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「葬送と再生 <第三の人生>」 母のエッセイ 『戦争、そして今――あの日々を、一人の女性が生きぬいた』 より

 葬儀から二ヵ月ほど経った。由紀子が私の招きに応じて、我が家を訪れた。迎えに行ったバス停の近くで、向こうからにこにこと手を振る様子に私は心底ほっとした。明るい表情だった。

 今までこれほど多くのことを話しただろうかと思えるほど、夜遅くまで二人で語り合った。二日目、急に思い立って彼女と、夫と私の三人でちょっとしたピクニックに出かけた。残りご飯を急いで握ってお握りを作り、水筒と有り合わせのお菓子と果物をリュックサックに詰めた。行き先は、片道歩いて四、五十分ほどの広くて美しい自然公園である。里山の下の一本道を三人でゆっくり歩いた。もともと歩くのが好きな由紀子は心底楽しそうだった。

 十二月半ばとも思えない温かい日で、風もなく絶好のピクニック日和。公園内の木々は殆ど裸木だったが、池の畔には、まだ鮮やかな紅葉が何本か水に影を落していた。下の池には可愛いい水鳥が水に潜ったり、浮かんだり、泳いだり。動物好きの由紀子を喜ばせていた。広い公園内は季節外れのためか、あたりに人影はまったくなく、三人だけの為のようなこの空間。広くて静かで、心が落ち着いた。芝生にビニールを敷いてお弁当にしたが、残りご飯でつくったお握りがなんと美味しかったことだろう。あまりに美味しく思わず三人で顔を見合わせて笑ってしまった。「おいしいねー」「本当に」、「楽しいねー」「まったく」。

 まるで子供に帰ったような楽しい時間だった。幸せとはなにか、私は心の中でしみじみと思った。

 そのとき初めて園内に人の姿を見た。二人連れの中年の男女が脇を通り過ぎた。私たちににっこりと笑いかけてきた。こちらもにっこりと笑い返した。

「きっと、年寄りが三人、誰もいない公園の芝生で、お握りなどおいしそうに食べている様子が、なにか場違いで季節外れで可笑しかったのでしょうね」

と話し合ったが、本当に楽しいひと時だった。きっと他人が見ても楽しそうに見えたのだろう。由紀子も暗い様子はまったくなく元気そのものだった。思いつきで来たが、ここへ来て良かったと心底思った。自然とはいかに人の心を癒してくれるか、私はこの時心から思った。

 その夜、二人で布団を並べて寝た。由紀子は昼間歩いた疲れも出たのか、湯上がり後、あっと言う間に、すやすやと安らかな寝息を立てて寝入ってしまった。

 自然公園からの帰途、田圃のあぜ道を歩きながら、彼女が語った言葉が忘れられない。

「これから私の第三の人生が始まるの。夫のいない一人だけの人生が……。子育てと教職に励んだ三十年を第一の人生とするなら、退職後、夫と二人、車で各地を旅して回った思い出深い二十年間が私の第二の人生。今私は一人になった。寂しいけれど生きていかなければならない。でも誰からも束縛されない第三の人生のはじまり」

「そうね、でも貴女はまだ健康。あと十年か二十年は元気で生きるでしょう。その長い時間をどのように生きるかが問題ね」 

 ちょっときつい言葉と思ったが私が言った。

「そうなの。私も今その事を毎日真剣に考えているの」

 茶色の切り株だけが並んでいる殺風景な田圃(たんぼ)に、なんという鳥だろうか。一羽の白い鳥がしきりに落穂拾いをしている。由紀子はその姿に目をやりながら、ゆっくりと言った。

「あまり焦ることはないわ。冬の間はゆっくり家にいてあの人の冥福を祈って過ごせばいいんじゃないの。貴女も心の癒しの時が必要よ」

 私は前のきつい言葉を取り消すような気持ちで言った。

 しっかり者で努力家の由紀子のこと。これからも賢く生きていくことだろう。

 三日間の滞在を終えて家に帰るとき、由紀子は明るい顔で「じゃー、またね」と手を振った。我が家でのこの三日間、いくらか彼女の心の慰めになっただろうか。そうあればよいと心から願いながら、「元気でね。また来てね」と、私も思い切り手を振って彼女に応えた。

二〇〇五年六月二九日 執筆



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