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本の感想を月に二回くらい書こうと思っています

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最近の記事

比喩と直観

「事実と真実とは何が違うのか」ということを昔尋ねられたことがある。今回読んだのは霜山徳爾 著『人間の詩と真実――その心理学的考察』(中公新書)なのだが、読後にそんなことを思い出した。 端的にいえば、本書の主題は「人間とは何か」という問いである。ならば人間学の本かというと、少し趣が違う。言うなれば、本書で行われているのは哲学、文学、宗教など様々な領野を渉猟しながら、著者の臨床心理学者としての知見を交えつつ「生きている人間」を捉えようとする試みである。 本書の議論を参考にしながら

    • 語が先か、文が先か

      前回プラトンの『テアイテトス』(光文社古典新訳文庫)を読んだのだが、解説の中で訳者の渡辺邦夫は母語習得における「文の一次性」という現代哲学的な論点が『テアイテトス』において提出されていると述べていた(同書465頁)。 ここら辺の話がピンとこなかったのだが、参考文献として野矢茂樹の『哲学の謎』(講談社現代新書)が紹介されていた。なら読んでみよう、というのが今日の話だ。 本書は対話形式で書かれており、話し言葉で議論が展開されていくユニークな哲学入門書である。本稿では7章「意味の在

      • 知識とロゴス

        プラトンの『テアイテトス』を前から読んでみたかった。今回は光文社古典新訳文庫の渡辺邦夫訳を読んだのだが、いざ読んでみると難しい。 主題は「知識とは何か」である。全体の流れとしては ①「知識とは知覚である」 ②「知識とは真の考えである」 ③「知識とは真の考えに説明規定が加わったものである」 という三つの説が検討され、そのすべてが否定されるというのがオチである。 議論の中で面白いテーマはたくさん出てくるのだが、本稿では③に関連して「ロゴスとは何か」ということを考えてみようと思う。

        • 認識論と相対主義

          渡辺慧 著『知るということ――認識学序説』(ちくま学芸文庫)を読んだ。 伝統的な哲学の議論において、認識の問題は「認識論」と表記される。だが本書の表題にあるのは「認識学」だ。これは従来の認識論とは区別される、形而上学的な表現を排した数学的表現に基づく新しい認識の学を樹立しようという意図によるものだ。 白状すれば、本書を読むために必要な知識を私はもっていなかった。不勉強を晒すことになるが、私の理解を記録しようと思う。 難しい本を読む時は何か取っ掛かりを見つけるのがよい。今回は

        比喩と直観

          モンテーニュの温泉愛と死への眼差し

          宮下志郎 著『モンテーニュ 人生を旅するための7章』(岩波新書)を読んだ。欧米では『エセー』の選文集のような本が多くあるそうだが、本書はそれに準ずるような、いわば『エセー』の予告本となることを目して執筆されている。 まず「序章」でモンテーニュの生涯について触れ、以後7章に渡り『エセー』の本文を引用しながらモンテーニュの思想や生活が語られる。16世紀フランスの世相についても知ることができる。幕間にはコラムが挟まれるのだが、これもユニークで面白い。 そのコラムに書かれていた話な

          モンテーニュの温泉愛と死への眼差し

          存在のアナロギアについて

          はじめに アリストテレス哲学におけるアナロギアの用法に「プロス・ヘン(pros hen)」というものがある。Stanford Encyclopedia of Philosophy では“in relation to one”と訳されており、日本語でも出隆が「一つのものとの関係において」と訳している(岩波文庫『形而上学(上)』四巻二章(1)の訳注に詳しい〔349頁〕)。 プロス・ヘン的アナロギアに関する議論は中世のスコラ学において「帰属のアナロギア(analogia attr

          存在のアナロギアについて

          コスモロジーの形成と喪失

          月食を見ながら「何で私はこんなものを見ているのだ?」と思ったことがある。天体への関心。それはたとえば生活上の要請として暦法の制定や、信仰上の問題として自然崇拝の中にその根源を求めることができるかもしれない。 そんなことを考えて、一先ず星辰崇拝の本を探してみたのだがいい感じのものが見つからない。ならばアプローチを変えて占星術の本でも読んでみようかと思った。 今回読んだのは中山茂 著『西洋占星術――科学と魔術のあいだ』(講談社現代新書)。なんだか妖しげなタイトルだが、本書は科学

          コスモロジーの形成と喪失

          テクノロジーとテクネー

          新しい問題について考えるとき、問いの対象と同じくらいに問いを立てた動機が気になる。問題意識といってもよい。今日考えるのはいわゆる技術論についてなのだが、私としては「職業知識人はテクニテースだとこの前(ジャック・ルゴフの本を読んだ時に)考えたけれど、そもそもテクネーが何なのかうまく説明できないな」というくらいの気持ちでこの問いを始める。 今回読んだのはマルティン・ハイデガー 著、森一郎 編訳『技術とは何だろうか』(講談社学術文庫)。ハイデガーが技術について語る時、その問題意識は

          テクノロジーとテクネー

          存在と自己顕現

          イスラーム哲学について、私は何を知りたいのだろうか。たとえばアリストテレス哲学との関係だとか、アヴェロイズムとの関係だとか……どうも二次的な関心しかないように思える。だから、今回の話が何らかの変節になることを期待している。 井筒俊彦著『イスラーム哲学の原像』(岩波新書)を読んだ。西洋哲学史におけるイスラームだとか、そういうまどろっこしい話ではない。直球ど真ん中でイスラームの、神秘主義哲学における存在論の話である。 「神秘主義哲学」と一息で言ってしまったが、神秘主義と哲学と

          存在と自己顕現

          学問と労働

          中世哲学が苦手だ。苦手なのに気になってしまうので、私は中世コンプレックスなのかもしれない。今回読んだのはジャック・ルゴフ著、柏木英彦/三上朝造 訳『中世の知識人』(岩波新書)。ジャンルとしては哲学・思想の本なのだが、本書の狙いは歴史学的・社会学的なところにある。簡潔にいえば「西欧中世において職業知識人という新しい労働者が現れた」というのが本書の主題だ。 著者のジャック・ルゴフはフランスの歴史学者である。アナール学派に属する研究者なのだが、たぶん大事なことなのでまずはここから確

          学問と労働

          道と形而上学

          形而上学の「形而上」って『易経』由来だったよな……ところで『易経』って五経でよかったんだっけ?そんな気持ちで手に取ったのは竹内照夫著『四書五経入門』(平凡社ライブラリー)。初めて学ぶ分野である。ちなみに『易経』は五経で合っている。次からは自信をもって答えてもらいたい。 さて、「形而上」の由来についてだが正確に言い直そう。「形而上学」という言葉は『易経』の 「繋辞伝」を典拠とするもので、「形而上者謂之道、形而下者謂之器」(形より上のもの、これを道と言い、形より下のもの、これを

          道と形而上学

          哲学史が楽しい

          哲学史の勉強を久々にしていたら楽しい気分になったので、何か話そうと思う。今回読んだのは伊藤邦武著『物語 哲学の歴史』(中公新書)。だいたい300頁くらいの通史で、第一章で古代中国と古代インドに僅かに触れるが基本的には西洋哲学史の話である。 新書として初学者への配慮もされている本書だが、説明しようと思えばいくらでも長く書けるのが哲学史の本である。それを一冊にまとめようとすれば当然議論は圧縮されたものになり、内容的にも難しくなる。用語レベルの話でいえば、本書の場合「アプリオリ」

          哲学史が楽しい