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『ゼロ-アルファ――<出来事>のために』第一部断片21

◆一方、ミロの親回路のケア・プログラムに連結された第十三世代モニタ―・ムカデ[『ファクトリ―・ヨゼフィ―ヌ』製作ただし《C級植民地仕様》]が、《超-溶融・発声-舞踏回路》に調整配置されたままになっているミロの親回路にいわゆる反-処方箋を歌いながら贈り与える。(そのきわめて古典的なタイトルは、“命令とは〈何〉か……”)

『――いわばありふれた時間と空間。例えば、〈ここ〉で〈今日〉彼女、あるいは彼に会う。約束。そして、突然の没落。いわばありふれた出来事。日々の生活。話す。(あるいは、ほとんど話さない。)歩く。(あるいは、ほとんど歩かない。)食べる。(あるいは、ほとんど食べない。) 寝る。(あるいは、ほとんど寝ない。)簡単なゲ―ムと難しいゲ―ム。当たり前。とても退屈。いわばありふれた状況が没落することは、いわばありふれたことである。いわばありふれた……。例えば、命令に従うということがそうだ。(だがそれにしても、かつて誰かが言っていたが、「我々が命令を下す時、その命令の望んでいる究極のものは、表現されないままでいなければならないかの様だ。命令とその遵守との間には依然として裂け目があるのだから。――ウィトゲンシュタイン」 ほとんど、すべてが盲目である。そもそもこの〈誰か〉自身が、命令に従わない生徒を殴ったことがもとで小学校の教師をやめる羽目に陥っているのだ。今思えば、鬼助はこの秘められた盲目の領域へとばく進し、あの微笑み親切回収という最悪の罠を自らの命と引き替えに引き裂いたのだった。まさに、綱渡り、訴訟=転落、高貴さに満ちた永遠回帰への歩みと言っていいだろう。ついでに言えば、ミロの親回路と鬼助のやり取りは、そのスタ―トからして次の様なものだったのだ。

「――〈お前〉は一体〈誰〉なのか? ――〈我輩〉は、〈猫〉である。」) 

さて、この命令に従うということだが、例えば他人が話したことを聞き、あるいは自分自身に密かに(心の中で)こうしようと話しかけ、その通りに動く。頭の中に思い浮かんだ言葉を、その通りに紙に書く。ミロの親回路が次々に吐き出す指令を把握し、その通りに……。等々。――時空連続体の構成。日々の生活の前提である。「もし、このことが成り立たなければ、《我々》の生活は崩壊してしまうではないか!」 だが、鬼助はもういない。にもかかわらず、皮肉にもこの《変換跡地界わい》(それは我々の世界そのものだ)において、今や鬼助の〈分身=X〉はほとんど無際限に増殖し始めているのだ……。可愛いミロの親回路よ。準備はいいかね?……じっと足をさわる。』

よく見ると、モニタ―・ムカデの《総合処方回路》をさらにモニタ―するモニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルス『《大いなる現実》に抱かれながら落日を眺めるニ―チェの傍らをなぜか通り過ぎて』が、一人の伝説の古代詩人のものと今に伝えられる《触発ファクタ―》を(家庭管理の時間の後でセットされることが通例の)『やっと訪れた世界の落日に臨むガムランの夕べ』でいつまでも繰り返していた。
       
   『咳をしても一人
                       ―――尾崎放哉』
 
◆実は今も生き延びていたあの鬼助のもう一つの告白
 ……これは少なくとも一人の園児(つまり〈私〉)が内密に知っている〈かろうじて事実〉なのだが、このモニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスには、それ自身の《総合処方モニタ―回路》にごく稀に混入する《アンチ処方ウイルス》をその都度完全に殺菌=不活性化するという問題解決ステップのネットワ―クをモニタ―し、それによってその都度新たなル―ルを獲得していく《究極モニタ―・メソッド》[通称『モニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスについて何も言いたくない』]が組み込まれている。《アンチ処方ウイルス》の突発的な出現という予測不可能な〈出来事〉に直面したモニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスの《総合処方モニタ―回路》が、同じくすぐれて出来事的な問題解決を不可避的に迫られる結果既存のあらゆるル―ルの適用を否定する場合、この《究極モニタ―・メソッド》は、モニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスに対する[そして同時にモニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスのモニタ―・ムカデに対する⇒結局はモニタ―・ムカデのミロの親回路に対する]あらゆる言及プロセスの生成条件を封鎖してしまう新しいル―ルによって、《アンチ処方ウイルス》の感染プロセスそのものを滑稽なまでに無意味なものにしてしまうのである。今や、確かに《究極モニタ―・メソッド》はモニタリング・モニタ―・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスについて[そして同時にモニタリング・モニター・ムカデ・マイクロ・チップ・ウイルスはモニター・ムカデについて⇒結局モニター・ムカデはミロの親回路について]〈何〉も言いたくなかったのである。ところで、あるいは驚くべきことかも知れないが、この《究極モニター・メソッド》は、ミロの親回路に密かに組み込まれた《アンチ処方ウイルス》によってセットされる無数の《退屈解消回路》[『あのなつかしのナム・ジュン・パイクでさえジョン・ケージにハプニングを仕掛けられたのだから君にもきっとできる』]のほんの一つのバージョンに過ぎないのである。

◆ここで、引き出しのついたミロの親回路がいつもの睡眠の時間に入る。替わって、久々に登場したお正〈K〉が自ら飼育する映像機械『お正』が、短編アニメ切り張り細工『一人では咳もしない――真に怒れる人々』を上映。

ファースト・シーン。お正〈K〉がかねてから行き付けの疲労回復ゲーム・センター『正道』にて。真に怒れる人々(彼らは、最近リバイバルしたマサミチ・ゲーム・マシン・シリーズ『お正の道』に負け続けて料亭『エクシールお越しやす』の《最後の特別優待券》をどぶに捨てている)が『正道』の若女将の『お千代』に向かって叫ぶ。(……ここであえて付言するなら、実はこの『お千代』こそ、最近C級植民地用にファクトリーで何者かの「心と身体を変換して生産された」と言われるミロの親回路の〈生前の姿〉なのだというまことしやかな噂が最近流れ始めている。こうしてお千代は、ミロの親回路として、《我々》にとってよりありふれた形で言い換えるならあの『密緒』の〈分身=X〉として生まれ変わったと言うのである。やがて、誰かがお千代の光と闇の物語が語ることになるだろう。)
 
『――今こそ、《我々》が共有している(はずの)幸福な記憶と身体に感染する致死性ウイルスをすべて清掃=抹殺しよう! 《彼ら》がいる限り、《我々》の武装解除はあり得ない。《我々》の血みどろの戦いに終わりはないのだ。』
 
ラスト・シーン。真に怒れる人々が去り、残されたゲーム・オーバーのディスプレーには、なぜか次の励ましの言葉。(生前のお千代の「辞世の句」と言ってもいい。)

『青海原潮の八百重の八十国につぎて弘めよこの正道を
                         ―――平田篤胤』




以上の作品のオリジナルは90年代に書かれた散文草稿『ゼロ-アルファーー<出来事>のために』の一断片である(一部改訂)。



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