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「赤毛のアン」(原作)が わたしには、ほど良い理由 - 大切な人への自己犠牲なのか?

アンの決断とことば


多くの少女たちが「赤毛のアン」と頭の中で友だちになり、大人になってもずっと傍らにいる分身のような存在ではないでしょうか。日本で言えば明治時代あたりの物語が今もわたしに希望と力強さを与えてくれます。なぜなのかを改めて考えてみます。

わたしは初めての「赤毛のアン」(L. M. モンゴメリ氏著/村岡花子氏訳)の本を今のスマホのように持ち歩いていて、もちろん「世界名作劇場 赤毛のアン(アニメ)」も大切に観ていました。(ストーリー全体や登場人物のご紹介は割愛します)

しかし第一作「赤毛のアン」以降の作品には本でも映画でも想い入れが持てません。モンゴメリ氏の構想にあったのは第一作だけだったからこそ、あのアンの希望と力強さに満ちた最後のことばが書けたのだと思うからです。

まず、大人になっても自分の人生経験や心情や感受性と重なり、いつの間にか道しるべになっているアンのことばを「世界名作劇場 赤毛のアン」最終回からご紹介させてください。

自分の部屋の窓辺に座り、ステラとステイシー先生への手紙を書くアン。マシュウ(養父)を亡くし、財産を失い、大学進学という夢まで断たれたのにもかかわらず、アンのことばには未来への希望と力強さが輝いています。

信頼と楽観。

わたしの道しるべのことばとは:

「私の地平線は、クイーン学院からこのグリーンゲイブルズに帰ってきた夜から見れば、極端に狭まってしまったのかもしれません。しかし、たとえ私の足元に敷かれた道がどんなに狭くても、この道にはきっと静かな幸せの花が咲いているに違いないと思います。…真剣な仕事と、立派な抱負と、好ましい友情を手に入れる喜びが私を待っています。」

「本当に、道にはいつでも曲り角があるものですね。新たな角を曲がった時、その先に何を見出すか。私はそこに希望と夢を託してこの決断をしたつもりでした。…でも、狭いように見えるこの道を、曲がりくねりながらゆっくりと歩み始めた時、広い地平線に向かってひたすら走り続けていた頃に比べ、まわりの美しいものや、人の情けに触れることが、多くなったような気がするのです。」

「無論、広い地平線の彼方にそびえたつ高い山を忘れてしまったわけではありませんし、何ものも、持って生まれた空想の力や、夢の理想世界を私から奪い取ることはできません。でも私は今、何の後悔もなく、安らぎに満ちてこの世の素晴らしさを褒め称えることができます。
…ブラウニングのあの一節のように。」
「神は天にいまし すべて世は事もなし。」

「世界名作劇場 赤毛のアン」最終回から


赤毛のアン自室イメージ画像
アンの部屋(イメージ)


物語の結末がわたしにはほど良い理由(わけ)


あれほど努力と精神力の強さ、やり抜く力で超難関の大学奨学金を獲得したにもかかわらず、アンが大学進学の夢を断念して現実を受け入れる結末は、皆さんにとっては衝撃的だったでしょうか?

わたしには不思議と自然にアンの決断を受け入れられました。        もしわたしがアンの状況にいれば揺らぎはするが同じ決断をするでしょう。

自分の経験からも人生は思い通りにはいかないもの。折り合いのつけ方を学びながら今の幸せを大切と感謝できることは何よりの幸せと思います。

アンは子どもだったわたしもびっくりして心配するほど想像力が枠からはみ出していたけれど、時には厳しい指導や躾はあるもののマリラ(養母)とマシュウから無条件に受け入れられ、愛され、初めての安全・安心の場と時間を味わえる喜びからアンは想像力や夢と現実との折り合いをきちんとできるよう成長できました。

例えば、勉強においても自分の苦手を現実的に客観的に見ることができ、少しずつ努力し、改善していく術を身につけていました。

周囲に惑わされず、今ある幸せを大切に誇りにしていました。

儚いような、壊れそうな、弱い(立場の)アンから力強さが見えるのです。

マリラのために大学進学を断念するアン。自己犠牲でしょうか。     アンのために近くて便利は職場を譲るギルバート。自己犠牲でしょうか。


「赤毛のアン」でマシューが死んでしまうのはたいへん残念なことだ、とみなさん申されます。もちろんわたしも残念です。もしもう一度この作品を書きなおすことがあれば、マシューが後五、六年は生きるようにしましょう。でも「アン」を書いたときは、マシューは死ななくてはならないと作者のわたしは考えたのです。育ての親マシューの死によって、アンは自己犠牲を強いられることになる。そういう必然性がなくてはならない」

『険しい道 モンゴメリ自伝』L.M.モンゴメリ氏著、山口昌子氏訳/グーテンベルク21


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お化けの森 プリンスエドワード島

         

目の具合が半年のうちに失明の危険があるほど深刻な状態と町の医者から診断を受けてマリラが帰ってきた晩。想定外のことが次々と押し寄せるなか、アンは自分の部屋の窓辺に腰かけ、アヴォンリーに戻った翌晩の、「希望とよろこびにあふれ、未来はばら色に輝いていた」瞬間を思い出します。      涙と重苦しい心を抱え、あの時からもう何年も経ったかのように感じられたのです。
ところが、しだいにアンの唇には微笑みが浮かんできます。心には平和が訪れ、自分のすべきことがはっきりと見えてきたのです。「これを避けず勇敢にそれを迎えて生涯の友としよう」とアンは決心します。         それから2、3日後、マリラに大学進学を止めて教師になることを告げます。

(原作/村岡花子氏訳から抜粋)


わたしには、アンは大学に行くことよりマリラとともに居ることの方が心に平和が訪れるところに我がことのように共感できます。           マシュウとマリラとの愛に満ちた穏やかな生活は努力だけでは手に入らないのをアンは身をもって自覚していたのではないかと思います。         ギルバートも恩着せがましくなく相手のために一番を考えて無償の行為を与えることがやはり彼には自分の心に正直なのではないかと想像します。

二人とも「自己犠牲」というより、自分の主体性をもって、自分で選択し、決断し、その責任を全うします。とてもエネルギーのいることですが、揺らぎはあるもののこの先に「後悔」により苦しむことは考えにくいでしょう。

今のわたしにも相手を想うことが、ケアすることが、即「自己犠牲」とは結びつきにくいのです。絶えず同じような決断を下すとは限らないでしょうが、まず自分は主体性をもってどちらの選択が自分の心や想いに正直か、後悔しないか、心が安静でいられるかと考えるのではないかと。

「赤毛のアン」を今も親しみと敬愛をもって大切にできるのは、アンの決断と希望を忘れない前向きなことばがわたしの自らの経験、心情や感受性と重なり、アンを通して自分を見ているようななつかしさと自己肯定感や困難を乗り越えられる自己効力感を覚えられるからではないかと思います。


キューガーデン (2)
マシュウが大切にしていた祖国のバラ、キューガーデン

     

あとがき


ダイアリー式メンタリングでのメンティの方たちのご相談の背景には、老親の介護や家族のケアの問題があるケースが少なくありません。主体性云々より選択の余地もあまりなく、有形無形にいろいろなことを諦めなければならない方たちの現実は厳しい。 

ただ願うことは、このようなケースのメンティの方たちが自己犠牲的なものではなく、主体的に構築した家族を初め周囲などとの関係性の中で希望を失わず、自分を表現し自己実現していけるような環境とエネルギーを整えられる社会にあって欲しいです。そのために自分は何ができるかまだまだ道半ばです。積み重ねて、積み重ねて。一つひとつ。信頼と楽観とともに。

with all of my thanks and friendship


用語の説明


・メンター=人が学び、成長するためのアドバイザーでありカウンセラー

・メンタリング=タスクの熟達に重点を置くと同時に、仕事面でのサポートを提供していたとしても単に業務上のことだけではなく、メンティの学習能力が向上するように、私的な側面との相関的な点にも双方に重点を置きます。(R.B.ディルツ氏)

・メンティ=メンタリングを受ける人(ご相談者)



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