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下戸の家族はみな下戸か? 世界に広げよう 下戸の輪!

下戸の暮夜とは
夫なし、子は独立。
酒の飲めない40代が、ひとり過ごす昼夜を綴る生態エッセイです。

全くお酒を飲んだことがないのか?
と聞かれたら答えはもちろん「NO」

初めてお酒を飲んだのは、アルバイト先。
当時の大人はバブルに浮かれていたせいか、高校生アルバイトを飲み会に参加させたり、(関東から)常磐ハワイアンセンターへの社員旅行にも連れて行ってくれた。
宴で用意されるグラスには、大人も学生も分け隔てなく当然のようにお酒が注がれた。
初めてお酒を口にした時

自分が「飲めない人」

だということがすぐにわかった。
顔があっという間に赤くなり、しばらくすると気管が狭くなるように息苦しくなった。
当時アルバイト先には恋人もいた。

好きな人の前で「顔色が変わる」ということがとても恥ずかしかった。

「女の子はちょっとくらい赤くなる方がカワイイよ」
なーんて言う(なぐさめ?)人もいたけれど。
ちょっとじゃないよ?引いちゃうくらいよ??
1杯も飲みきっていないのに顔色だけで「飲み過ぎ」なんて言われちゃうんだから。

「練習すれば飲めるようになる。」
そういわれて飲めないお酒をたくさん飲んだ人もいると思う。
実際飲めるようになった人もいる・・のかな?けれどわたしは
みんながおいしいと言うお酒の味も、それとこれ同じ飲み物!?というくらいおいしいと思えず。
練習してまで不味いものを飲む理由が見つけられなかった。

「お酒は飲まない」

人生のだいぶ前半の方で見切りをつけたわたしは、新卒で入社した会社の歓迎会で「体質上一滴も飲めません。」と宣言した。
少しでも口を付けると「もっともっと」と言われるので
挨拶程度の飲酒も乾杯の飲酒も、お酌さえも「飲まないから注ぐタイミングがわかりません!」と、一切せず「ibitsuはそういうヤツ」というキャラクターを貫いた。

そんなわたしの家族がどうか・・と言えば

父・・80代の今も、家でも外でも毎日飲む。
母・・70代後半(だったかな?)、外食時は必ずワインか日本酒。
長姉・・毎日ビール。(今は発泡酒かな?)
次姉・・お酒を飲む店で働いていた。

末っ子のわたし・・下戸。

娘・・顔色変わらず。卒乳後の飲酒を楽しみにしていた。

結論。

下戸は遺伝ではない
(我が家の場合)

お酒が飲めたら良かったか?
と聞かれたら答えはもちろん「YES」

泳げないより泳げた方が良い。
音痴よりうまい方が良い。
勉強できないよりできた方が良い。
なんでもおいしく味わうことができれば、幸せを感じる瞬間は多いだろう。

お酒だけが「YES」ということではなく、できることの数は多い方が良い。
でももしも、もしもひとつだけ願いが叶うならそれは

今も昔も変わらずZUTTO・・・




お胸が大きくなりますように!


お酒より・・
人生変えちゃう夏かもね!

今宵は永井真理子と西田ひかるで〆

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5年前、恋人岬で鐘を鳴らす下戸と呑兵衛親父。

恋人岬までの道で迷子になり、コンビニエンスストアで「恋人岬どこ?」と聞くスキンヘッドのご老人とオーバーオールのおばさん。と、ケバい娘。
あの時の店員さん、さぞやびっくりしたことでしょう。


ではまた次回。
素面の夜に。


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