宇宙が誕生する前は「無」でしたから、「存在」というものを考えるには、一気に宇宙規模の思考が求められるのが、とても面白いと思います。
 言語化できないものとしてのマイケル・ポラニー「暗黙知」は、安冨先生の著書や動画に、たびたび登場します。「存在」「道」という名を与えてはいますが、それは仮のもので、「道」は暗黙の次元の語りえぬものに属する、神秘的な、何かエネルギーのようなものに近い気がします。
 原子や分子は直接的には目に見えないですが、その存在を分光学的技術を使って調べ、数学を使って記述すれば解き明かすことができるというのが、化学や物理だということであれば、『老子』が描いている世界観とその哲学的洞察は、2000年以上前の当時の人たちが、自分たちとそれらを取り巻く世界を彼らなりに理解しようと試みた記録なのでしょう。
 哲学と、今でいう自然科学が一体となっていた時代の古い思想であり、当時として言い表せる限界に迫った感がありますが、人間は何万年も生物学的には変わっていませんので、現代の私たちにもその思想の本質は、生きるうえで有用に思われますし、『老子』を超える思想がいまもってあるのだろうか? と、ふと思われます。
 『老子』を突き詰めれば突き詰めるほどに、自分というものの存在なしには、考えられません。現代の自然科学はじめさまざまな学問が客観的たろうとして探究者自身を盲点化しているわけですが、「道」「存在」ならば、「われ思うゆえにわれあり」(デカルト)にあるように、「道」は自分自身とも言えはしないでしょうか?

 ちなみに、純セレブスピーカーは老子の影響を受けて開発されたことが、述べられています(以下)。

CAPおかやま講演会 安冨歩 ありのままな私 岡山大学

 陰陽を説明するYouTube動画のリンクもお送りいただきました。視覚化の妙ですね。それから、「哲学入門チャンネル」のご紹介も。富田宏治さんの対談相手の方自身が日本維新の会の支持者のようで、奇妙な感覚に襲われました。

 吉成さんの『老子の教え』のご書評でご紹介の、『「道」とは何か? :『論語』と『老子』の世界観』のYouTube動画の中で、安冨先生がお勧めされていました、

ピュエット・グロス=ロー『ハーバードの人生が変わる東洋哲学 悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』(早川書房) 

を購入し、参考にしています。誤った二分法に陥りがちな西洋の伝統的世界観の上に乗った、西洋人の目線で見た東洋哲学の解釈に陥ることなく、努めてありのままに『老子』受け取ろうとしている著書だと思います。

 とはいえ、『老子』の内容を自分の中に取り入れていくには、かなり時間がかかるようです。

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