『フィレンツェ史』の面白さ
『君主論』の次にマキァヴェッリを読むのなら…
マキァヴェッリの『君主論』を読んだ人が、もし彼の書いた他のものをもう1冊読んでみたいと思ったのなら、私は『フィレンツェ史』をおすすめします。
『フィレンツェ史』は、題名のとおり、マキァヴェッリが自身の祖国フィレンツェの歴史を描いた本です。
歴史上の出来事をただ書き連ねたわけではなく、マキァヴェッリが過去の出来事を評価する理論的なコメントを入れたり、登場人物の演説を創作して挿入していたりします。
いわば、司馬遼太郎や塩野七生の歴史物語エッセイの遠いご先祖のようなものです。
また、「失うことへの恐れは、それが近くに迫らなければ実感できないが、手に入れることへの望みは、まだ遠くに離れていても夢見ることができる」(第4巻18章)といったような、気の利いたフレーズなども散見されます。
『君主論』の箴言を面白く思った方なら、『フィレンツェ史』も楽しめるのではないかと思います。
このマキァヴェッリの『フィレンツェ史』について、自分なりの整理を3回に分けて記事に書いてみようかと思います。
今回は、私が1番物語として面白いと思った箇所の紹介、全体の概要、そしてフィレンツェ史の外枠になるイタリア史へのマキァヴェッリの言及を見ていきたいと思います。
次の記事(【マキァヴェッリを読む】Part7)では、マキァヴェッリがフィレンツェをどのように描いていたのかを取り上げます。
そのあと(【マキァヴェッリを読む】Part8)では、『フィレンツェ史』のなかで述べられているマキァヴェッリの政治思想を扱う予定です。
マキァヴェッリ創作演説(これぞマキャベリズム!)
『フィレンツェ史』の面白さをプレゼンするには、言葉を尽くして説明するより実際に読んでもらった方が早い気もするので、
『フィレンツェ史』の中にあるマキァヴェッリ創作演説を1ヶ所丸々引用してみようかと思います。
紹介する演説は、「チオンピの乱」と呼ばれる騒動、参政権のない下層労働者による一時的な政権奪取劇の最初期の一幕(第3巻13章)。
下層民による暴動が生じた後、処罰を恐れた暴動参加者たちを奮起させるために行われた「勇敢で経験豊かなある者」(つまりマキァヴェッリの創作人物)による演説です。
私が1番面白いと思った箇所でもあります。
『君主論』を読んだ方なら、どこかで読んだことがある印象を持つのではないでしょうか。
権力の獲得というテーマが『君主論』と共通しているからかもしれません。
一般に抱かれている「マキャベリズム」のイメージにピッタリな内容になっていています。
邦訳書について
邦訳の種類
アクセスしやすい『フィレンツェ史』の邦訳は、3種類あります。
〈1〉は、多賀善彦という名義で戦時中に出版された『マキアヴェルリ選集』に収められていた邦訳を改訳したもの。
筑摩書房『マキァヴェッリ全集』月報によれば、フランス語からの重訳のようです。
現在では、Kindleで響林社文庫から復刻版が入手可能です。
古本屋で目にした時は、同じ岩波文庫から出版された〈3〉と間違わないようにしましょう!(経験者談)
〈2〉は、『マキァヴェッリ全集』第3巻として筑摩書房から1999年に出版された邦訳の文庫化。
「文庫化においては、特に訳注の部分で若干の訂正を加え」た、とのこと。(文庫版「解説」)
また、文庫の巻末には、訳者によるフィレンツェ史年表が追加されています。
〈3〉は、イタリア中世史の研究者による最新の邦訳です。
どの邦訳がおすすめできるか
まず、〈1〉はおすすめから外れます。
イタリア都市国家の役職に対して、「主として鎌倉幕府の官職名を中心にして選択し」た訳語を活用しています。(「著者のはしがき」)
政所、執権衆、管領代、都護、旗持衆、身代書……それなんて鎌倉殿?
フランス語からの重訳、古い翻訳年というマイナスポイントも付け加わるため、他の邦訳を最初に読む一手です。
〈2〉と〈3〉は、読む人によって好みが分かれるかと思います。
〈2〉の訳者はイタリア言語学とイタリア文学が専門、一方〈3〉はイタリア中世史が専門。
〈3〉は、(おそらく従属節などを別の一文に分けるような工夫をしたのか)ひとつひとつの文が短めで、文章全体が柔らかく読みやすい印象を受けました。読み比べると、その分だけ〈2〉の文章を少し硬く感じてしまいます。
ただ、〈2〉の邦訳は、文中に多々ある登場人物が語った演説など直接話法の文章になると、かえって読み応えを覚えます。〈3〉の訳者の方も「筆勢のある翻訳」と〈2〉を評されているのも納得です。
また、〈2〉に年表が付録としてあるのはセールスポイントですが、少し細かすぎて、私の場合には、本書を読むのにはあまり役立てることはできませんでした。
私の結論としては、「〈2〉の文を読みにくいと感じない方は〈2〉、そうでない方には〈3〉がおすすめ」です。
ちなみに、上で引用した演説は〈2〉の訳文です。
また、以下でマキァヴェッリ『フィレンツェ史』から引用するとき、私の好みで引用箇所ごとに〈2〉と〈3〉を切り替えて使用しています。
『フィレンツェ史』を読んでみようと思われた方は、読み比べてみて訳本選びの参考にしていただければ幸いです。
『フィレンツェ史』の概容
マキァヴェッリの大部の著述のうち、最後に書かれたのが本書『フィレンツェ史』です。
ジュリオ・デ・メディチ枢機卿、後の教皇クレメンス7世の斡旋で、1520年にフィレンツェ共和国と執筆契約。
25年に現在残っている第8巻までが献呈される。
後続の歴史を著述する用意もあったようで、第9巻の下書きの断片が残っているとのこと。
後続の巻が完成しなかった理由が、著作する意志の消失によるか著者の死によるかは、説が分かれている模様。
実際に読んでみると、各巻ごとにかなり異なる印象を受けます。
国内対立、対外戦争、イタリア全体の情勢など、巻ごとで扱う内容に偏りがあるせいなのでしょうか。
それとも、元ネタにした資料の影響なのでしょうか。
(マキァヴェッリが元ネタにした資料については、ちくま学芸文庫の解説が詳しく取り上げています。
そこに挙げられたもの以外にも、第8巻36章のロレンツォの叙述は、同時代のヴァローリ『ロレンツォ伝』そのままの引き写しという指摘があります。(石黒盛久「マキアヴェッリ政治思想とロレンツォ・デ・メディチ像の創出:『フィレンツェ史』第8巻の分析を中心に」))
(各巻の下に記載した内容は、分量の多さや印象から私がピックアップしたもので、原書内で選出されているわけではなく、また網羅的でもありません。)
読書ノート(注目ポイントの引用)「イタリア全体関連」
フ国内の党派対立、国家を牛耳る僭主などをめぐるフィレンツェの歴史への言及や、マキァヴェッリの政治思想については、また別の記事をたてて見て行こうかと思っています。
今回は、それ以外のことで気になった点、フィレンツェ外の話題に関連する事柄について記録しておきます。
ローマ教皇庁への評価
このような俯瞰的な評価は、別の著作(たとえば『ディスコルシ』第1巻12章)でも見られるものです。
一方、『フィレンツェ史』では、同じプレイヤー目線での教皇庁の評価があるところが目を引きました。
傭兵制批判の背景
相変わらず、傭兵制への嫌悪感が各所であらわになっています。
好き勝手に悪口を書いていて、かえって面白く感じてしまうくらいです。
それはともかく、『フィレンツェ史』では真面目な傭兵制批判もあります。
純粋に軍事的な有効性の視点から主に非難されていた『戦争の技術』での批判とは少し毛色が異なるものです。
マキァヴェッリの傭兵制批判の背景には、相手を徹底的に打ちのめすことを「本来の戦争」とする見方があります。
この「本来の戦争」と比べれば、傭兵の戦争は生ぬるいわけです。
『戦争の技術』にも同様の記述がありました。
そちらでは、このように戦争が堕落してしまったのはキリスト教の影響であると述べています。
そして、戦争が変わったせいで、自分で武装して訓練するより傭兵を採用する、敗北を賠償金で埋め合わせるという悪癖がはびこっているというわけです。
『フィレンツェ史』での傭兵批判には、財政的な視点が登場しています。
マキァヴェッリがいう「本来の戦争」は、掠奪、土地の接収、奴隷の獲得で儲かるものであったと言います。
逆に、傭兵制は儲かるどころか金銭を支出するという理由で非難されます。
さらに、相手を叩きのめさない傭兵の戦争では、再び敵と戦争が起こるのは当然で、またさらに戦費で貧しくなるというわけです。
実際、『フィレンツェ史』では、戦争=傭兵のための費用を捻出するための税金の導入、税負担の分配をめぐる国内対立に幾度も言及されています。
(マキァヴェッリが現実の政治生活で徴兵制を導入できたのは、この傭兵費用の負担をめぐる政治調整が失敗したためであることは皮肉です。
より費用のかからない窮余の策として、彼の徴兵制案は採用されたのでした。)
ジェノヴァのサン・ジョルジォ銀行
ジェノヴァのサン・ジョルジォ銀行に言及している第8巻29章が目を引きました。
その章の最後は、ある予言によって締めくくられています。
当時ヴェネツィアは、古代ローマを除けば、もっとも優れた国家として名前があがる存在でした。
そのヴェネツィアより評価が高いというのは並大抵ではありません。
さらに、『フィレンツェ史』という書物のなかでこういうことを書くのは異様な気がします。
もっとも、この予言は実現しませんでしたし、おそらくジェノヴァやサン・ジョルジォに対する深い考察が込められているわけではないと思うのですが…
サン・ジョルジォは邦訳文献では銀行と訳されることが多いようですが、その機能はただの債務機関とはとても言えない存在です。
このジェノヴァとサン・ジョルジォについて、マキァヴェッリは以下のように描写しています。
マキァヴェッリの描くジェノヴァの姿が、実際のジェノヴァにどれほど近いかは調べてみないとわかりませんが、興味を引きます。
(根拠はないのですが、もしかしたらマキァヴェッリは、過去のフィレンツェでポポロが統治権限を獲得する姿をサン・ジョルジォに投影しているのかもしれないと思っています)
ちなみに、サン・ジョルジォについては、マックス・ウェーバー『中世商事会社史』(邦訳は『中世合名・合資会社成立史』)、大塚久雄『株式会社発生史論』(楠井敏朗『大塚久雄論』に詳しい解説あり)で取り上げていることくらいしか、私は知りません。
イギリス東インド会社が比較的近い組織になるのでしょうか?
ジェノヴァやサン・ジョルジォについて手頃に知ることができればいいのですが…