Notes of a Dirty Old Man in Philippines

何でそこまで細かく話す気になったやら。
三年程のメッセンジャーでのやり取りへの反動も有るでしょうし、
もちろん毎日のように長い時間では無いにしても、
顔を突き合わせての生活、気心が知れた故でしょうか。

三ヶ月程のセブでの生活を書き残しておいたらとも思ったけれど、
暑さに参ってたし日本では全然歩くなんてしてないのが、
歩き出して彼女が気に掛けてくれて少しでも涼しい内と、
日本に居れば何処へでも自転車だから、
最初の頃は朝と夕方過ぎの短い散歩だけでも、
いっぱいいっぱいだったんだし、書きものなんて思いの他。

開けっぱなしの窓と天井の扇風機で心地良い風を得るだけ。
エレクトリック・シティーを考えるとエアコンは使わない。
何事も慎ましくつつましく主義の彼女も好まないし。
貧乏暮らしの見本だ。
電気代と水道代で千ペソ程だったっけ。フリーWi-Fiだし。
ルイムでは四千ペソ位だった。

彼女が来てくれる食事時だけ起きるみたいな生活。
他は横になってるだけだ、書き下ろしの為の資料を読むわけでも無い。
短い散歩でも日本に帰って感じたペダルを踏む足に力強さが。
他は日が経ってから七時頃からピックアップして貰って週に一度金曜日に、
メガ・ワイドに出掛けるようになっただけ。

そうそう、彼女のセパレートの話しだった。
数回簡単に聞いてた話しで、ある日の昼食の後だったか、
七年間セブに独りポチで住まいしてとかの、
話しから続いたことだったと思う。

私は彼女がどんな暮らしをしてたのか何て興味は無い。
子供のことはおおよそを教えて貰ってたし、親をママ、と言っても、
85歳とか聞けばおばあちゃんと思って仕舞うような家族構成。
どんな家に居るのか何て改めて考えればピクチャーを見て無いな。
娘がカレッジを卒業して仕事に就いて、
彼女の負担が少なくなって良かったと思うばかりだった。

そういえばメンストルーションの話しもしてたみたいだった。
ちょうど彼女がそんな時期で私が長くしている霊氣のことは、
話していたので、お腹と背中に身体をサンドイッチして手を当てて上げた。
三日きついとか話してたな。
数日続けて上げたら楽になったと喜んでたっけ。

男には分からないことだ。
それが話しのとば口で、小さい時からハード・ワーキングな女の子は、
メンストルーションは十八歳から始まるなんて、
聞いたことの無い話しを話してた。
終わるのが五十何歳とかとも言ってた。

日本的な常識とはとんと違うんだって思ってた。
まっ、私には普段と違わないように心がけてくれてるのだろうし、
何でも打ち明けてくれるんだけれど。

そんな時だからか、
気が高ぶってた時にセパレートの話しになった故でしょうか、
二つのベッドと窓際の丸いテーブルの部屋。
私は天井の扇風機にダイレクトに当たりたく無くて、隅のベッド。
彼女が中のベッドに来て座り顔を向き合わせ声高に話し始めた。

旦那と自分の他に四人のヘルパーを使っての仕事と聞いて、
最初のビックリ。
そして仕事に車を使ってたと聞いて二度ビックリ。
どんな仕事かとか規模はとか、聞く気にならなかった。
そこまで話してくれたのは初めてのことだった。

そしてお約束の結末と言って仕舞えば、
失礼に当たるだろうけれど旦那が四人のヘルパーの一人と出来たと。
今は子供もいるようだとも。

確かにただのセパレートじゃおけないよね。
ちゃんと手続きをしないとね。
他人事だけれど、仕事は車はどうなったのと聞きたくなったけれど、
やめておいた。
だからか彼女はオネスティー、正直とか誠実でしょうか、
何かの話しの中にちょくちょく出て来るんだな。

私はと言えば、アイ・ム・ジャパニーズ・ドン・テル・アライとか、
良く言うフレーズだ。
備わる彼女へはスマイル・スマイルがちょくちょくだ。
それだけで良い。

そんな私を好いてくれる。
まっ、爺さんだから悪さはしないと、
安心してくれてるのも有るでしょうが、
ええ加減な私ですみません。

そんなこんなで私のベッドに来て向き合い横になり、
肩や背中に手を当てながら、
なだめすかす私がいました。
~~続く

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