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「複眼の視点」で書く、とはどういうことか?

こんな経験、皆さんももっていますよね?

自分が良かれと思ってやったら、相手にとってはそうでもなかったこと(最悪の場合は「迷惑」)。その逆もまたしかり。

私にもあります。

少しでも魅力的な記事を書こうと取材相手に一生懸命質問していたら、「いい加減にしろ」と殴られたこと。お金を請求してくる人も。

仲良くなろうと海外の取材先へお土産を持っていったら、「メディアからのお土産は受け取れない。わいろのようになってしまうから」と断られたこと。ちなみに逆のパターンもあって、「お土産、それなの?」と日本人の取材コーディネーターからディスられたことも。

ストリートチルドレンにお金をあげるのは教育上良くないと勝手に思い込んでいたが、あるときお金を渡してみた。するとその子お金をはお金をギュッと握りしめて嬉しそうに母親のもとへ走っていったこと。

例を挙げればキリがないですよね。

物事は、どの視点に立つかで見え方は大きく変わります。だとすれば、いろんな視点から途上国を見てみようよ、というのが、ganasが推奨する「複眼の視点」の意義。そのほうが「見えにくいことが見えたり」して発見があるからです。

たとえば「海」という視点で考えてみます。もっと狭めると、海(mar、mer)という単語が、スペイン語(ポルトガル語も)では「男性名詞」なのに、フランス語では「女性名詞」という視点。

この違いを起点に掘り下げてみます。複眼の視点でエッセーを書く際のネタ出しの一例として。

まず、どうしてスペイン語とフランス語で海が男性名詞になったり、女性名詞になったりするのか。

その理由を考えてみました。想像するに、スペイン人(ポルトガル人も)にとって海とは広大な大西洋を指し、そこに「男性性」を感じたのでしょう。古い言い方をするならば「男のロマン」。未知の世界。冒険の二文字もしっくりきます。

対照的にフランス人にとって海とはイギリス海峡のイメージが強いのかもしれません(詳しい方、教えてください!)。大海ではないため、荒々しさよりもむしろ「安らぎ」。対岸にはイギリスもあるので、先が見える安心感。だとすればそこに「女性性」を感じたとしても不思議ではありません。

話が変わって、15世紀半ばに幕を開けた大航海時代。先陣を切って海を渡ったのはポルトガルであり、スペインでした。

スペインからは、コンキスタドールと呼ばれる征服者がこぞってアメリカ大陸に渡り、「新大陸」(スペイン人の視点からみれば、まさに「未知の世界」というネーミング)で富を漁りまくりました。一攫千金を夢見て。ラテンアメリカでは、黄金を意味するスペイン語「dorado」の名前がついた地名はいまも各地に残っています。

先住民(この言い方もスペイン人の視点)からすれば、勝手に入ってこられたうえに、富を奪われ、殺される(疫病も含め)。犠牲者の数は数千万人ともいわれます。残虐の極み。ここらへんの話は、ドミニコ会のスペイン人宣教師ラス・カサスが書いた本「インディアスの破壊についての簡潔な報告」に詳しいのでご一読を。

対象的にフランス人はおそらく、そこまで大量に西アフリカに渡らなかったし、直接的な残虐行為はそれほど働かなかったかもしれません。奴隷貿易はあったにしろ、スペイン人のようなレベルで現地の人を殺害していない気がするのです(もちろん奴隷貿易は極悪)。混血の人もラテンアメリカのように多くありません。

両国の違いは言うまでもなく、海が男性名詞か女性名詞か、だけでは語れません。それは百も承知。

現実的な理由としてよく挙げられるのが、イベリア半島の端っこに位置するスペイン(やポルトガル)は地中海貿易(東方貿易)の恩恵をあまり受けられなかったこと、それも手伝ってイスラム教徒を追い払った(レコンキスタ)あとの勢力をそのままアメリカ大陸に向かわせたことです。

ただ仮に現実的な理由がそうだとしても、「海から見た国民性」に思いを馳せてみるのもありなのでは。そのほうがエッセーらしいですし、書き手としての自分も出せます。

さて大航海時代が終わり、大半の国が独立したいま、旧スペイン領と旧フランス領はどうなったのか。違いは山ほどありますが、嫌でも目につくのが治安の良し悪しです。西アフリカは治安が良いのに、ラテンアメリカ(旧スペイン領の代表格)はなぜ、あんなに危ないのか、殺人が横行するのか。世界の殺人率ランキングをみても上位を占めるのはラテンアメリカ諸国ばかり。ホンジュラス、ベネズエラ、エルサルバドル‥‥。

ちなみに東南アジアの旧スペイン領であるフィリピンも、とりわけマニラの一部は東南アジアの中でみれば治安は最悪の部類に入ります。

私にはどうしても、治安の悪さは大航海時代の名残に映るのです。コンキスタドール(征服者)からすれば先住民の命はドラド(黄金)よりも軽かった。そういった差別感情、支配する側とされる側の根強い格差、コツコツ働くのではなく一攫千金を安易に求める風潮――などが社会に定着しているかのような。先住民が殺されるというニュースは、悲しいかな、いまでも耳にします。

こういった不条理を覆そうとする革命家も同時に旧スペイン領(とくにラテンアメリカ)では多く出してきました。シモン・ボリーバル(ベネズエラ人)に始まり、エミリアーノ・サパタ(メキシコ人)、アウグスト・セサル・サンディーノ(ニカラグア人)、ホセ・マルティ(キューバ人)、フィデル・カストロ(キューバ人)、チェ・ゲバラ(アルゼンチン人)ら錚々たる顔ぶれ。

彼らの影響は旧スペイン領以外でも絶大です。なかでもゲバラはコンゴ民主共和国(フランス語圏の旧ベルギー領)に渡ってまで革命を試みました(結果は失敗)。西アフリカのブルキナファソ(旧フランス領)で社会改革を進めたトーマス・サンカラは「アフリカのゲバラ」の異名をもちます。

猛々しい革命。その単語(revolución、révolution)はスペイン語でもフランス語でも、男性名詞かと思いきや女性名詞です。上で挙げた革命家は全員男性なのに。

と、ここまで複眼の視点で思考を巡らせてみました。「エッセー」を書くことを念頭に置いて掘り下げたので、新聞記事のようなしっかりとしたエビデンスはありません。一個人の感想に近いレベル。だとしても、ふつうのブログ記事(これも感想です)とは一味も二味も違うと思いませんか。

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ちなみに、今回の視点を意識したきっかけとなった出来事は、ロシアのウクライナ侵攻です。連日のニュースを見るにつけ、ロシア人はなぜ、“きょうだい国”の人に対してこんな残虐な仕打ちができるのだろうと不思議に感じたことでした。

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