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仮に地元の大学に進学していたら今頃どうなってたんだろう

僕は大学進学を機に、18歳の時に地元を離れた。

そこから4年間は京都で暮らし、自分とは全く異なるバックグラウンドを持つ人たちにたくさん出会った。

特に、都会出身の人たちの考え方は自分がもっているそれとは全く違っていて新鮮だった。

田舎で蓄えていた僕の常識をたくさん覆された4年間だった。


環境を変えるというのはすごく重要だ。

人は自分の周りにあるものから常識を形づくる。

別の場所では常識であることも、それに触れる機会がなければ自分の常識にはなりえない。

徐々にこんな風に思うようになっていった。


そんな僕だが、実はもともと都会に出る意志があるわけではなかった。

実際高校入学時は、地元の国立大学に行けたら十分だと思っていた。

勉強を続ける内に学力がかなり向上したので、高みを目指して京都大学へ入学しただけだった。

(もちろん勉強は死ぬほど頑張った)


でも結果として都会に出て本当によかった。

地元の国立大学に進学していた場合の自分を想像するとぞっとしてしまう。


自分と似たような人たちと4年間一緒に過ごすことになったのだろう。

すでにある常識の範疇で生活をし、視野が今ほど広がることはなかったのだろう。

そうして、公務員になるか地銀に就職するかで迷う人生になっていたのだろう。

地元の友達を見ていると、こんな風に思ってしまう。


一方で、そんな人生もいいなと思ってしまうこともある。

何も知らないというのは意外と幸せなことだ。

小さな子どもたちが楽しそうに生きているのは、なにも知らないからだ。

知らないから何も怖くないし、気にすることもない。

悩んで傷つくこともない。

そう考えると、狭い常識の中で生き続けるのは、賢い選択かもしれない。


しかし、そこから得られる幸せは限定的なものにすぎないと思う。

常識を拡大してくことによって、より大きな幸せの掴み方が見えてくるんだと思う。

その過程では、苦しいことも多々ある。

でも、この世に生を受けた以上は、より大きな幸せを求めたがるのが人間というものじゃないだろうか。


これからまだまだ長い人生。

僕はその中で色々な人に出会い、色々な場所に行き、常識をアップデートしながら生き続けていきたい。

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