言葉を、待つ。
すでに本は読み終えている。
書評を書きたい。しかし、考えがまとまらない。
ふさわしい言葉が思い浮かばないのだ。
思わず天を仰ぐ。冬らしい、透きとおるような空。
それでも言葉は降ってこない。
とってつけたような言葉は、使いたくない。
たしかに耳触りはいい。明るく、前向きな言葉もある。
しかし、薄っぺらい言葉など、いらない。
体温が感じられるような
腹の底から湧き上がってくるような
涙や汗と一緒ににじみ出てくるような
そんな言葉を使いたいのだ。
ときおり、詩人がうらやましくなる。
詩人はなぜ、そんなにうまく言葉を操れるのだろう。
その疑問は、あっという間にくだけた。
書かれた詩を読めば、それはもう美しい言葉がちりばめられている。
しかし、詩人は、言葉にならない想いを詩に託している。
胸がいっぱいになったときの熱さを
ふるえるほど怒った重さを
涙と一緒に押し流す愁しみを
必死に言葉にしているのだ。
どうすれば、そんな言葉たちを使えるのだろう。
待つしかない。
波間に漂ってくるかもしれない。
地をはってくるかもしれない。
もう少し粘れば、
空から降ってくるかもしれない。
言葉は彼方からやってくる。訪れてくる。
受け止めようと待っていれば、
音もせず、ゆっくりと
頭のなかの砂浜に、そっと流れつくのだ。
なぜ言の葉というか、はじめてわかった。
言葉を、待つ。
やって来るのを信じて、待つ。
それが考えることの、文章や詩を書くことの、はじまりだ。
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