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大河ファンタジー小説『月獅』8   第1幕:第3章「森の民」(2)

第1章「白の森」<全文>は、こちらから、どうぞ。
第2章「天卵」<全文>は、こちらから、どうぞ。
前話(『月獅』7)は、こちらから、どうぞ。

第1幕「ルチル」

第3章「森の民」(2)

<あらすじ>
「白の森」を統べる白の森の王は、体躯が透明にすける白銀の大鹿だ。人は白の森に入ることはできない。唯一、心からの祈りが王に届けば、森は開かれる。ある晩、星が流れた。その一つが、エステ村領主の娘ルチルに宿り、ルチルは「天卵」を産む。天卵から生まれた者は、国を乱すとも、国をべるとも伝えられている。そのため、ルチルと天卵は王宮から狙われ、地下を通って白の森をめざす。六歳の夏に日射病で倒れたルチルは、白の森で介抱された過去をもつ。白の森の王がかつて地下に沈めたという伝説のルビ川には、侵入を阻む滝のカーテンが。ルチルの願いが届き、滝は開く。ルチルは荒れた白の森に驚く。六歳の夏にルチルを介抱してくれたミミナガアライグマを抱きしめようとすると、「病がうつっちまう」と逃げられた。森に何が起きているのか。

<登場人物>
ルチル‥‥‥エステ村領主の娘・天卵を産む。
シン‥‥‥‥森の民の末裔
ラピス‥‥‥森の民の末裔・シンの娘
ミミナガアライグマ‥‥日射病で倒れた六歳のルチルを介抱した。

「近づくんじゃないよ。病がうつっちまう」
 引きつった声が飛んできた。
 ルチルはその緊迫感に驚き、一歩を踏み出した体勢のまま固まった。そのときだ。
「ああ、動かないで。そのままでいてくれ」
 不意にのんびりとした声がかかり、ルチルは首だけを動かして目をみはった。男がひとり小さな子の手を引いて、川下から近づいて来る。白の森に人間? それも、子連れ? ルチルはとまどった。男はゆったりとした足取りで近づくと、懐から霧吹きを取り出し、ルチルの背中側から何かを吹きつけていく。正面にまわると、
「目と口を閉じて。両手をまっすぐ前に伸ばして」
 まるで体操を指導する口調で、ルチルに指示する。男の足もとで三歳ぐらいの子が取るべき姿勢を真似してみせる。
「そうそう。そのままだよ」
 しゅっと音がするたびに、ツンとした臭いが鼻腔を刺激する。固く目を閉じていても、消毒液を吹きかけられていることがわかった。
「申しわけないんだけどさ。さっきみたいにスカートをまくってくれないかな。ミミナガアライグマが触れたところを消毒しておきたいんだ。できるだけ見ないようにするから」
 ルチルにためらいはなかった。さっとスカートをまくりあげる。
 悪いね、と言いながら男は手早く霧吹きする。
「もういいよ」
 スカートを手放すと、低い位置でセルリアンブルーの目がルチルをとらえていた。深い海の色だ。ルチルが微笑みかけると、さっと男の背後に隠れる。だが、気になるのだろう。男の衣の裾をぎゅっとつかみながら、おそるおそる顔をのどかせる。小動物さながらの動きに、ルチルの口もとに笑みがこぼれる。
 しぜんと笑みが湧いたのなんて、いつ以来だろう。天卵を宿してからの日々、就寝中でさえ緊張していた。それが、ふっと解かれた気がした。
 銀の髪を後ろでひとつに結わえた男は、自分にしがみつく子の頭に大きな手を置く。子が見あげる。ただそれだけの光景が、ルチルの胸にあかりをともす。思わずキルトの上から卵にほおずりした。
 男は森を映したような緑の丈の長い上衣を腰紐でくくり、なめし革の編みあげブーツを履いていた。子どもも同じ緑のワンピースを着ている。だからだろうか。光の具合によっては、目を凝らさなければ森と同化して姿がわからなくなりそうだった。男の腰紐にはいくつも袋がぶら下げてあり、木彫りの鞘におさめたナイフも一挺さげていた。
「悪かったな。恥ずかしい思いをさせて」
 ルチルは首を振る。
「ふた月ほど前から、謎の病が毛ものたちの間で流行ってな。熱が出て咳き込むんだよ。彼らは人とちがって多少の熱くらいじゃ平気だが。喉がそうとう腫れてね。食事がとりづらいから、体力が落ちて弱る。というわけで、ちょっと待っててくれるか。診てくるから」
「お前も、ここで待ってろ」
 男はついて来ようとする子を手で制し、ミミナガアライグマがひそんでいる藪へと向かった。
 残された子は、ワンピースの裾を握って立ちつくす。
 弟妹の子守をしながら大きくなる村の子どもたちは、小さな子の扱いに慣れている。だが、領主の娘で一人っ子のルチルには、こんなときどうすればいいのかがわからなかった。
 しかたがないので、隣にそっと立つと。
「とと」
 うっかりすると風にまぎれそうな声をもらして、男のいる方角を指さす。
「やさしいお父様ね」
 ルチルがあいづちを打つと、こくんとうなずき、肺の空気を全身でしぼりだすように膝に両手をついて体を半分に折り、「ととー」と叫ぶ。
 男はふり返って手を振ると、ゆっくりとした歩調で戻って来た。
 腰にさげた袋のひとつから霧吹きを取り出して子に渡す。子が青い瞳を輝かせ、慣れた手つきで父親に消毒液を振りかけてまわる。
「おそらく人間に伝染うつることはないだろう。だが、油断はできない。それに、ルチル、君は天卵を育てなきゃならんからな」
 男はルチルの抱えている袋を指さす。
「どうして、わたしの名前と卵のことを知って……。それに、どうして人間が白の森に……」
 ルチルはとまどいと混乱を払うように、頭を大きく振る。
「ああ、失礼。自己紹介がまだだったな」
「おれは森の民の末裔のシン。そして、この子は娘でラピス。もうすぐ三つになる。森の民は、おれらでおしまいさ」
「森の……民?」
 そんな種族がいると聞いたことがない。『黎明の書』にも登場しない。学校でも教わらなかった。
「そんな民が、いるの?」
「知らないか。まあ、外の世界じゃ、おれたちの存在はタブーだからな」
「タブー? なぜ」
「うーん、どっから話せばいいんだ」
 シンは腕組みをして天をあおぐ。
「森のなりたち、この世界のなりたちにもかかわるからなぁ。一から話すと半日はかかる。それに、どこまで話していいかも、わかんねぇしな。まあ、早い話が、おれたちは居てはならない存在、消された存在、つまり存在自体が秘密なんだよ」
 それって、どういうこと? ルチルはますます混乱する。
 尋ねようとしたそのとき、背後から何かがぬっと現れた。質問を遮るかのような絶妙のタイミングだった。

(to be continued)

『月獅』9に続く→


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