Notes of a Dirty Old Man in Philippines

若者じゃ無いんだから愛されるのが怖いなんて言えば、
良い歳をして、勘弁してよなんて声が聞こえて来そうだけれど。

四歳の頃が物心の付き始めで、
思い出すひとシーン毎にシチュエーションが代わり、
生みの母と離れて次々と育ての母も代る。

生みの親との細かいことは記憶が無いので分からないのだし、
育ての母との関係は、
私は逆らうような質では無いのでそのままに受け入れて成人したけれど、
両親の離婚で養子縁組が反故になれば何もかもが無くなるようで、
虚しく寂し。

そんな人となりの人間に、自分をマミーとかママと言って、
口づけて抱きしめてくれる女性をなんと考えれば良いやらと、
私が子供に戻れ母にそんなにして貰いたいと考えたことも有る私であれば。

恥ずかしさから、いやいやながらと、もう勘弁してと態度には表すけれど、
本心はと言えば記憶は無いのに生みの親とはそんなだったかと、思い惑う。
そう齢73にもなってのお話しだから困って仕舞う。
彼女の本心は疑わないんだし。

そんなやり取りが始まってはいたけれど、
フィリピンとて良いことばかりが続く生活があるじゃ無し。
彼女の仕事のこと。
BDO銀行の軒先を借りてのサリサリのお店が続けられなくなり、
カルボンの中でのことにしても場所が代わり、お店の開店時間も代り、
売り物までも野菜に代った。

彼女の話しでは最初の一年程は良かったけれど、
現在までの後の一年程はお店が増えた加減と思うけれど、
ファーマーとのやり取りが上手く行かなくなって、
デリバリーに、仕入れに間がと口説く。

遠く離れてのメッセンジャーでのやり取りでは分からない出来事。
彼女の様子を見、週に一度だけだけれどメガ・ワイドに行き出して、
現実に私が見てのこと。

お店が開けられない日々がぽつぽつと数日。
夕食の後二人で散歩が出来るなんて喜んでる場合じゃ無い。
それにしても彼女の持ち金がいくらなのか分からない私が居るんだし、
何とか切り抜けて来た、行く彼女が居る。

まっ、月に一万円程、四千ペソを渡して食事を、残りは仕事の足しに、
何てええ加減な男です。何かの時は私に言ってくるんだし。
以前の投資が今に生きるなんてね。

それに輪を掛けたのが現地のことが分からない成りに、
私が勝手に考えてたのだけれど、端境期に掛かってたのではとの想い。
ファーマーからハーベスト、収穫が無いなんて言われればどもなりません。

フィリピンでの仕事の進め方は分からないんだから、
黙ってれば良いのに彼女に問い詰めると、
そんな口調になってたかも知れないけれど、
少し前から手当をしておかないとと諭す。

帰った応えが一年程前に状況が代わったから自分も分からなかったと。
どちらにしてもベジタブルの仕事は役所から与えられたもの。
赤い大きなアンブレラは有るにしても外での仕事だし。
以前のBDOの庇を借りての仕事が良いと言い出したり。

どちらにしても、
金曜日に野菜を持って来てくれるウーマンファーマーだけじゃ無く、
少し増やせばと言うと後二人増やすと直ぐに考えるし見当も付けてる彼女。
だてに七年もカルボンで飯を食ってる訳じゃ無い。

やはりファーマーとくっついてるデリバリー、
運送屋さんも少し増やして三人程にするとか。
ゲイの運送屋さんしか名を聞かないけれど、
それなりに彼女が動き出すんだけれど、私が日本に帰って仕舞った今も、
メッセンジャーでのやり取りではまだ厳しいよう。
フルーツもおいてみるなんて工夫をしたりするんだけれど。

報連相じゃ無いけれど、そんな文化があるじゃ無し、失礼フィリピン。
夕方出掛けて行ったけれど、無駄足も。
いつも明るかった彼女だけが救いだった

笑い話じゃ無いけれど、セブシティーは南は海に面し、北は山がちで、
山を幾つも越したとこに住んでるウーマンファーマー、
水は知らないけれど、
電気が来てない、だから携帯は持って無いし、電波も来てない。
報連相の前の前のお話しで笑うに笑えず。
~~続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?