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小説『虹の振り子』01

第1章:翔子ーフライト01


 まだ、機内は暗い。
 だが、窓の縁からにじむ光が夜明けを告げていた。

 翔子は隣のジャンが一定のリズムでひそやかな寝息を立てていることを確認して、そっと自分のリクライニングをもどした。
 周囲を気にかけながら、ほんの数センチだけ窓のシェードをあげる。
たちまち淡い光がきっちりと窓枠の幅で躍りだす。翔子は上半身だけ斜めに窓の方に向けて、光を遮った。
 ふふ、いたずらをしている子どもの気分ね。
 ためらいがちにシェードを半分まで持ちあげると、眼下にようやく、確かな厚みで波打つ雲の海原が見えてきた。闇に慣れた目には、まぶしい白さだ。生まれたばかりの光に照らされ、雲は波頭よりパウダーをはたいたように、ほんのりと薄く淡く染まりはじめている。
 この光景を目にするといつも、「春はあけぼのやうやう白くなりゆく」という『枕草子』の一節を口ずさまずにいられない。季節はすでに春をとうに通り過ぎ、初夏を迎えようとしていても。雲の上から眺めているのだとしても。そうして、自らの中に日本人であることのよろこびがまだ色褪せずににあることに、翔子は少し安心するのだ。
 ジャンと結婚してイギリスに住むようになって、もう、かれこれ三十年は過ぎた。日本で成長した歳月よりも、イギリスで過ごした時間のほうが長くなっている。今では日本語のほうが考えなければ咄嗟には出てこない言葉も多く、帰国すると数日は、日本語ばかりを使うことに疲れるくらいだ。
「英語で寝言をいうようになると、本物だって」
 学生時代、英文科の友人たちとランチを食べながら、そんな話題で盛りあがった。ウォークマンにはいつもクイーンやケイト・ブッシュのカセットが入っていた。リスニング力はどんどん付いていったけれど、英語を話す機会には飢えていた。
 それが今では、日本語に不自由を感じるなんて。
 あのころの私に言ってやりたいくらいだわ。


 幼いころ、家族旅行で出かけた高千穂ではじめて雲海を見た。
 雲がじぶんの足よりも下にあることが理解できず、両親に何度も「どうして」「なぜ」と、しつこいくらい尋ねた。
「くもは、おそらにあるでしょ!」
 回らない舌でそう言い張って、真上の空を指さしてゆずらなかったらしい。
 そんな幼い娘に、学究肌の父は、子どもだからと適当にごまかすことはせず、高千穂の峰の高さからはじまって、雲のできるしくみまでを学生に講義するかのごとく語って聞かせた。専門は天文ではなく経済学だったが、生来の好奇心の強さのなせるわざか、様々な分野のことによく精通していた。
「いいかい、翔子。ここ高千穂はね、標高が、ああ、標高というのは、海からの高さのことなんだが…」
 滔々と語る父の話の半分も、翔子にはわからなかったが、それで十分だった。


「いいかい、翔子」
 父の話は、いつも、そうはじまる。
「いいかい、翔子」は、いつ途切れるともしれない話のはじまる合図だった。
 母はそっと立って、台所にむかいケトルで湯を沸かす。しばらくすると、ティーポットにカップと、まだしゅーしゅーと湯気をもらしながら怒っているケトル、それと砂時計を盆にのせて戻ってくる。
 母が盆を置くと、父はポットの蓋をとり、その口にケトルの先をそっと添わせたかと思うと、斜め右上にすっと引きあげる。その動作に合わせて、ちょうどケトルの注ぎ口幅の半透明の湯の糸がするすると斜め上に伸びていく。
 手品みたい。パパはまほうが使えるんだ。
 幼いころ、翔子はずっとそう信じていた。
 父が紅茶を注ぐよどみのない一連の所作は、子ども心にもため息がでるほど美しかった。翔子はいつも恍惚とした表情でながめた。ポットが湯で満たされると、父はケトルを傍らにおいて、砂時計をひっくり返す。
「これはね、ジャンピングといって、こうすると紅茶の葉がポットの中で踊って、おいしくなるんだよ」
「はっぱが、おどるの?」
踊りといえば、幼稚園で習ったお遊戯か、当時、夢中になって毎週テレビにかじりついて見ていた『赤い靴』のバレエぐらいしか、翔子には思い浮かばなかった。
 葉っぱはどんなふうに踊るんだろう。
 父に負けず劣らず好奇心の旺盛な翔子は、そう思うと、もう手がポットへと伸びていたが、蓋にたどりつく寸前で大きな手にからめとられた。
「蓋を開けてはいけないよ。茶葉が踊りをやめてしまうからね」
 そんな父と娘のやりとりを傍らでほほ笑みながら見つめていた母は、翌日、ガラスのティーポットを買い求めてきた。季節はもう秋だったから、かなり探し回ったらしい。
「次からはこれを使いましょうね」
 なぜ次はガラスのポットなのか、翔子には不思議だった。
 だが、父は季節外れのガラスポットが盆にのっているのをみて、「ああ」とうなずいた。
「では、紅茶のダンスを披露しようか」
 ガラスポットの底に散らばっていた葉は、ケトルの先から少し湯を注がれると、たちまち目覚め、そわそわと動き出した。ケトルを斜め上に引き上げるにつれ、湯がポットの中で激しく回転する。すると、はじめは底でたむろしていた茶葉たちが、いっせいに思い思いの方向に跳ねあがったかと思うと、湯の大きな波に翻弄され、互いに近づいたり離れたり、くるくるとスピンしながら戯れる。やがて、頑なに閉じていた葉がふわりと開きはじめる。さなぎから羽化したての蝶が、縮こまっていた羽をゆっくりと広げるようだった。葉のダンスの軌跡をなぞるように、湯が紅い筋を引きながら染まってゆく。
 砂時計の砂がすっかり落ちてしまうころには、紅茶の香りが漂いはじめる。ひそかに鼻から喉までを満たす香り。それが、どんな香りなのか、表現すべき言葉を幼い翔子はまだ持ち合わせていなかった。だから、長らく翔子にとって、これこそが紅茶の香りだった。
 父の紅茶はいつもアールグレイだった。そして、この独特の香りの正体はベルガモットだと教えてくれたのも父だった。


(to be continued)

(02)に続く。

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