Notes of a Dirty Old Man in Philippines
ただもう一つの心配事は九月が始まりかは聞き損ねましたが、
私にしてみれば身体が喜ぶんだけれど、雨季の始まりだ。
昼日中の雨はことも無くやり過ごすのだけれど、夜の雨降りは、
寒さを連れて来る。
昼の暑さがしんどい私には有難いばかりだけれど。
彼女にしてみれば表での六時六時の仕事。
大きな赤い四角いアンブレラの下での仕事でも、
少しの寒さが常夏に生い育った身にはしんどそう。
何かはおるものを持っての仕事だ。雨が降らなければ良いものを。
だからハード・ルーフのお店をと思案するのだけれどね。
そんな上手く行かないばかりのような毎日だけれど、
私との一緒を喜んでくれるから私も喜ばしい。
私に何でも話してくれるし私は聞いてアドバイスをする。
私が不思議に思うことも彼女へ。
日本に帰っても続く不都合を何とかしたいと、
あの日全てを捨ててミャンマーへ渡った二千十二年の時のように、
住所を捨てて仕舞ってセブに居続けようかと思ったりする。
そうあの頃、若かったからから出来たこと。六十二歳からの二年程のこと。
今は七十三歳で、書きもの編集を十九年の七月に日本へ帰って後、
年末から始めたこと。二年程を掛けた私に取っては大仕事だった。
金は貯まらないのだけれど、
目に見えぬ疲労の蓄積は如何許りだったかと思う。
二十三年を迎えても体調はひどいものだ。
そんな私が七月十日に少し落ち着いたとは言え、
渡比をするのだからお笑い草だ。
二十年の三月の中頃からの三ヶ月の内のことで、
どれだけ彼女の気はしに触れたかも知れないのだし。
でもその後の三年程に渡るとは言え、
メッセンジャーでのやり取りだけのことだけれど、
彼女の真心を知ればこそのこと。
この度のたったのみ月とは言え、顔付き合わせれば真と分かるのだし、
幾ばくかの金高でも生きるなら、何とか良き方へと思うばかり。
日本に居れば税金非課税世帯の底辺生活者だけれど、
渡比をすれば幾らかマシになるんだから。
ただ若い時の身体とは違うが、悔しいところ。
急な体調の変化をフィリピンの医療機関で、
貧乏日本人を受け付けてくれるんかな。命ほいとの日本人。
日本に居てれば健康保険や高齢者と優遇されて、生きるだけ生きれる。
かたやあちらでは、金が用立てられずの話しで、
ちゃんとした医療も受けられずお若いのにお亡くなりになるよう。
急に体調を崩しての方や、少し体調が悪いような方が、やはり急に。
そんな例を見て仕舞うと、考えて仕舞った。
彼女の傍で居続けたいのだけれどと、これが恋なのかと、
良い歳をした爺さんの想い嘆く私が居る。
旅行保険でも調べてみるかな。
~~続く
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