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Notes of a Dirty Old Man in Philippines

先日のことですが彼女のジェラス・ハートを可愛いと思う、 私のバカさ加減を打ち明けさせてください。 痴話げんか、犬も食わぬのお話し。はた迷惑を失礼いたします。 先日お話しさせて頂いた、ファースト・イクスぺリエンスのこと。 マクタンのアシスタントのF には先にメッセンジャーでのやり取りの内に、 普通に連絡してたし、何の行き違いにもならずに居ましたから、 そんな大事になるなんて思いの外のこと。 話しが曲がればこんなになるんかねとびっくりしたんだけれど、 F のテキストでいきなり

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      遡ってフィリピンでのことを書き継ぎたい、残しておきたいとの、 想いでのこのnote への投稿ですが、 体調の悪さに現地で残しておけば良いものを、 中途で筆が止まったのだけれど、その続きをと帰国してからまた始めた。 年寄りですから時を経ると記憶が定かでなく、 帰った後の日常も重なって、 何がなにやら、何処がどこやらになって仕舞ってる。 先日もフィリピーナの飽きっぽい質でしょうと思い決めていた、 彼女のレンタル・ルームの前の小道でのこと。 その道端での何かを敷いてその上に野菜

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        フィリピンに居た時もそうだけれど、 その時になって、必要に迫られないと考え出せない質。 誰も嫌なことは考えたくないんだし、避けて通りたいこと。 そんなことになる元の話し。 引越し貧乏ってあるみたいで一年ごとに引っ越してたんだから。 落ち着けてちゃんとした暮らしがしたくてのこと。 二十年七月かフィリピンから日本に帰ったんだけれど。 十七年の頃かなドヤから距離を置きたかったし、金も残したくて、 玉出の方のびっくりする位安かった二万程のアパートに長く居たけれど、 その安さでフィリ

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          何でそこまで細かく話す気になったやら。 三年程のメッセンジャーでのやり取りへの反動も有るでしょうし、 もちろん毎日のように長い時間では無いにしても、 顔を突き合わせての生活、気心が知れた故でしょうか。 三ヶ月程のセブでの生活を書き残しておいたらとも思ったけれど、 暑さに参ってたし日本では全然歩くなんてしてないのが、 歩き出して彼女が気に掛けてくれて少しでも涼しい内と、 日本に居れば何処へでも自転車だから、 最初の頃は朝と夕方過ぎの短い散歩だけでも、 いっぱいいっぱいだったん

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          三ヶ月程をセブで過ごす内に、 食事時毎に少ない時間でも彼女が傍に居てくれて、 デリバリーが上手く行かずに夜の仕事を休んで近くに散歩にとか、 ホテルの部屋で洗濯をしてくれれば一緒に居てくれる時間が増すのだけど。 私が勧めて自分の部屋のベッドで寝るのが一番疲れが取れるよ、 ということで早く部屋の帰るように仕向けるんだけれど、 帰り間際の私のベッドでのむつみ事。 私がママだから、から始まってベッドで横になり、 彼女が左向きで私は右向きに、顔を身体を向き合わせてハグをしての、 口

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          ただもう一つの心配事は九月が始まりかは聞き損ねましたが、 私にしてみれば身体が喜ぶんだけれど、雨季の始まりだ。 昼日中の雨はことも無くやり過ごすのだけれど、夜の雨降りは、 寒さを連れて来る。 昼の暑さがしんどい私には有難いばかりだけれど。 彼女にしてみれば表での六時六時の仕事。 大きな赤い四角いアンブレラの下での仕事でも、 少しの寒さが常夏に生い育った身にはしんどそう。 何かはおるものを持っての仕事だ。雨が降らなければ良いものを。 だからハード・ルーフのお店をと思案するのだ

          Notes of a Dirty Old Man in Philippines

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          男と女の心の交わりごとをとんと不承知な私ですので、 二人の間の親密さは彼女の主導権で、 良き方へとどんどん進んで行くようですが、 私の歩みは現実のようで杖をついて歩くまま、たどたどしい。 良きことと受け入れようとは思うのですが。 彼女の仕事のこと。 遠く離れてのメッセンジャーでやり取りだけであれば、 ありきたりのアドバイスだけで良いのでしょうが、 私が現実を見、彼女が彼女なりの努力をしているのを見れば、 何とかして上げたいと、商売何て分からないのに口をはさみたくなる。 ど

          Notes of a Dirty Old Man in Philippines

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          若者じゃ無いんだから愛されるのが怖いなんて言えば、 良い歳をして、勘弁してよなんて声が聞こえて来そうだけれど。 四歳の頃が物心の付き始めで、 思い出すひとシーン毎にシチュエーションが代わり、 生みの母と離れて次々と育ての母も代る。 生みの親との細かいことは記憶が無いので分からないのだし、 育ての母との関係は、 私は逆らうような質では無いのでそのままに受け入れて成人したけれど、 両親の離婚で養子縁組が反故になれば何もかもが無くなるようで、 虚しく寂し。 そんな人となりの人

          Notes of a Dirty Old Man in Philippines

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          マクタンの彼女F をセブに連れて行った。 もちろん私のアシスタントなんだから、付いて貰ったんだけれど。 三年間のメッセンジャーだけのやり取りでは細かい二人の諸事情が、 良く分からないってこともありましたが、私の手前勝手の思い込み、 野郎自大かも。私の体調悪もありましたしね。 マクタンに着いてからいきなりF が仕事に就いてることを告げられた。 これが見当違いの始まりで、私はA からメガ・ワイドの夜の仕事になって、 くたびれるくたびれるを何回も聞かされてたから、 F が手伝いを

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          あの頃は、三年程前のことになって仕舞ったけれど、 カルボンの入りっ口、BDO銀行の庇を借りてのサリサリの商売。 朝ベーカリーに食べ物を買いに行く道すがら。 気になる人で私の何を気に入ってくれたのかは知りませんが、 気が付けば話すようになってた。 座らせて貰って買ったものを食べてたし、クッキンもしてたから、 買って食べた。 お客さんが多くて友達に成ったし、中でもシティーホールに勤めてる彼は、 カーラかゲイだって教えて貰ってたけれどfacebookで友達に成ってる。 何年かの

          Notes of a Dirty Old Man in Philippines

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          昨日は寄り道をしました。 改めて今回の三ヶ月程のマクタンセブでの滞在に戻ります。 07月10日の飛行機に乗り、まずはマニラへそして日が代わり、 朝の内にマクタンに付いていました。 いつものお得なホテルに18日まで居りましたが、 近くに居てる友達に三年振りとのことも有り挨拶をして回った。 フィリピンでの最初のご縁を得た場所での友達達、 徒や疎かには出来ぬとこです。 長く居ればあの人この人とご縁も増えたんだけれど。 私はのんびりしたもんですが、セブの彼女A は何でのメッセージ

          Notes of a Dirty Old Man in Philippines

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          今日は祝日とのこと。 事務所はお休みと思っておりましたが、開所とのことで書き出した。 買いものに出掛け、シャワーを浴びて食事を終えてのこと。 お休みのつもりになって仕舞ってたので、はて何を書けば、 となって仕舞ったんだけれどね。 上手くしたもんで、昨日は帰って初めてのランドリー行。 えっ、と思うようなことが有りましたので書いてみます。 もちろんセブの彼女に関連してのことです。 以前にはそんなこと無かったんだけれど、私の前にお客さんがなんて、 無いことで。 二つしかない洗濯

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          Notes of a Diety Old Man in Philippines

          そう、 あの話しをマクタンに居る時はいろいろアシストをして貰ってた、 F、彼女にメッセンジャーしたらフィリピン人のカインドネスハート、 ホスピタリティーハートがと帰って来てた。 確かに確かにのお話だ。もちろん彼女もね。 本当は最後のセブシティーからマクタンの飛行場までも彼女のお世話にと、 思っていたんだけれど、 セブの彼女A の想いを知って仕舞うと、 F の場合はその都度に千ペソ程を、お小遣いに何て渡すんだけれど、 そんな気にはなれなかった。 彼女からは独りで大丈夫ですか

          Notes of a Diety Old Man in Philippines

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          ご主人もそうだし、奥様とも仲良しになって仕舞って飛行機を、 降りるのだけれど、 チーフの女性から声を掛けられて、日本語だったか、英語か、 車椅子に乗りますか、の問いかけが。 そうそうと思い出したのがマニラのエアポートでのこと。 最初のチケットを破いて捨てて新しいのを作ってくれたこと。 チケットに何かを書き加えてくれて、 何か私のことが次々と共有されてるのではと思わせた。 少しの関空の女性との打ち合わせの後に、もう用意されていた車椅子に。 飛行機を降りればもう終わりのつもり

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          早い時間にチェックインをしてるからと思いますが、 前の席で4-C だ。遠く歩かなくて良い。 キャビンアテンダントも付いてくれて 恥ずかしいけれどバッグパックを上げるのはお願いした。 左右三席ずつの通路側の席だ。 八時過ぎの出発、四時間程のフライト、 時差があるから一時くらいに関空到着か。 チーフの女性が多分タガログも英語も日本語も、使い分けてた。 何かあった時は安心安心だ。 前を向いて私が通路側で左隣に女性がそして女の子と隣り合わせた。 通路の向こうは同年代のご夫婦が二人

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          どんどん歩いて、私は歩いては無いんだけれど、 ゲート102 に着いて空いてる端の席に座らせて貰って、車椅子を畳んで、 置き帰るとのこと。 セブン・エーエムだけが耳に残ったけれど、余り気にも留めず、 夜明け前の三時頃のこと。 サンキュー・サー、サンキュー・マムとお辞儀をし丁寧な感謝を表した。 これで終わりの話しと思っておりましたので。 少し休もうと席に座り直し少しまどろむ。 六時頃から何か騒がしくて眼が覚めたんだけれど、 インチョン、インチョンと聞こえ韓国行かと気が付く。

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