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道の系譜学 あるいは「民族浄化」の記憶

「潮流詩派」掲載作品  202号作品 [詩篇]  2000年頃創作

嘗て見たこともない村外れの道端に佇む私に

一つの記憶が呼びかけていた 

やがて私はこの道を想い起こす 

未だ一言も発声できなかった頃 

確かに

未だ生まれてさえいなかった「私」にこの道を教えた者がいた

村外れの曲がり角で

今私が佇んでいるこの方向へと

未だ生まれてさえいなかった「私」を誘った者が

確かにそこに誰かがいたのだ

この生存に初めて方向を植え付け

その方向に忘れ難い或る感情を染み込ませた者

その時

一つの始まりと終わりが獲得されたのだ

それにしても

私が今この道を辿ろうとするのは一体何故なのか? 

或る者たちはこの探究の過程で

「民族の記憶」と呼ばれるものへと巧みに誘導され

到る所で血塗れの殺戮を繰り返しながら

「国家」と呼ばれる幻想を引き裂いていく 

彼らは叫ぶだろう

「この道は国家と呼ばれるものよりも古い!」と 

今は独りでこの道を歩き続けることは危険だ 

(ほら お前にも見えるはずだ 

 すぐそこの検問所で 

 浄化されるおまえ自身の姿が)

だが私はあくまでもこの道を辿ろうとする 

それでも 

いつかどこかで 

私はあなたと出逢うに違いない 

この永い殺戮の果てに

だがそれは

(あなたは見届けるだろうか)

最早いつでも そしてどこでもないのだ…


追記

以上の作品のオリジナルは90年代半ば頃に書かれた散文草稿『ゼロ-アルファ』のごく一断片である。後に一部改変し散文詩形式にして詩誌「潮流詩派」に掲載された。本作品はその散文詩をあらためて詩作品に変換したものである。なおこの作品を創作する上でボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が念頭にあったが必ずしもそれはメインの素材ではない。上記「検問所」の記述には「東欧革命」当時(ベルリンの壁崩壊直後)友人G氏(後に某国に移住した)と二人で東ベルリンから「チェックポイントチャーリー」を通過して西ベルリンに到達した経験の記憶が生かされている。既に黄昏だった。私たち二人はモスクワシェレメチェボ空港でもスパイ容疑で銃を装備した兵士に尋問されていた。チェックポイントチャーリー通過には咄嗟に差し出した当時の最高級ホテル『パラストホテル』のレセプションカードが役立った。これがなかったら(例えばチェックアウト後当然の様に捨てていたら)私たちは憲兵に拘束されていたかもしれない。私たちが旅しながら滞在していた当時の東欧やソ連(モスクワ)ではそういった事態は日常だった。ベルリン自由大学の壁に埋め込まれた盗聴器は壁とともに破壊除去されていたが。






パラストホテルの画像



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