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マキァヴェッリ『戦争の技術』〜【マキァヴェッリを読む】Part 3


マキァヴェッリの「代表作」?

マキァヴェッリといえば『君主論』。
ですが、『君主論』が活字として出版されたのは、彼の死から数年後です。
マキァヴェッリが生きている間に「公刊」した書物は別の著作、しかも1冊しかありません。
その生前唯一の「代表作」こそ、今回取り上げる『戦争の技術』です。

題名どおり、この本では戦争に関わるさまざまな事柄が具体的に取り上げられています。
徴兵、武装、編成、会戦、行軍、宿営…
これら多岐にわたる分野について瑣末なことまで具体的に述べた部分が、本書の大半を占めています。
『君主論』から入って、ビジネス書として応用できそうな人間心理論やリーダー論を求めて本書を手に取った方は、残念ながら確実に期待を裏切られるでしょう。
正直なところ、軍事史に関心のうすい私のような門外漢にとっても、このような箇所に目を流していても頭に入って来ません。

このウンザリさせられる記述の中にある分だけ、かえって本書の中の中心的な政治的主張ははっきりと浮かび上がって来ます。
それは「自国に属する者で民兵を構成すべし」です。
この主張は、「軍事を生業とすることの禁止」と同じことを意味しています。
つまり、傭兵の雇用、そして常備軍をともに否定するものです。

政治と軍事両面での個別の主張が、この民兵論と結びついています。
軍事面では、例えば、軍隊教育での訓練・規律重視、会戦による敵戦力殲滅志向が挙げられます。
アマチュアである民兵を戦場に立たせるためには、定期的な訓練実施と規律の徹底が必要となります。
また、会戦を戦闘行為の主目的とする背景には、本業ではない戦闘に拘束する期間をできるだけ短くする配慮があります。
一方、政治面では、軍事規律を通した徳育・人間教育効果、軍事力を背景に自国を牛耳る家門・党派の登場への抑制が、民兵論の効果として言及されています。
これらは同時に、民兵論を擁護する理由にもなっています。

民兵論はマキァヴェッリの生涯を通じて主張される論題です。
その意義がもっともコンパクトに展開されているのが、この『戦争の技術』であると言えるかもしれません。

しかしその一方で、世間の意見に逆張りするような『君主論』や『ディスコルシ』での極端な行論と比べると、『戦争の技術』は淡々と主張が提示されている印象があり、なんとなくお行儀が良すぎる印象も受けました。

邦訳書について

邦訳の種類と特徴

アクセスがしやすい『戦術の技術』の邦訳は、4種類あります。

〈1〉浜田幸策[訳]『新版 マキアヴェリ戦術論』原書房2010年(旧版1970年)
〈2〉服部文彦・澤井繁男[共訳]「戦争の技術」(『マキァヴェッリ全集1』所収)筑摩書房1998年
〈3〉石黒盛久[編訳]『戦争の技法』(『戦略論体系13マキアヴェッリ』)芙蓉書房2011年
〈4〉服部文彦[訳]『戦争の技術』ちくま学芸文庫2012年

〈1〉浜田訳には、レオナルド・ブルーニの『民兵論』が併録。
(レオナルド・ブルーニは、マキァヴェッリより約100年前のフィレンツェの政治家・人文主義者。
『フィレンツェ史』をはじめとした歴史書・伝記、ギリシア哲学文献のラテン語訳がある)

〈4〉服部訳は、共訳者として翻訳した〈2〉全集版を、単独で改訳したもの。

どの邦訳で読むのが良さそうか

翻訳文章の良し悪しについては、〈1〉以外には大差ないように思われました。
〈1〉だけは、読むのを避けた方がいいレベルで翻訳がおかしいのではないかとと思われます。
(どうおかしいかは、また後日あらためて書こうかと思っています)

もし『戦争の技術』を読むならば、もっとも解説が充実している〈3〉か、もっとも安価で新刊書店でも手に入る〈4〉がいいかと思います。

『戦争の技術』

概要

1512年に政界から失脚したマキァヴェッリは、フィレンツェの名家子弟も数多く参加する知的サークル「オリチェッラーリの園」に出入りするようになっていた。

ある時、フィレンツェを来訪していた著名な傭兵隊長ファブリツィオ・コロンナが、サークル「オリチェッラーリの園」に招かれる。
いかに古代ローマの軍事制度が優れていたか、古代ローマの軍事制度はいまだに採用するに値すること、また採用にあたりどのように手直しをする必要があるか。
招待されたファブリツィオが開陳したこれらの主張について、マキァヴェッリが報告する。

構成

ファブリツィオと「オリチェッラーリの園」のメンバーが登場する対話には、マキァヴェッリは一切顔を出していない。
マキァヴェッリが地の文を書いているのは、対話を導入する第1巻の冒頭と序文のみ。

本書は、序文と7巻で構成されている。

序文:マキァヴェッリが市民生活と軍隊生活の関連について述べた小文。
第1巻:徴兵=市民兵制度の擁護。徴兵の具体的な方法。
第2巻:軍隊の編成と教練
第3巻:会戦での基本的な布陣。会戦で想定される運用。
第4巻:状況に応じた運用例。指揮官の心得
第5巻:行軍
第6巻:宿営。会戦以外の戦争に関わる諸手段。
第7巻:城砦や都市の攻防。教訓のまとめ。今日のイタリアの惨状と対処法の献策

全集の解説によれば、ウェゲティウス『軍事論』の記述の配列にそった構成とのこと。
(ウェゲティウスは後4世紀の人物。
『軍事論』はクラウゼヴィッツ以前、西欧でもっとも流通した兵法書とのこと。
「汝、平和を欲するなら、戦争に備えよ」の格言が有名。
『軍事論』には邦訳がないようで、詳細については不詳)

関連する史実(各種邦訳の解説・脚注より)

●ローマのコロンナ家出身の傭兵隊長ファブリツィオ:1450年代生。1520年没。
実際にフィレンツェを来訪したのは、1516年8月末から9月初旬と推定されるとのこと。

●本書に登場し、その死まで言及されているコジモ・ルチェッライ。彼が亡くなったのは1519年。わずか25歳。

●1521年8月『戦争の技術』公刊。

●コジモ以外で登場する「オリチェッラーリの園」主要メンバー3名:
メディチ家出身の教皇レオ10世死去(1521年12月)を受けて、メディチ家に対する陰謀を画策するも、陰謀が露見して1522年に亡命。

読書ノート(注目ポイントの引用)

以下の『戦争の技術』からの引用には〈4〉ちくま学芸文庫版を利用、そのページ数を表記。
引用文は、特に記載がないかぎり、対話篇中のファブリツィオの発言。

(対話篇に登場するファブリツィオの見解は、著者であるマキァヴェッリの主張を仮託したものであるとして、素朴に読んで行きます。
もちろん、両者の見解の間に距離を見出す解釈は可能です。
ただし、そのような読み方は、他の著作との整合性などを考慮した高度な解釈を要求するため、ここでは考えないでいます。)

共和政ローマの模倣のすすめ

ファブリツィオ:
「何事を引き合いに出すとしても、わたしはわがローマ人から離れるつもりはない。たとえば、かのローマ共和国の人びとの生活や諸制度を考えてみれば、その多くはまだ何がしかの善が残っている文明にとって導入できる部分もあるはずなのだ。」
コジモ: 
「それでは、古代に倣ってあなたが導入されたいこととは何なのでしょうか?」
ファブリツィオ:
「徳(ヴィルトゥ)を讃えそれに報いること、貧乏を蔑まぬこと、軍隊生活および軍事規律を敬うこと、市民たちが互いに愛し合うべく党派を作らず、私事よりも公事を優先させること、その他今日の時勢でも容易にできそうなことはすべて。」

『戦争の技術』p.17-18.

戦争を生業とすることへの批判/市民軍制の推奨

戦争を専門的に生業とする傭兵や常備軍をマキァヴェッリは否定する。
その代わりに、平時には別の生業に従事する人々を一時的に徴兵する市民軍制の採用を主張する。

「話の要点は二つあった。一つは、善良なる人間であれば軍人稼業を自分の職業にはできないということ。今一つは、共和国であれ王国であれ、制度がきちんとした国家は、その臣民や市民たちが戦争稼業を生業とするなど、断じて認めなかったということだ。」

「結局のところ、制度が良く整備されている都市であれば、実践的な軍事活動は平和時に演習としてなされるか、有事には必然と栄光のためになされるべきものであって、戦争を仕事とするのは、ローマのように、ただ国家にのみ委ねなければならない。」

「国王たる者、もしも自軍の兵士たちが平和時には快く家に戻ってそれぞれの仕事で生活するように命令できなければ、当然滅びること請け合いとなる。なぜなら、私的な職業として戦争をする者どもからなる歩兵団以上に危険極まりないものはないわけで、そんな国の国王はずっといつまでも戦争を行うか、常時連中に俸給を支払うか、自分の国を奪われかねない危険を持ち込むことになるからだ。常に戦争などできるものではない。常に歩兵たちに支払い続けることも不可能だ。このとおり、必然的に国を失う危機に陥るという寸法だ。」

『戦争の技術』p.24,26,27.

「賢明な共和国というものは誰にも俸給を支払ってはならず、むしろ戦時には自国の市民たちを隊長に据えるべきで、平和時には彼らがそれぞれの職業に戻るようにしなければならない。同様に賢明な君主たる者も俸給を支払うべきではなく、払うとすれば、しかるべき理由がなければならない。たとえば、抜きんでた功績のある者を賞揚するためとか、平和時戦時を問わず、何がしかの人物を活用するためにだ。」

『戦争の技術』p.32.

古代における市民軍制の効用

古代のように市民軍制を採用した場合、軍隊生活は市民生活を二重の意味で益する。
他国の脅威から市民生活を防衛する役割を軍隊が担うだけでなく、軍隊生活のなかで市民生活に適した人間となるよう促されるからである。

(マキァヴェッリ):
しかしながら、古代の諸制度を考えてみれば、当然とはいえ、市民生活と軍隊生活ほど互いに親和し、似通い、一体となっているものは他に見あたりません。
というのも、すべての仕事は、人びとの共通善を図らんがために、市民生活のただ中で制度化されており、またすべての制度は、法と神を畏れて生きんがために作られたものなのですが、そのいずれも自国民による防衛力が準備されていなければ、甲斐のないものとなってしまうからです。防衛力こそ見事に配備されれば人びとを支え、たとえまとまりを失った人びとにとっても、その後ろ盾となる。逆に言えば、良き諸制度でも軍事力の助けがなければ崩壊するばかりです。
(中略)
ですから、いくつかの都市や、王国に見かける他のどのような制度でも、人びとが信義にあつく、平和を好み、神への畏れで満たされ続けるよう、あらゆる努力が払われてきたのですが、それが軍隊においては二重にかなえられます。というのも、祖国のために死を覚悟した人以上に、いかなる人間により多くの信頼を置けるというのでしょうか?戦争そのものによって傷つけられる人以上に、誰がさらなる平和を慈しむものでしょうか?毎日、無数の危険にさらされながら神のご加護を是非とも必要とする人以上に、いったい誰に神への強い畏れがあるのでしょうか?

『戦争の技術』p.8.

市民軍制への反対論への反論

市民兵の能力への疑念と、市民兵を掌握した者が国家を牛耳る懸念が、市民軍制への反対論の根拠として例示されている。
市民兵の能力については、訓練の問題として退けている。
もう一方の懸念については、傭兵など市民兵制以外の方法でも同様の問題は存在すること、そして、市民軍制なら台頭に注意すべき対象が有力市民のみに限られる点で市民軍制以外よりマシであるとして反論している。

コジモ:
「彼ら識者たちは、こんなことを言っています。もし市民軍制が役立たないものならば、われわれがそれに信頼を寄せることによって国(スタート)を失うことになるだろう、一方、この制度が効力ありとなると、それをいいことに市民軍制を統括する者がやすやすと国を奪うだろう、といった具合です。」

「ところで、これ以上に識者らがたいそう恐れるのは〔この軍制が〕無益であることです。その無駄なことについては二つのおもだった理由を挙げています。一つは熟練兵でないこと、今一つはしかたなく従軍せざるを得ないこと。というのも識者たちの言い分では、市民兵は戦さを重ねて学び知るものではなく、それに強制からは何も善いことは生まれない、というわけです。」

『戦争の技術』p.39

ファブリツィオ:
「気力と経験とを彼ら市民兵に体得させるには、彼らに武器を取らせ、訓練し、組織するそのやり方次第なのであって(以下略)」

『戦争の技術』p.40

ファブリツィオ:
「自国の市民や臣民を屋台骨とする軍隊とは法制度に基づくもの、それは何ら損害をもたらさず、むしろいつでも有益なのであって、こうした軍隊を通じてこそ、それを持たないところよりもずっと長い間、都市は腐敗から守られるのだ。
ローマは四百年にわたって自由だった。そして軍備が整えられていた。スパルタは八百年。他の多くの都市は軍備を整えず、自由だったのは四十年にも満たない。都市〔国家〕というものは、軍備を必要とするものだ。自国の軍隊を持っていなければ、外国兵を雇い入れることになる。すると、他国の軍隊は自国の軍隊より公共の善に害を及ぼすことで急となる。なぜなら、外国軍はいとも簡単に腐敗し、有力な市民がいきおいそれを利用することになり、あとの手はずは簡単そのもの、丸腰の人びとを抑え込めば事足りるからだ。これ以外にも都市は、一人ではなく二人の敵を恐れざるを得なくなる。外国軍を利用するとなれば、すぐにも雇った当の傭兵隊長と有力市民に恐怖を抱くことになるのだ。」

「つまり誰であれ、そこに住む人びと自身が武器を手にして自国を守ろうとしなければ、どのような共和国であろうと王国であろうと、秩序立てることはできなかったということだ。」

『戦争の技術』p.41-42.

ローマ史の解釈

生業として戦争を利用することとの関連で、マキァヴェッリはローマの腐敗について説明する。
戦争を自身のために利用する風潮がポエニ戦争を機に生まれ、元首政期以降には軍人によって皇帝が左右されるまで腐敗したとする。

「ローマが善く治められていた間は(グラックス兄弟まではそうだった)、戦争を稼業とする兵士などはいなかった」

『戦争の技術』p.26.

「カルタゴ戦争以前の指揮官たちは戦争を自らの職業としなかったのに、それ以後の連中は、わが身の生業として戦争を利用した」

「それに、ローマ共和国が汚辱を知らずにいた間は、大市民の誰一人として戦争稼業で平和時にあっても有力になれる、などとは夢にも思わなかったのだ。この仕事とは、法律は破るわ、属州から身ぐるみ収奪するわ、祖国を侵害して圧政を敷くわ、で何がなんでも利を求めるものなのだから。 また、最下層の身の上の誰一人として誓いを破ることなど思いもよらなかったし、有力私人にくっつくことも、元老院を軽んずることももっての外で、常時、戦争で生きていけるような、専制的な暴政には幕を引こうとしたものだ。」

「ところで、以前に指揮官であった当の面々は、勝利に満足するや、願い出て私的な生活に舞い戻った。当時兵士であった者たちも、武器を手にするより武器を置く方が切なる望みだった。各々が自分の仕事に還って、それぞれの生計を立てたものだ。戦利品や戦争業で食えればと望む者など、そのなかには決していなかった。」

『戦争の技術』p.24-25.

「後代の腐敗と言えば、最初にオクタヴィアヌスが、次にティベリウスが、公共の利益よりもむしろ自己の権勢に思いをめぐらせるようになったのが始まりだ。彼らは、ローマ人民をいとも簡単に支配できるようにと市民たちを非武装化し、またローマ帝国の辺境には継続的に同様の傭兵軍を配備した。それでもまだ、ローマ人民と元老院を抑え込むには十分ではないと判断して、親衛隊と呼ばれる軍隊を組織した。それはローマの城壁近くに、ローマ市街の背後にそびえる砦のように配置された。そこで彼らは、親衛隊に採用された者どもが軍隊生活を自分の生業とすることを勝手に認め出したわけだ。」

「が、ここからすぐに親衛隊兵士の傲慢が生まれ、連中は元老院にとっては恐ろしく、皇帝にとっては害悪をもたらす者となっていった。そんなわけで、多くの皇帝たちが連中の傲慢ぶりから殺される事態となった。というのも、親衛隊の兵士どもは皇帝権を奪っては、自分たちで適当と思われる者にそれを与えたからだ。そして、時にはたくさんの皇帝が同じ時期に、いろいろな部隊から選ばれる有り様だった。こんなことから最初に帝国の分割が進み、最後にはその崩壊となった。」

『戦争の技術』p.28-29.

ヴィルトゥの歴史

マキァヴェッリは、戦争で傑出した人々が有するヴィルトゥという観点から、国家の盛衰を考える。

「人々が卓越してその力量(ヴィルトゥ)を顕わにするのは、自分たちの君主や共和国、あるいは国王などから祝福を受け、引き立てられてのことなのである。その結果、多くの政府があるところには、多くの有能な人間が生まれ出で、国々の少ないところは、僅かでしかない。」

「共和国の方が王国よりも、卓越した人物をずっと生み出すものなのだ。というのも、共和国ではほとんどの場合に力量が賞揚されるが、王国では恐れられてしまうからだ。だから、一方では力量ある面々が育まれるのに、他方では消されてしまう。」

『戦争の技術』p.100,101.

「したがって、真実なのは、より多くの国々 〔支配権〕が存在するところに、より多くの優れた人物が現れ出で、次なる必然として、 そうした国々がなくなるにつれ、徐々に力量(ヴィルトゥ)は消え失せ、力量ある人々を作る原因もまた少なくなっていく、ということだ。だからこそ、のちにローマ帝国が成長し、ヨーロッパとアフリカ、そしてアジアの大部分の共和国や君主国を消滅させてしまうと、力量に至る道はローマ以外には残っていなかった。結果として、力量ある人材はアジアと同様に、ヨーロッパでも少なくなりはじめ、力量そのものは、 やがて最終的な衰退に向かった。というのも、 あらゆる力量はローマに集められたが、ローマが腐敗するにつれ、腐敗はほとんど全世界に拡がった。そして、スキタイ人〔ゲルマン系の人々〕がやって来て、ローマ帝国を略奪できるまでになった。その当のローマ帝国は、かつて他国の力量を消し去ったのに、もう自国のものを維持することができなくなっていた。帝国には蛮族が溢れかえり、幾多の地域に分割され、こうした力量が再び蘇ることはなかった。」

『戦争の技術』102-103.

「わたしの論じたことがいかに正しいかは、マーニャ〔ドイツ北方〕のことを考えていただきたい。そこでは多くの君主国と共和国が並びたち、力量に富んでいる。 現在の軍事制度で優れているものは、みなドイツの人民の先例に由来している。彼らは自分たちの国家を守るのに熱心で怠りなく、隷属状態に陥ることを怖れ(どこか〔イタリア〕では怖れられもしないが)、全員が領主と栄誉ある人士をもりたてている。」

『戦争の技術』p.105.

キリスト教による軍事への価値観の変化

「キリスト教による現下の生活様式が、古代に見られたような自己防衛を必然として課さないからだ。つまり当時なら、戦争に敗北した兵士は殺されるか、終生奴隷に甘んじたわけで、悲惨な生活を送ったものだった。征服された土地は荒廃にさらされるか、あるいはそこから住民は追い立てられ、財産は奪われ、世界中に離散してさまよった。だから、戦争に敗北した人びとは、あらゆる極限の辛酸を嘗めつくした。このようなぞっとする恐怖ゆえに、人びとは軍事教練を怠ることなく保ちつづけ、その分野で卓越した人物に栄誉を与えたのだ。
だが現代では、このような恐怖は、ほとんどの地域で消え失せている。征服された者は、たとえ殺されるとしても、それは少数だ。誰も長期間にわたって囚われの身とならず、捕虜は簡単に釈放される。都市は、たとえ何度となく反乱を繰り返しても、取り壊されることがない。人びとの財産は手がつけられぬままで、誰もが恐れる最悪な事態は賠償金くらいのものだ。だから人びとは、軍令に服することも、一貫して軍役に励むことも望まない。」

『戦争の技術』p.103.

軍事の目的=会戦

マキァヴェッリは軍事作戦の主目的を会戦に置いている。

「戦争を為そうとする者の目的とは、広々とした戦場であらゆる敵とわたりあうこと、そして会戦に勝利することだ。」

『戦争の技術』p.33.

「軍事規律に脈打つすべての努力は、敵との会戦に万端を期すためにある、会戦によって勝ち戦さとなるか、負け戦さとなるかどうかが総指揮官の目指すべき目的なのだ。つまるところ、会戦に向けてよりよく自軍を整備できた者、よりよく規律立てた者が、この会戦に優位を占め、またそれに打ち勝つことを待ち望み得る。」

『戦争の技術』p.236.

歩兵と騎兵

マキァヴェッリは騎兵より歩兵を重視する。

「兵士にも歩兵と騎兵の二種類ある以上、歩兵は周辺農村地域(コンタード)から、騎兵は市街区から選ぶのがよかろう。」

『戦争の技術』p.37.

「したがってわたしの結論は、優秀な歩兵ならば、ただ騎兵に抵抗できるばかりではなく、歩兵を恐れもしないということ、これは、幾度となく述べたように、武器と隊列編成から生ずるものなのだ。」

『戦争の技術』p.68-69.

「わたしが言いたいのは、歩兵よりも騎兵を尊重する共和国であれ王国であれ、それは常に弱体であって、現代のイタリアのように、ことごとく破滅にさらされるということ、イタリアが外国勢の略奪、破壊、侵略を受けたのは、何よりも歩兵軍を蔑ろにして、自国の兵士をすべて騎兵に絞り込んだ過ちにあるのだ。むろん騎兵を備える必要はある。しかし、自国軍の中の第一ではなく第二の拠り所としてであり、というのも、斥候に出るにも、敵地を駆け抜けて破壊するにも、満を持す敵軍の神経を消耗させるにも、敵の糧道を断ち切るにも、必要かつ有効この上ないからだ。しかし、戦争の要であり、隊列編制をする当の目的ともなる会戦や野戦ということになると、騎兵は戦場で果たす他の何事にも増して、撃破できた敵を追跡するのに役立つのであって、歩兵の威力に較べれば、はるかに劣るものなのだ。」

『戦争の技術』p.70-71.

大砲の評価

マキァヴェッリは大砲の威力に対しては高い評価を与えている。
ただし、大砲の使い所などを考慮して、全体的な評価には留保がなされている。

「さらに諸君が言われたのは、この〔大砲という〕道具のすさまじさに関連して、多くの人びとが古代の武器や編制方式では意味をなさないと判断しているという点だ。そうだとすると、現代人は、大砲に対して有効な武器や編制を発見してしまったかのようだ。もし諸君がこれをご存じなら、それをわたしに説明してくれるとありがたい。というのも、わたしは今までそれについて何も見ていないし、発見できるとも思わないから。」

『戦争の技術』p.130.

「ある都市をして、その防衛に当たる者が新たに濠や防塁で囲まれた避難場所を作ったところで、今日では誰も強固とは呼ばないからだ。大砲の威力といったらそれはすさまじいわけで、壁や防塁の部分的な警備にだけ頼る者は失敗することになる。」

『戦争の技術』p.245.

「(会戦に赴く)指揮官たちは自軍を守る手段を見出せないのだから、大砲の被害をより少なくする手立てを見つけなければならない。それには、すばやく敵の大砲を奪取する以外に方法はない。」

『戦争の技術』p.127.

「白兵戦になれば、大砲はもう無用の長物となってしまう。」

『戦争の技術』p.130.

小銃の軽視

マキァヴェッリにおいて、歩兵とは小銃兵のことではない。
同じ火器でも、大砲とは異なり、小銃への評価は極めて低い。

「火打石弓銃は、戦争のほとんどの局面ではあまり役に立たぬけれども、次のことについては効果絶大だ。すなわち、地域住民の度肝を抜き、その連中が見守っていた通路から彼らを一掃するためにある。」

『戦争の技術』p.106.


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