Notes of a Dirty Old Man in Philippines

遡ってフィリピンでのことを書き継ぎたい、残しておきたいとの、
想いでのこのnote への投稿ですが、
体調の悪さに現地で残しておけば良いものを、
中途で筆が止まったのだけれど、その続きをと帰国してからまた始めた。

年寄りですから時を経ると記憶が定かでなく、
帰った後の日常も重なって、
何がなにやら、何処がどこやらになって仕舞ってる。

先日もフィリピーナの飽きっぽい質でしょうと思い決めていた、
彼女のレンタル・ルームの前の小道でのこと。
その道端での何かを敷いてその上に野菜を並べただけの小さなお店。
以前に終わった話しと思いきや、
またやってみるとのこと。ピクチャーも送ってくれて。

彼女の仕事の進め方は知らずにいたのだけれど、
メガ・ワイドで残ったものを部屋に持って帰り、
デリバリー、仕入れとの兼ね合いで、店開きする。
近くに住まいしてるおばちゃんヘルパーも居てるよう。

私が冗談でメガ・ワイドがヘッドクオーターとたとえ、
こちらがブランチとたとえれば、大笑いする彼女。
以前からメガ・ワイドでの売れ残りは、
どうしてるんかなと考えていたんだけれど。

以前はそれなりに廻ってたものが、端境期の故でしょうか、
入れば入ったでメニー・メニーと彼女が言うように、
台の上に並べるのに、デスプレーと言ってたかな手間取るよう。
また始まるソー・タイアード、ソー・タイアード。

残ったものを朝まだき、おじさんの押す台車で、
荷台は横が1メーター弱の縦が2メーター位だ。
わざわざおじさん、オールドマンとことわるのは私への心遣いか。
可愛く思う私が居る。
もちろん幾らかの金を払って、レンタルルームへ運んで貰う。
彼女も付いて歩いて来るようだ。

荷物の少ない時はイー・バイク、電気三輪車も使うよう。
人も運ぶし荷物もだ。
私がメガ・ワイドに出掛ける時は、
いつもイー・バイクでピックアップしてくれてた。

フィリピンに居た時は最初は仕事が上手く回ってたので、
彼女も身体が楽だったようだけれど、
それにしても朝昼晩と、私の食事や洗濯掃除をするのは、
しんだかったでしょうが。

後にはデリバリーが上手く行かなくなって、
身体的にも精神的にもきつかったと今だから思えるんだけれど、
私はと言えば、あの頃はのんびりしたもんだった、と思う。
上げ前据え膳で、金も大した金額を渡した訳じゃ無い。
さすがに困った時はデリバリーで二千ペソとかが必要と言って来た。
もちろん返せなんて言わないよ。

いつも彼女をグッド・マネージャーって言うんだけれど、
笑顔が浮かぶ。
考えて考えて何とか工夫をしてやって行く彼女、リスペクトしてる。
もちろん好きだ。

時間を見付けて新規のファーマーとの繋がりや、
新規のデリバリーとの繋がりを増やしている。
ご主人がファーマーで、
奥さんがデリバリーの仕事をしてる何て話しを聞いたっけ。

私を連れてメガ・ワイドのお店で仕事を進める上でのIDの更新とのことで、
事務所に連れて行かれたことが有った。
彼女曰く、隣り合わせのお店のご主人はほとんどが持って無い、とのこと。
ファーマーからも、
デリバリーの方からも、信用を得たいとの彼女の考えでしょう。
もちろん野菜や果物をコンスタントリーに手に入れたい為のこと。

そんなごちゃごちゃがあったからでしょう。
記憶に残っていることにも限りが有るのですが。
それを補ってくれるのが帰っても続くメッセンジャーでのやり取りで、
彼女も落ち着いて来てるようで、
先への道筋が見え出してるみたいだと分かること。
喜ばしい。

私はと言えば、少しは体調も良いようで、
畏いなるものとの約束の書きものを進めなくてはと思い出してる。
そうそう、本当は今日の分で、
最初に書き出そうと思っていた彼女のジェラス・ハートに付いては、
明日のこととしますね。
~~続く

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