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もしかするとウツはしばらく治る必要がない

タイトルを見て、「いやいや、バカなことを言わないで下さいよ!」
「ウツなんて、即刻治して職場復帰しなければまわりにすごい迷惑だし、立場的にもつらくなる」

確かに、それはその通りかもしれません。

うつ病者には相変わらずプレッシャーがかかっています。
ウツは、まず抜けたり治したりが当然という前提があります。
「セロトニンを浴びなければ」と
梅雨で太陽が8日連続でなかったらどうすればいいでしょう?

そりゃあ、学校や職場があるんだから当然でしょう?
家族にだって迷惑でしょう?
ウツはもちろん即刻治すべきです!……と
神経科医もほとんどそういう前提で対処しています。

まともに働いている人にとってウツとはせいぜい一週間以内に退治(?)しなければその人の人生の黒歴史になるといわんばかりです。

ウツは抜けなければならなかったんです。

最近、その前提にふと気が付きました。

そりゃ決まってるよ。
学校や職場に迷惑かかりぱなしだよ。


多分ですが
世界のレベルが上がりすぎたんだと思います。

新聞を読んでると、教職のウツが特に増えてるというはなしです。
教職って、昔は、あんちょこそのまま読んでる人にもできた部分(多少、誇張してますが)もあったと思います。
いま、中高年の教職者が、子供たちの事情についていくのは昔より大変でしょう。
そこへリモートみたいな環境も加わり
先生が40分以上ある(YouTube)動画をつくらねばいけない(特に大学教授など)シチュエーションも増えてるでしょう。
得手不得手はあるでしょうけど、苦手な人にはかなり地獄でしょう。

そんな状況でウツになっても
「社会の方がどうかしてる!」とは立場上なかなか言えません。

実際、素晴らしい動画配信をして事態を乗り切ってる先生もおられるからです。

「子供たちって今、動画から情報を得るのが当たり前だよ!」
いやいや、動画を享受する能力と、50分見て飽きない動画をつくる能力はまったく別ものです。
たとえば、IT得意のイケメン・美人教師と、IT苦手のハゲおやじ古典教師で、動画を作って子供たちにみてもらうのにどっちが有利でしょう?(学生は言うかもしれません、「ハゲのYouTube?見ないよ!声も気持ち悪いしね」
ただ、享受してるにすぎない子供たち(学生たち)にはそこまで思いが至らないかもしれません。

こどもたちに「やっぱルックスいけててIT得意な人がいいわよねぇ」という感情しか与えられなかったら、教育は失敗したといえるかもしれません。

いや、はなしがメチャクチャそれましたが
世界のレベルが上がりすぎているようです。

もう、多分、世界のほうがおかしいんだということを認めざるを得ない部分が半分はあるような気がします。

いまは、IT(ガジェット含む)や動画(作成・配信)が得意な人が正義な部分があります。
出遅れた中高年がその正義に迎合しています。
自分たちの正義が勝てる見通しがないのが明らかだからです。

あ、なんか、ウツのはなしというより、現代社会への憤りの文みたくなってしまいましたが
こんなミョーなことになってしまった現代社会で
ウツを性急に治すことの正当性はどのくらいあるのかな?

「ウツなんて即刻治せ!というか、そもそもなるな!」
というのは、主に社会の側の事情でしょう。

しかし、これだけ社会の方が複雑なことになってしまいますと
そもそもウツというのは、頑張って治す必要のあるものなのでしょうか?

あんたの言ってることは机上の理屈だろ?

職場に迷惑がかかってるのは耐えられないし
朝とか自殺したくなるくらい重い!
あんたが職場の課長さんだったら、貴重な戦力がウツでふたり職場を半年休んだら平然としていられるか?

う~ン、確かにそうですね。

僕の言ってることは今現在机上の理屈でしかないのかもしれません。

でも、ウツって、そんなに早く治したり抜けたりする必要がそもそもあんの?
って、そんなことをふと思ってしまいました。

いや、もちろん(社会)正義派に全否定されるんだろうけど……


(書き終わり)2022年9月7日午後20時17分

(あとがき)文中で「中高年が正義(動画配信の)に迎合して……」と書きましたが、別に、その年齢(中高年)の人が、動画配信を楽しんだり、そこに希望をもつことを非難してるわけじゃありません。
ただ、動画(配信)から全てを学んだりコミュニケーションしたりみたいな最近の人の風潮には疑問を感じることもあります。
たとえば、ある若い女性が「どの程度、どう胸の谷間をチラつかせればPVをより稼げるか」みたいなことばかりに聡くなって、胸の谷間ではPVなんか稼げない年齢になって、初めて自分に何かが欠けてたのに気づくのでは遅いなんてこともあるかもしれないし、動画ばかりによって、何かやお互いを理解することのマイナスはまだあまり明らかになってない部分もあると思います。
ただ、それは今回の文の主要要旨ではないので、これ以上触れないことにします。

(あとがき2)世界のほうがおかしいということを半分は認めざるを得ないのではないかと書きましたが、これも個人によってまったく感じ方は変わってくるでしょう。
社会において「益」の方を圧倒的に受けてると感じる個人であれば、社会のほうが半分はおかしいという意見にはまったく同意できないでしょう。
いっぽう、「益」も「損益」も受けてないと感じる人なら、社会がおかしいかおかしくないかみたいな問題にはあまり関心がないでしょう。
個人的幸福みたいな狭い世界が充足してればあとのことは気にならないかもしれません。
「損益」(あるいは「受苦」)のほうが圧倒的に大きければ、完全に自業自得でそうなってるとは思えない場合は、社会のほうがある程度間違ってるように感じられるでしょう。
こう感じられれば、最悪のケースでは犯罪者などに、よいほうにいけば政治運動家・革命家・政治ジャーナリストなどの可能性を帯びてるでしょう。
また、教職者が「動画配信」などをやるケースは、むしろその方が学生も教師も恩恵を受けられるケースもあるでしょう。
時代に合わせて変幻自在に自分を変えられる器用なほうがよいのか(素晴らしい適合者はそれ故、時代の欠陥が目に入らないという欠点がありますが)ある価値観や考えで筋を通そうとするのがよいのかは一概に言えません。

アラフィフで貯金もないのに月収10万円を割ってる派遣フリーターの自分は、環境に無理して適応する気もやや希薄なので、ウツもやや弱まりました。
「適応不全がどちらかといえばフツーじゃね?」
どこかにそんな気持ちが消えることはありません。

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