見出し画像

小説『オールド・クロック・カフェ』 3杯め 「カマキリの夢」(5)

(1)から読む。
(2)から読む。
(3)から読む。
(4)から読む。

<あらすじ>
『不器用たちのやさしい風』で明るい脇役として登場した松尾晴樹。茨城県北部の日立市から夜通しバイクで駆けてきた晴樹は、『オールド・クロック・カフェ』にたどりつく。祇園祭の山鉾を模した30番の長刀鉾の柱時計に選ばれ、時のコーヒーを飲む。「時のコーヒー」が見せてくれたのは、恋人の由真との別れのシーンだった。由真は、「祇園祭のカマキリ」という謎の言葉を残して去って行く。晴樹は泰郎に背中を押され、由真に会いに蟷螂山町に向かう。
<登場人物>
茨城のライダー:松尾晴樹
晴樹の元恋人:由真 
   由真の子:ひろ  
カフェの常連客:泰郎  
 晴樹の元同僚:森本達也


* * Again   * *

 晴樹は泰郎が描いてくれた地図を頼りに、バイクを停めた清水の駐車場へ坂道をのぼる。「京都の夏の暑さはハンパじゃないよ」と由真から聞いてはいたけれど。陽ざしのキツさよりも、体にまとわりつく淀んだ熱気がたまらない。ねっとりとした液体の中を歩んでいるような心地がする。軒をつらねる店先をのぞきながら、由真と来た7年前を思い出していた。修学旅行生のように新選組の陣羽織を羽織ってはしゃいだ。遠ざかってしまった日を懐かしんでいると、隣の店から出てきた浴衣姿の女性とぶつかりそうになった。見あげると「きものレンタル 花結」と看板が出ている。ここで着せてもらうのか。隅田川の花火の夜、由真はじぶんでささっと着ていた。 

 清水坂の公営駐車場には、すでに駐車場へ入る車が列をなしていた。
 首筋の汗をぬぐって、ライダーズジャケットのジッパーをあげ、ヘルメットをかぶる。1300㏄の愛車「隼」にまたがりキーを回す。隼が目覚める音が振動となって伝わる。森本からもらった白い革のキーホルダーが小刻みに揺れだす。
 そうだ、LINEの返事、来てるんじゃね?

松尾、久しぶりだな。
もしかして、清水寺か? 俺は楽しくやってるよ。
復縁って、いいもんだな。
離れてたのが嘘みたいに、元どおりだよ。

 はぁ、うらやまし。復縁かぁ。俺の場合、玉砕でほぼ決まりだけどな。

 「バイク飛ばして茨城に帰ったらええだけやろ」泰郎の声が耳の奥でこだまする。クラッチレバーを握って、チェンジペダルを踏みこむ。ギアが入るゴトンという音がする。晴樹は覚悟を決めた。

 八坂神社の朱塗りの鳥居の前で左折して四条通りに入った。観光客が行き交う歩道が、視線の隅を流れていく。橋が見えた。鴨川か。ハザードを出して止まろうかと思ったけれど。やっと点火した決心までしぼんでしまいそうな気がして、こらえた。川からぬるい風がのそりとあがってくる。

 鴨川を越えると、さらに人が増えた。トラックの後ろを走っていたので見通しがきかないが、浴衣姿もちらほら見え、かなり混んでいるようすだ。
 コンコンチキチン、コンチキチン。コンコンチキチン‥‥。
 お囃子を模した放送が通りの両側からあふれてくる。

 トラックを追い越し、赤信号でひと息ついて、目を瞠った。
 反対車線の右奥に、突如、天に向かってそびえ建つ鉾が姿を現した。
 屋根の上にとんがり帽のような赤い円錐が乗っていて、その中心を藁の房飾りをつけた真木が貫きそそり立つ。はるか見あげる先端に長刀が天を仰いで刀身を光らせる。どこまでも高くのびる刃(やいば)。かなり低いアングルから見あげているのに、刃先が見えない。両側のビルで切り取られた空を突き、雲を刺し、青天を衝く。真木の両脇に横一文字に飾られている榊が、風にしなうように揺れていた。

 長刀鉾の傍らを駆け抜けると、すぐに南北に走る大通りに出た。ここが烏丸通りか。視界がひらけ、通りの向こうにいくつかの山鉾が威風を放っていた。弓のような三日月を頂く鉾が手前に見える。赤を基調とした絢爛な山鉾たちが、ビルに反射する夏の陽ざしを受け、足もとの喧噪をものともせず静かに鎮座している。雲がゆっくりと動く。透ける空がまぶしい。

「蟷螂山町は烏丸(からすま)より西、四条西洞院の北側なんやけどな」
「祭りの間は、西洞院通りは南向きの一方通行になるんや。せやから、四条通りからの右折がでけへん。烏丸で北に上がって、二筋めを左折して蛸薬師通りに入るとええわ。ややこしいけど、コの字型に迂回するんや」
 京都に不慣れな晴樹のために、泰郎は丁寧に説明する。

 泰郎が「目印にすると、ええ」と言っていた赤煉瓦と白い石造りの二階建ての洋館が見えた。屋上に青銅のドームがある。「ここはな、昔、銀行やったんや」高いビルに挟まれているけれど、風格があってひと目でわかった。その角で曲がって細い路地に入る。風景が一変した。
 黒く磨かれた格子が表を隠し、寸詰まりの低い二階に虫籠窓(むしこまど)をもつ京町家が、ビルのあいまに幾棟か歳月を背負って佇んでいる。ゆっくりと隼を走らせる。祭の喧噪すら忘れそうだ。

 少し広い通りに出た。ここが、西洞院通りか。
 隼の鼓動と、晴樹の胸の高鳴りが共振する。ハンドルを握る手に力が入る。由真に会えるだろうか。むせるような熱気に包まれているのに、指先から腕へ、背中へとしだいに体が冷えていく。 

 南に下ると、遠目に山鉾を飾る提灯が見えた。手前にテントが張られている。それが視界を遮り、カマキリは見えない。露店もけっこう出ている。スピードを落として蟷螂山の横をすり抜け、すぐ先で脇に寄せてエンジンを切った。ヘルメットをとり、振り返る。
 赤、緑、黄の三色幕が囲う台座の上に御所車が乗っている。その屋根の上に巨大なカマキリがいた。堂々たる巨躯だ。金の目玉がにらみをきかせる。背を斜めにあげ、鎌は胸の前で閉じている。あれが、動くのか。

「お、にいちゃん、ええバイクに乗ってんな。隼か」
 正面から見ようと隼から降りたところで、白髪が目立つ初老の男が話しかけてきた。カマキリの紋の入ったポロシャツに腕章をつけている。関係者だろうか。

「隼はええなぁ。このボディがたまらんわ」
 前に回ったり、膝を折って後ろから覗きこんだり。いちいち感心の声をあげながら子細にチェックする。
「最高時速300キロ超えの、世界最速バイク。ライダーの憧れやもんなぁ。乗り心地はどうや」
「最高っす。夜通し茨城から走って来たんですけど、直線はぐいぐい行けるし、気持ち良かったですよ」
 男は足回りやエンジンを腰をかがめ、なめるように見て回る。憧れのオモチャに魅入る子どものようだ。その気持ちは、晴樹にもよくわかる。
「好きなんですか、バイク」
「ああ。若いじぶんは乗り回してた。膝を痛めてから、乗ってへんけどな」
「ちょっと、乗ってみます?」
「お、ええんか」
「人が多いから、またぐだけですけど」
 男の顔が少年の顔になる。晴樹もつられて、笑みがこぼれる。

「カマキリが動くって聞いたんですけど」
「ああ、動くで。動かすのは宵山の今日、日が落ちてからや」
 男は隼にまたがったまま、カマキリを見あげて答える。
「隼も最高やけど、蟷螂のからくりも、みものやで」

「じぃじー。おみくじ、引くぅ」
 幼稚園児くらいの男の子が、駆け寄ってきた。祖父が隼にまたがっているのを見つけて、ぱぁっと顔を輝かせる。
「すご! でっかぁ! かっちょえー!!」
 隼の周りをぐるぐる周る。先ほどの男の動きを見ているようだ。
「ママのバイクより、でっかいなぁ」
 男の子が隼をなでる。
「こら、ひろ。汚い手でさわったら、あかんで」
「じぃじ。新しいバイク、買(こ)うたん?」
「ちゃう、ちゃう。その人のや」
 祖父が晴樹を指さすと、「ひろ」と呼ばれた男の子が、晴樹の前でぴょんぴょん跳ねる。
「じぃじだけ乗って、ずるいなぁ」
 切れ長の目が、晴樹を下から見つめる。
「乗りたい?」
「うん!」
 大きく首を縦に振る。抱きあげてシートの前方に座らせ、腰をしっかりと支えてやる。
「ハンドルに手が届くか?」
「うん、もうちょっと‥。あ、とどいたぁ!!」
「ブルンブルン、ぶぉーん」
 アクセルを回す真似をする。

「ひろ君、帽子かぶって‥」
 男の子を呼ぶ母親の声に、晴樹もつられて振り返る。
「えっ、晴‥‥松尾さん」
 両手で口を押さえて、由真が固まっている。
 晴樹と言いかけて、松尾と言い直した。そら、そうか。元カレと知られたくないよな。ということは、この子が由真の子か。やっぱり結婚して子どもができてた。胸の奥がすーっと冷たくなる。喉が渇く。みぞおちが締めあげられる。これを落胆というのだろうか。合格発表で受験番号がなかったときの、あの感覚と同じだ。結局、俺はどこかで期待していたということか。
 カマキリのからくりを見たら、茨城に帰ろう。

「お、なんや、由真の知り合いか」
 この初老の男は由真の父親か。予想外の展開に晴樹はとまどう。
「東京時代の同僚で、松尾さん」
「父です」
 由真が父親に掌を向けて、紹介する。
「由‥、坂下さんのお父さんとは知らずに、失礼しました」
「お互い様や」
「由真、これが父さんの憧れの隼や。松尾さん、こいつもバイクに乗りますねん。俺が乗ってたヤマハのSR400を譲ってやって」
 もちろん晴樹は知っている。調子が悪くなっていたのを晴樹が整備して、それがきっかけで由真と付き合うことになったのだから。
「またがせてもろてたんや。ひろも、な」
 大人たちの足もとできょときょとしている孫に、相槌を求める。
「ママ、このバイク、めっちゃかっこええで! ぼくも、乗ってん」
 母親の手にぶらさがりながら、自慢する。
「由真、松尾さんの隼、うちの駐車場に停めてもらえ。ここは邪魔になるし傷つけられたらあかんやろ」
「そやね。じゃあ、そのまま祭を案内してくるわ。ひろは、どうする?」
「ぼくも行く」
「ひろ、おみくじは、ええんか」
 祖父が孫に訊く。
「おみくじって?」
 晴樹が由真に尋ねる。
「そこのテントに小さいカマキリがいるでしょ。あれがおみくじになってるの。子どもに人気で。ひろなんか、毎日、引いてる」

 赤い台の上に小さな緑のカマキリがいた。小さいといっても60センチぐらいはあるだろうか。鎌の上に黒い器をささげ持っている。奥に朱塗りのミニチュアの祠がある。
「あんな、これを回すねん」
 台の前に木のハンドルがついていた。ひろが得意げに解説する。
「俺も引こうかな」
 晴樹が、ひろの後ろに並ぶ。
 ひろがハンドルを回すと、カマキリが羽根をひろげて右に回転する。後ろにある祠の前に来ると、祠から白い玉が転がり出た。それを黒い器で受けると、また半回転して、正面を向き玉を木の箱にあける。玉に書かれた番号のおみくじを浴衣姿の女の子が渡してくれる。
「ママ、なんて書いてある?」
「小吉やね。ちょっと、ええことがあるかもね」
「よくできてるなぁ。カマキリの羽根も動くんだ」
「晴樹は、こんなんが好きやね」
「おっちゃん、何やった?」
「ひろ君と同じ小吉」
 いっしょかぁ。やったぁ。隼を押す晴樹の前を、ぴょんぴょんと後ろ向きで飛び跳ねる。
「危ないから、ちゃんと前を見て歩いて」
 由真はすっかり母親だ。俺はちっとも成長していないのに。5年の歳月が情けなかった。

 ひろが案内してくれた家の表札は、「坂下」だった。
 祭の間だけ実家に来ているのか、それとも婿養子をとったのだろうか。

「覚えてくれてたんだ」
 隼を預けて由真と並んで歩く。ひろが晴樹の手をぐいぐい引っ張っる。
「ごめん。今朝まで忘れてた」
 晴樹は立ち止まって、由真に頭を下げる。
「清水寺の近くに五重塔があるだろ」
「あ、八坂の塔ね」
「そこの近所のカフェで、『時のコーヒー』ていう不思議なコーヒーを飲んで。東京駅で別れたときの夢を見た。それで、お前が別れ際に『祇園祭のカマキリ』って言ってたのを思い出した」
「ごめんな、忘れてて」
「ええよ。でも、そんなコーヒーがあるんや。私も行ってみようかな」
 由真が足もとの小石を蹴りながら言う。

「ひろ君、待って。横断歩道は、ママと手をつないで」
  四条通りを南に渡る。黒い板塀の続く細い路地を抜けると、こちら側にも露店があちこちに立っていた。
「ママ―、綿菓子、食べたい」
「お昼ご飯食べれなくなるよ。いちご飴やったら買ってあげる」
「じゃあ、いちご飴」
 由真はりんご飴の屋台でいちご飴とラムネを2本買う。

「晴樹、お見合いしたの? 子どもは?」
 ラムネの1本を晴樹に渡しながら、由真が尋ねる。あいかわらず質問がストレートだ。
「実は‥‥もう一つ、謝らなきゃいけないことがある」
 晴樹はひと呼吸置いて、続けた。
「見合いは‥‥してないんだ」
 ラムネのビー玉を押し下げていた由真が、「えっ」と顔をあげる。炭酸水が噴き出る。あわてて、ひと口すする。
「茨城に帰って1年経っても、いっこうに見合いの話がないから。親父に会社の助けになる見合い話は?て、訊いた」
「そしたら‥。お前、そんなこと考えてたのかって、呆れられて。結婚はして欲しいし、孫も抱きたい。だが、それは会社のためじゃないって」
 あの日の親父の顔を思い出す。最初は呆れて、しだいに怒りを我慢しているのが目に見え、最後は泣きそうな顔になっていた。

 <小さくても株式会社だ。会社は俺のものでもないし、ましてやお前のものでもない。後を継げるかどうかは、お前の実力しだい。会社の利益のために見合い結婚してもらおうなんて、考えてもない。そんな結婚は相手の女性にも失礼だろう>

「そう言われたよ」
 由真はこぼれた炭酸水でべとべとになった手を拭いながら、聞いている。
「俺のひとりよがりの思い込みに、由真を巻き込んでた。ごめん」
 晴樹が由真の方に向き直って、直角に頭を下げる。そのまま頭をあげない。行き交う人が、じろじろ見ながら通り過ぎる。カラン、コロン。下駄の音が響く。
「ちょっ、もうええから、早よ、頭あげて」
 由真が小声でささやく。
 アスファルトから湿った熱気が湧き、晴樹の顔にぬらりとまとわりつく。
「おっちゃん、何してるん?」
 ひろが駆け寄って来て、隣に並んで同じように頭をさげる。ちらっと、晴樹の方を下から覗きみて、くすくす笑う。晴樹もつられて笑みがこみあげ、下げていた頭をあげる。子どもには、かなわないな。

 ひろを抱きあげると、いちご飴の甘い香りがした。


(to be continued)

(6)へ続く→


本作の主人公、松尾晴樹が脇役として登場する、さわきゆりさんの『不器用たちのやさしい風』も、あわせてお愉しみください。

https://note.com/589sunflower/m/me08a78c52363


『オールド・クロック・カフェ』1杯めは、こちらから、どうぞ。

2杯めは、こちらから、どうぞ。

#短編小説 #創作 #みんなの文藝春秋 #物語 #連載小説

 

この記事が参加している募集

この街がすき

サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡